いよいよ明日から8月です。
来週あたりからお子さんやお孫さんたちのお盆帰省で忙しくなりそうですが、22日に予定している六甲吟行まで無理をしないで体調を整えてくださいね。
予習のための記事をブログに書きましたのでよければ斜め読みしておいてください。
https://blog.textgh.org/201707311340/
おはようございます。今日は、明け方に雷が鳴り激しい雨が降り出したので慌てて窓を締めました。
↓ ちょっと実験です。
今朝の収穫:ブルーベリー
— やまだみのる (@minoruGH) 2017年7月29日
まいにち一握りほどですが、鵯たちが目覚める前に収穫します。完熟でないものは鳥たちもつつきません。 pic.twitter.com/J75d6mmWcg
RSSとは「Rich Site Summary(リッチ・サイト・サマリー)」の略で、主に Webサイト(ブログ)の更新情報を公開するのに使われています。 つまり、実際のブログを見なくても RSSの情報を取得すれば、更新されたかどうかが分かるという仕組みなのです。
GHメンバーで RSSリーダーを使っておられる方は少ないと思いますが、スマホを持っておられる方は、RSSアプリをインストールして、お気に入りのブログを登録しておくことで好きなサイトの最新記事をまとめて読むことが出来るのです。
http://gospel-haiku.com/dia/rss.xml
青空文庫(あおぞらぶんこ)は、著作権が消滅した作品や著者が許諾した作品のテキストを公開しているインターネット上の電子図書館のことです。もともとタブレットのような専用の端末で文庫本のような感覚で書籍を読める電子書籍という文化がありました。
最近では新刊書籍でも併行して電子版が流通する時代です。GHメンバーにも iPadやスマホを使われる方が増えてきたので、まず青空文庫から入門して電子書籍の世界を体験してみてください。
スマホやタブレットの場合、青空文庫専用のアプリが無料でインストールできます。流石に青畝師の著書などは、まだ著作権がのこっているので青空文庫には公開されていませんが、正岡子規や高浜虚子のそれはかなり公開されています。ぜひお勧めしたいものを紹介します。
なかでも、虚子の『俳句の作りよう』『俳句とはどんなものか』は、とても面白く読めるので一番お勧めです。また、『椿子物語』には、いまなお現役の指導者として活躍しておられる、千原叡子師(旧姓、安積叡子)の若い頃のことが書かれています。
上記のリストには、WEBページ化された記事にリンクしてあるので、そのままクリックするとパソコン画面でも読めますが、次に紹介する専用アプリのほうが格段に読みやすいです。導入方法がわからない…という方は遠慮なく聞いてください。
Windows,Mac,Linux などいろいろな環境でつかえるデスクトップ版電子書籍リーダーも紹介しておきます。 有料版もありますが、無料版で十分です。
http://www.satokazzz.com/airzoshi-desktop
最近はすっかり横着になってしまいましたが、結社で切磋琢磨していたころのわたしは、作句に行き詰まると気分転換に座右の書を読むことが多かったです。
虚子俳話や青畝先生の俳話を読み返すことも有意義でしたが、詩情の狂いを修正するには、阿波野青畝選『かつらぎ四季選集』(かつらぎ双書)を読むのが最も効果的でした。この選集は<第1巻>に始まり20数巻まであるのですが、限定出版でしたし、いまでは古書検索してもなかなか見つかりません。
それ以外のお勧めとしては、春夏秋冬で分冊になった、高浜虚子選『ホトトギス雑詠選集』(朝日文庫)があります。こちらも現在は絶版になっていますが、古書検索をすれば入手可能です。根気よく待っていれば、必ず復刊されるはずです。
先週の日曜日、母教会の早朝礼拝に出席、その後、山陽道を走って広島へ移動し施設の母(家内の)を見舞いました。外泊許可もでたのでその夜は久しぶりに実家で賑やかに夕食をしました。少し認知症が進んでいるようでしたが嬉しそうに笑って元気でしたので安心しました。
