2014年2月の日記

2014年02月26日(Wed)

毎日句会の参加資格・ルール変更(案)について

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GHは初心者の方を対象に本物の俳句を伝えていくことを使命と考えて運営してきました。

毎日句会のシステムは日々俳句と向き合っていくためには素晴らしい仕組みだと自負しています。ところが、トラブルやみのる自身のオーバーワークを恐れるために極めて排他的な参加資格になっています。

地方等で独学で学んでいらっしゃる方の中には、句会に参加する機会すら得られないというケースも少なくありません。 GH運営の目的からすると、むしろそのような方のために門戸を広げるべきなのかも知れません。そのために次のように考えてみました。

まず参加資格ですが、GH開設当初は、無差別にどなたでも OKというルールでした。今度は、あらかじめご事情をお聞きしたうえで参加を認めるかどうかを判断しますので、しばらく無料添削で学んで頂いてから参加して頂くというケースもあり得ます。

次に投稿ルールですが、みのる選のワークを考えて一日50~100句に到達次第投句締切にします。 投句選句は当面従来通りですが、メンバーが増えてきたら投句は一人一日一句という形になるかも知れません。

今すぐに実行に移すというのではなく GHメンバーのみなさんのご意見やご理解を得たうえでと考えています。 ぜひご意見をお寄せ下さい。談話室に書き込んで下さるのがうれしいのですが、メールでも結構です。

2014年02月25日(Tue)

綾部山梅林

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今日は家内が自宅を開放してイベントをするというので綾部山までドライブしてきました。ネットで情報を見ると一分咲きとのことでしたがとても温かくそれなりによい吟行でした。

いい感じで咲いていた紅梅。見えているのは播磨灘の工業地帯です。

二万本といわれる綾部山梅林ですが大半がこんな状態でした。でも老幹から潔く伸びる徒長枝は美しかったです。

陽だまりの斜面で見つけた『オオイヌノフグリ』の群落。癒やされるでしょう(^_^)

 句碑あまた立つ丘なれど梅固し

 空谷の奈落の梅の白さかな

 探梅や古墳を超えてまた古墳

 梅寒し甘酒茶屋へエスケープ

 剪定枝束にして売る梅の園

あと二週間もすれば絶景になると思うのでもう一度訪ねてみたいです。

2014年02月24日(Mon)

添削から学ぶ

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添削指導を受けた場合、なぜそのようになったのかを自分で考察してみることが重要です。 先週のみのる選の中から抜粋してその添削の意味を簡単に説明しましょう。

 足跡を残して楽し雪の道 → 新雪に足跡しるす愉しさよ

原句ではどのような雪道なのか具体性に欠け句が弱いです。『楽し/愉し』 文字の斡旋によっても句意が鮮明になります。

 一頻り雪解しづくの野小屋かな → 野小屋いま雪解しづくの虜かな

一頻りと詠むと時間が動きます。瞬間写生になるように推敲すると句が力強くなります。

 五本指くつ下広げ日向ぼこ → 五本指くつ下脱いで日向ぼこ

原句は脱いだ靴下が主役ですね。靴下を脱いだ足に焦点を持っていく方が滑稽味があります。

 屋根の雪落つる音して夜の更ける → 真夜に覚む屋根より墜ちる雪の音

作者の位置は屋内で、落雪の音は外だという関係を明確にした方が句が鮮明になります。

 古草に抱かれものの芽並びをり → 古草を分ければしかともの芽出づ

『抱かれ』という措辞が句を月並みにしています。こうした比喩を好む人も多いですが改めた方がいいです。

 大淀の橋の幾重や草青む → 大淀の橋の幾重や青き踏む

何処の草が青んでいるのかが不鮮明、『青き踏む』とすることで多くの橋がかかる下萌えの川堤を散策しているようすとなる。

 さざ波の日を返へしては葦の角 → さざ波の綺羅の水面に葦の角

日を返す漣が主役ではなく、葦の角が主役になり上五中七は主役を引き立てるように推敲しましょう。

 屈み入る洞の仏や冴へ返る → 屈み入る仏の洞の冴へ返る

屈み見るのであれば『洞の仏』ですが、屈み入るのなら『仏の洞』ですね。

 青竹をほとばしり出る春の水 → 春水のほとばしり出る筧かな

一読、青竹が水を吐き出すの? と思いました。欲張らず具体的に分かるように推敲しましょう。

2014年02月14日(Fri)

基本訓練の大切さ

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今朝のみのる庵は、この春二度目の雪が降り積もっています。初雪のときは多少うきうきした気分もありましたが、二度目となると日常生活面での不自由さの方が堪えますね。

さて、テレビではソチオリンピックのニュースで連日盛り上がっています。人間業とは思えないような見事なプレーに日々感動しますが、選手のみなさんの活躍の陰には、血の滲むような日々の練習の積み重ねがあることを深く思います。

いろんな選手のプレーを画面でみながら特に考えさせられたのは失敗プレーのシーンです。 一つ間違えば大事故になるのではと思われるような状況でも大事に至らず立ち直る選手の姿を見て、ギリギリのプレーの中でも安全を確保できるような基本動作がしっかり身についておられるのだと思います。

俳句の修業とスポーツの世界とを比較するのは多少無理がありますが、基本に忠実な日々の訓練の大切さという点では共通点があり学ぶところも多いと感じました。

  1. 五七五の基本のリズムを守る(破調の句は詠まない。正調になるように推敲する。)
  2. 虚構の句は詠まない(想像や頭で考えて句を詠まない。必ず吟行して詠む。)
  3. 他人の句を真似しない(類句・類想の句を詠まない。無意識に詠むこともあるが分かれば潔く捨てる。)

この三箇条は、特別研修生時代に先生から厳しく教えられましたので、体に染みついています。 常にこの基本を念頭にした作句姿勢を貫くことがブレのない作品を詠み続けるためにもっとも大切な要素だと僕は思います。

2014年02月02日(Sun)

季感をとらえる

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俳句の詠み方として「客観写生」ということが厳しく指導されますが、それを強く意識しすぎると得てして報告、説明に陥りやすいです。写生はあくまで表現のテクニックに過ぎません。俳句は季感が生命、写生が先にありきなのではなくて、まず正しく季感を感じ取ることが作者の感性なのです。

季節の区分には二十四節気のほかに、土用、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日なぞの「雑節」と呼ばれる季節もあり、それらをとりいれて日本古来の旧暦というものが育まれてきました。地球温暖化や文明の進化などによって現代では馴染みにくい季語もありますが、伝統によって育まれてきた季語を活かして季感を表現しましょう。

たとい季語が入っていても的確に季感をとらえていなければ「季語動く」作品となります。厳しい言い方をすれば季語が動く作品は無季に等しいことになります。伝統俳句を継承する多くの指導者はみなこの季感の有無、適否を選の基本に考えています。

こうした観点に注目しながらみのる選の結果を復習していただけると没になった理由、添削内容の本意が見えてくると思います。

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