昨日のスワン句会嵯峨野吟行は、あたたかい吟行日和になってよかったです。嵯峨時雨を期待してたのですが完全に裏切られました。ここのところ GHの吟行のある日は、悉く好天に恵まれるので本当に感謝ですね。
あさこさんが昨年亡くなられたご長男のお嫁さんと一緒に吟行と句会に参加して下さってみなで歓迎しました。昨年の11月に南禅寺で吟行してから丁度一年ぶりでした。悲しみが完全に癒やされることは無いかも知れませんが、お二人が仲良く支え合って俳句に親しまれているのを天国のご長男もきっと喜んでおられることでしょう。
底抜けに青き空あり木守柿 みのる
今朝は今年一番の冷え込みだったとか、みなさん体調は大丈夫でしょうか。
嵐山・嵯峨野の紅葉は今年はとても綺麗との情報、楽しみですね。嵯峨野は底冷えするので、下半身をしっかり防寒してきてください。腰に懐炉を貼るのは必須です(^_^)
当日は、JR嵯峨嵐山駅に集合される方と阪急嵐山駅に集合するチームとに分かれます。阪急嵐山駅まえのタクシー会社に先ほど電話して確認したら、水曜日の朝10時ならたくさん車があるので祇王寺までの移動は大丈夫だそうです。 JR駅前のタクシー情報は聞いてないのですが、こちらの方は歩かれても大丈夫と思います。
この時期は、朝お天気がよくても突然時雨れてくることもあります。傘が荷物になるようなら頭からすっぽりかぶれるような少し厚めのビニール袋を携帯されると敷物代わり、ゴミ袋、場合によっては簡易のウインドブレーカーなどに応用できるので便利です。
↓ 吟行案内をしっかり読んでおいて下さい。祇王寺でお会いしましょう。
http://gospel-haiku.com/club/20121128.htm
嵐山タクシー(株) 住所 〒616-0003 京都府京都市西京区嵐山西一川町8−1 電話番号 075-861-4101
昨日の定例句会でとてもよい学びの機会があったのでご紹介します。よし子さんの作品が例句になるのですがおゆるし下さい。
脚だけが見えて梯子の松手入れ よし子
みのる選では没だったこの作品を、菜々さんは特選に選ばれました。 大谷美術館のお庭では、松手入れの真っ最中でしたので、ぼくもよく観察していました。
庭師たちは高梯子を使って作業しているのですが、吟行している私たちには高枝がうち重なって剪定している庭師の姿は見えず、梯子の脚だけが見えているのです。何でも無い作風ですが写生の効いた面白い作品だと思う。
菜々さんは、このような説明をされました。 この句評を聞いてぼくは自分が採りこぼしたと反省して、とりあえずみのる選に加えました。 菜々さんの鑑賞力はすごいなと思いつつ、もういちど作品を見直してみましたが、どうしても少し引っかかります。
それは、「梯子の松手入れ」という措辞の部分です。庭師ではなくて梯子が松の手入れをしている・・・という感じに響くのでぼくは採れなかったと思います。そこで、菜々解になるように添削してみました。
脚だけが見ゆる梯子は松手入れ よし子
句会の後で、よし子さんにお聞きすると、梯子に庭師の脚だけが見えていて上半身は枝に隠れていたという情景の写生だとのこと。となると
”足だけが梯子に覗く松手入れ”
という感じになるでしょうか。
でもこれでは情景が具体的に見えてこないです。菜々解は、俳句は鑑賞によって命を得るというよい事例ですね。
表現力というのはテクニックとして大事なことですが、それよりも感動のとらえ方、俳句的な点景の切り取り方、つまり正しい個性を磨くことのほうがより重要です。みのる選の添削事例についても表現力にだけチェックするのではなく、どのように感じるべきか、どのように捉えるべきか・・という点までくみとって復習して欲しいです。
今週のみのる選の中からみなさんにご紹介したい作品があります。
原句:父母に両手預けて七五三 あさこ
添削:父に母に両手預けて七五三
普通なら、両親に・・・と詠んでしまうところですが、作者は、あえて「父母に」としたのです。おそらく作者は七五三の幼子の姿を見て遙か昔の自分の幼かった頃の思い出が重なり、当時の父母の姿をも連想したのではないでしょうか。
両親に・・・と詠んでしまうとそれは第三者的な写生句になりますが、父母にと詠んだことで七五三の幼子が一人称の感じになりました。そこがこの作品の手柄です。