翌朝は、実家から5分ほど歩いて、久しぶりに波出石品女さんを問安しました。痩せておられましたがお元気そうでした。月二回のひいらぎ広島支部句会に出席することがいまのわたしの使命だから、と仰って日々の健康管理にはとても注意しておられるとのこと頭が下がりました。
亡くなられたご主人のことや青畝先生、紫峡先生のこと、支部の活動や将来のこと、はたまた、品女さんの独身時代の俳句秘話などなど、延々と話は尽きません。ひいらぎを離脱して以降、唯一品女さんとのご縁だけが私の心の支えでした。
お疲れがでては行けないので再会を約してお昼過ぎに失礼しました。
"品女さんいつまでも元気でいてくだいね" と、祈りつつ。
暑に耐へて使命を語る恩師かな みのる
昨日の定例句会は、久しぶりに布引の滝を吟行しました。ちょっと強行軍かなと心配しましたが何とか全員無事で良かったです。 その後体調に変化はないでしょうか? ぼくは今朝起きたら足に身が…(^o^)
いろいろお喋りしましたが、ちょっと訂正しておきます。飛滝神は、「ひろうじん」と読むようです。和歌山県那智勝浦町那智山に飛瀧神社(ひろうじんじゃ)あります。那智の滝自体が御神体で本殿も拝殿もなく、直接滝を拝み滝飛沫に触れることで延命長寿の霊験があると言われています。
飛瀧神=那智の滝
だと指摘を受ける可能性もありますが、信仰の対象とされて神々しく見える滝の代名詞として飛瀧神と詠むことは許されると思います。
みのるの詠んだ「雨霧らふ」は、間違いではないようですが、「天霧らふ」と書くほうがいいかもしれません。 文語には「天霧らふ」「雨霧らふ」「花散らふ」「雪照らふ」などと似た様な言葉があります。ネットで調べると以下のような記事が見つかりました。
[連語]《動詞「あまぎる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」。上代語》雲や霧などで空一面が曇る。
「ふ」は古語で繰り返しとか、反復する様子を表現するときに付く助動詞です。動詞に付いて、それが継続するとか、一帯にその状況である、というような意味になります。この助動詞「ふ」が付く前の動詞は未然形(ア行)に変化します。
「霧る」(きる)=霧がかかる………「霧らふ」=一面に霧が立ちこめる
「散る」(ちる)……「散らふ」=花吹雪のように一面に散っている
「照る」(てる)……「照らふ」=一帯に照りつけているらふ
天霧らふ岩頭を見よ飛瀧神 みのる
近詠に選んだ以外の俳句も載せておきますね。秀句はありません。どんなことでも俳句になるのだというヒントになれば嬉しいです。でも、自選は難しいですね(^o^)
ところで、"滝壺に浮かぶは猪の水死体" あの情景、どなたも詠まれなかったので本当に安心しました。この種の句に共感を得る世界もあるようですが、少なくとも GHでは、俳句として評価する余地はありません。
先週12日に落穂句会のメンバーで毎日句会にも参加されていた藤中和子(GHの俳号は、かず)さんが召されました。享年72歳でした。土曜日に彼女の母教会である尾上聖愛教会で告別式が行われ、落穂句会のメンバーであるわかばさんと共に参列してきました。
かずさんは落穂句会とのご縁を導いてくださり熱心にお世話してくださいましたが、ここ一年ほど体調不良ということで欠席が続いていました。ご本人の意志で私たちには直ぐにでも復帰されるような情報しか聞かされていませんでしたが、すでに癌告知を受けられていたようです。
召される3週間ほど前には、自宅に戻られてご家族に見守られながら苦しまれず静かに息を引き取られたとのことです。句会メンバー全員が突然の訃報に驚き動転しましたが、告別式でご家族から、イエスを信じる信仰とともに幸せな人生を全うされて召されなさったというお話を聞いて希望と勇気とをいただきました。
汝れイエスと憩ふ汀のお花畑 みのる
最近いきなり毎日句会への入会希望メールを送ってこられる方が増えてきました。その都度丁寧にルールを説明して無料添削から頑張っていただくようにお勧めしていますが、諦めてしまわれる方も多くとても残念です。せっかく GHを見つけてくださったのにと思うのですが健全なサイト運営とみのるのワークとを考えるといまのルールを変えることは難しいです。
そこで、あらたに自由投句のシステムを検討中です。大まかな構想としては、