添削ではあえて「父に母に・・」と字余りにしました。この場合の字余りは意図的です。幼子が嬉しそうに交互にお父さんお母さんの顔を見上げている姿が見えてくるでしょう。字余りというのはこのような効果を目的として採用するテクニックです。推敲不足で字余りの句をそのまま投句することは戒めなければいけないですね。
選をしていて、次のような個性的な作品を見つけると嬉しくなります。つづいて頑張って下さい。
神留守の鳥居に踊るチンドン屋 ぽんこ
木の葉髪叩けば出でし物忘れ なつき
うなじふと冷たき気配時雨来る ともえ
池の面は合はせ鏡や松手入れ 菜々
目鼻入れられて団栗笑ひだす うつぎ
GHの無料添削は、添削を受けて下さる方への奉仕の作業ではなくて、ぼく自身の向上のための訓練でもあるのです。
添削は自分自身の作品の推敲とは全く違います。自分の作品はどうしても思い入れが強いので独りよがりになりがちですが、他の人の作品は一歩離れて客観的に鑑賞できるので、よいところも悪いところも分かりやすいです。みなさんも句会などで選をされていて、そんな風に感じられることもあるのでは無いでしょうか。
話を戻しましょう。現在、無料添削の原稿を送ってこられる方は数名おられるのですが、中でも九州の Oさんと、Sさんが特に熱心です。黙々と原稿を送ってくださり、ぼくの方からは難しい説明などは一切書かないで、○印と添削を加えただけで返信します。
一度に、20~30句、月に2~4回送られてきますが、○のつく確率は一割程度、よくても二割くらいでしょうか。恐らく時には意欲が挫けそうになることもあるはずです。でも、そこで挫折してしまうとおしまいです。頑張って半年もたてば必ず何かが見えてきます。
その何かは、「何となく、ただ何となく・・」という説明の出来ない感覚的なものなのです。しかもそれは人によって異なります。つまり個性の芽生えということです。
俳句は、難しい理論を覚える必要は全くありません。10年も続けていれば自然に覚えていくからです。上達のために最も大切なのは、感性と個性です。それは、とにかく無心になって「作っては捨て」の繰り返しによって身につく物なのです。ぼく自身が同じ手法で紫峡先生から特訓を受けたので、一番よく分かっているつもりです。
この学びの手法は、公開しているテキストにも書いてありますし、メンバーのみなさんには何度もお話ししたと思います。毎日句会は、自分の作品を他の人に評価してもらうための定規にはなりますが、俳句の上達にはあまり役立つとは思えません。ぜひ頑張って添削による学びを始めて下さい。休んでいる方は復活させて下さい。そして添削で○のついたものを毎日句会に投句する。これが一番上達への近道なのです。
いま学んで下さっているお二人は、少しずつですが手応えを感じ始めておられると思います。送られてくる原稿を見ているとそれが解るのです。そのうち機会があればその実体験の証しを感想文に書いていただいて、読者のみなさんにもご紹介したいと願っています。
PDFの自動アップロードも何とかうまくいったようで安心しました。
GHのホームページの管理をしていて、ふと毎回、何度も同じような作業を繰り返していることに気づきます。そんなときに、その作業を何とか自動化できないかと小さなプログラムを作って試してみます。みのる選の結果を PDF化するのは自動化できていたのですが、そのファイルをアップロードするのはこれまでは手動でした。今回それを自動化したのです。
大規模な作業の自動化を考えるときは、まずその作業フローを細切れに分析整理して、ひとつひとつの短いルーチンワークを自動化するためのプログラムを作っては溜めておくのです。最終的にそれらをパッチワークでつないで大きな作業に仕上げていきます。そんな風にして出来あがったのが毎日句会のシステムなんです。
とある縁で、神戸三宮にある ベターホーム の「男の料理教室」へ通うことになり、昨日は初日でした。月1回、半年のコースです。
昨日は、グラタン・スープ・サラダというメニューで、来月は鯖の味噌煮。夕べは、家内と娘、広島から来ているおばあちゃんに早速復習を兼ねてサービスしました。美味しかったそうです。
資料を見てたら、和菓子教室もあるようなので、こちらも行って見たいなと(^_^)