- 毎月単位で投句(2~5句)を締め切り、みのる選のみで互選はなし
- 参加無料、資格は問いませんが毎日句会と同じように登録(名前、メールアドレス)が必要
- GHメンバーは毎日句会と同じパスワードで参加できる
登録制にするのは、投句数の制限や重複投句のチェック、悪意の参加者をブロックするなどセキュリティーのためです。
こんな風にできないの? というような要望や提案があれば feedbackで教えてください。
昨日は、落穂句会でいつものように市ノ池公園を吟行、例によって GH日和というか梅雨晴間の公園吟行を愉しみました。 大池には浮草畳が広がり、白い小さな花をびっしりとあげて絨毯を広げたように綺麗でした。
浮草の花浄土より亀の首 みのる
登山路の脇には、小さな隠り沼が二つあって牛蛙が大きな声を響かせていました。梅雨濁りした水面に目を凝らしていると稚魚の群れが散らばっていて、人影が動くと反応してさざなみを立てて四散するようすに感動しました。また、泥底に潜んでいるらしい大おたまじゃくしが白いお腹をひるがえしては空氣を吸いに浮きあがり一瞬にしてまた泥神楽に消えていきます。パッと見には何も棲めないだろうと思われるような泥沼でも命は育まれれいるんですね。
路を隔てた川堤に梅雨茸がたくさん顔を出していて、蹲って咫尺に観察しているとさながら童謡の国を見ているようだとみなの顔がほころびました。全員があまり移動せずに隠り沼の辺りで集中して句を詠むことができてよかったです。
梅雨茸苔のなぞへに里づくり みのる
俳誌「ひいらぎ」の巻頭言に小路智壽子主宰の連載記事が掲載されている。7月号では、-『虚子俳話』を読む - と題して記事があり、その内容に意を得たりの感慨を覚えました。全文を転載するのは憚れるので、概要をご紹介します。
虚子は「理屈が実作に先立つことは好まない」と述べている。
冒頭に上記の虚子のことばが紹介されている。この言葉を受けて主宰は、「虚子にとって俳句の原点は、先ず実作することであり、理論があってそれに基づいて作句することではない。」 と解説されている。
これは、みのるが紫峡先生の特訓を受けているときにも何度も何度も諭されたことである。当時紫峡先生は、俳句界への奉仕だといわれて多くの入門者を無料で指導されていた。勿論みのるもその一人でした。智壽子主宰の巻頭言を読みながら、あるとき紫峡先生がふと洩らされたことばを思い出しました。
「理詰めで俳句を理解し、作ろうとされるタイプの人が大成することはまれである。」と…
知識や理論を覚え、語彙を増やすことが上達への道ではなく、弛まない実作(写生)の積み重ねによって感覚、感性、個性を磨くことが結局は一番近道であるといえます。
高島教授から力石を詠む(九)への掲載句についてお問い合わせいただきましたので、毎日句会、定例句会、吟行句会のみのる選から下記の作品をリストアップしました。(八)で採用されたものとの重複があるかもしれませんのでご確認ください。
寒禽や樹下に鎮もる力石 (岩原うつぎ・兵庫県川西市久代「春日神社」) 力石黙し寒禽しきりなる (岩原うつぎ・兵庫県川西市久代「春日神社」) 寒風裡肩寄せあへる力石 (岩原うつぎ・兵庫県川西市久代「春日神社」) 力石武蔵決闘碑に並ぶ (石塚有香・京都市左京区一乗寺下り松町「下り松」) 宮小春誰も彼も撫づ力石 (平島ひかり・兵庫県西宮市甑岩町「越木岩神社」) 力石宝と寄せし宮さやか (平島ひかり・大阪府大阪市住吉区長居東「保利神社」) 力石水引草の花影に (大田さつき・福岡県太宰府市宰府「太宰府天満宮」) 梅雨に濡れ深き刻字や力石 (大田さつき・福岡県太宰府市宰府「太宰府天満宮」) 下闇の龕に鎮もる力石 (中村豆狸・広島県三原市幸崎能地「常盤神社」) どんぐりの杜にまろびて力石 (臼井菜々・兵庫県西宮市甑岩町「越木岩神社」) 力石冷ゆ一乗寺下がり松 (臼井菜々・京都市左京区一乗寺下り松町「下り松」) 秋さぶや触るれば動く力石 (増永わかば・兵庫県西宮市甑岩町「越木岩神社」) 秋日和鳥居くぐれば力石 (中司満天・兵庫県西宮市甑岩町「越木岩神社」)
※ PS:みなさまから連絡いただいて吟行地埋まりました。感謝します。