2025年9月の日記

2025年9月29日

須磨浦吟行案内(最終)

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10月9日(木)の須磨浦吟行案内の最終盤を再掲します。10月8日〜10月10日の神戸のお天気は概ね晴れ、最高気温は27℃の予想です

今日現在での参加予定者は13名です。まだ間に合いますのでどなたでもご連絡ください。ただし、お弁当の予約は締め切らせていただきました。

吟行コースは、鉢伏山の裾にある須磨浦展望広場と句碑巡り(蕪村、芭蕉、子規虚子)、その少し奥にある一の谷吟行をメインにします。これをベースに選択メニューとして以下の3通りを考えてみました。

  1. メインコースのみ(脚力に不安ある方、ゆっくり吟行できる)
  2. メインコース + 敦盛塚コース
  3. メインコース + 源平古戦場コース

コースごとにあらかじめどなたかにタイムキーパーをお願いしますのでよろしくお願いします。

項目 内容 備考
日時 2025年10月9日(木) 直接須磨浦公園に行かれてもOK。但し事前にお知らせください
集合 JR須磨駅 改札口前 10:00 早く着ける方は、集合時間まで須磨海岸を吟行しましょう
吟行地 須磨浦公園 徒歩30分のコースを約1時間かけて吟行します
出句 吟行句または当季雑詠 5句出句 締切13:30
句会場 塩屋・旧グッゲンハイム邸 須磨浦公園駅から山陽電鉄利用、塩屋駅下車徒歩5分
参加費 500円(会場費として) お弁当代は別途(希望者のみ)

世話人:みのる(参加できる方は早めに談話室へ書いてください)

 

※参加者(申込み順・敬称略)

みのるt・みきえs・むべt・澄子t・あひるt・せいじs・千鶴t・なつきt・わかばs・こすもすs・うつぎt・素秀s・明日香 : 2025年9月29日現在(13名 t印:ひっぱりだこ飯希望7、s印:すきやき弁希望5)

タイムテーブル(案)

時間 場所 備考
10:00 JR須磨駅橋上改札前集合 須磨駅構内図
徒歩で山陽電鉄須磨駅へ移動 国道2号線を横断するだけ、約100m徒歩2分
10:13 山陽姫路行きに乗車
2分で着きますが油断しないで俳句モードに 松浜の見える海側の車窓で一句拾えます
10:15 須磨浦公園駅下車
敦盛橋を渡り蕪村句碑まで移動 西方向へ徒歩約5分
10:30 蕪村句碑前で記念撮影 撮影後自由吟行
芭蕉句碑、師弟句碑、一の谷を吟行 約30分、詳細案内を参照
11:00 吟行を切り上げて移動 敦盛塚、古戦場コースをパスする方は11:20まで可
敦盛塚コース or 古戦場コース の二者択一 20分程度の余裕が必要
11:40 須磨浦公園駅集合 時間厳守
電車で句会場へ移動します
11:46 山陽姫路行きに乗車 トラブルがあれば 12:01発に変更
約2分、山側の車窓に句会場が見えてきます
11:48 山陽塩屋駅下車
句会場まで徒歩5分
11:55 旧グッケンハイム邸に到着 会場は2階東です
お弁当を食べてから推敲タイム
13:30 投句締切5句 句帳に残った句はWEB吟行句会へ投句しましょう
句会開始 選句・一句評・披講・選評
15:30 句会終了 お庭で記念撮影後解散
急がなければ館内の見学は自由です
16:00 JR塩屋駅まで徒歩5分 お疲れ様

吟行案内の詳細はこちら

2025年9月25日

子規・虚子師弟句碑について

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exclte blog に「 子規・虚子の二人句碑について 」という興味深い記事を発見したのでご紹介しておきます。

この句碑は、昭和28年に神戸の俳人・五十嵐播水が中心となり、二人直筆の「子規・虚子師弟句碑」を建てられました。ところが標柱には、「虚子・子規句碑」となっていて、師弟句碑なのか二人句碑なのかで意見が別れています。

実際の句碑

  • 標柱は「虚子・子規句碑」となっていて、俳句は右から子規・虚子の順です。
  • 虚子の東帰に 「ことづてよ須磨の浦わに晝寝すと 子規」
  • 子規50年忌 「月を思い人を思ひて須磨にあり  虚子」

子規の句は、見舞いにきた虚子が東帰するにあたって託した贈答句。一方、虚子の句は、須磨で修された子規没後50年忌に出席したときに詠まれたものである。子規忌は9月17日であることから、須磨の月を仰ぎながら在りし日の子規に思いを馳せた句であろう。

後継者問題

虚子は明治26年、川東碧梧桐と共に京都の第三高等学校(現在の京都大学総合人間学部)に進学。この当時の虚子と碧梧桐は非常に仲が良く、寝食を共にしその下宿を「虚桐庵」と名付けるほどだった。明治27年、三高の学科改変により碧梧桐と共に仙台の第二高等学校(後の東北大学教養部)に転入するも中退、上京して東京都台東区根岸にあった子規庵に転がり込んだ。

明治28年12月、自身の短命を悟った子規より後継者となることを要請されている。

高浜虚子集「俳句の50年」で虚子は子規について次のように語っている(昭和17年10月27日)。

私は三、四日そこ(須磨の浦)に居たばかりで東京に帰る事になりましたが、子規と共に松原を散歩したり、二階の手すりにもたれつつ、雨の如く降る松の落葉を眺めながら、その三、四日を過ごしたのでありました。その時、子規がつくづく私に言った事があります。それは、

今度の病気のためにとても自分は長くやっていけない、自分の命は長くは続かない、どうも残念であるけれども仕方がない。それで、お前に話があるのであるが、どうか自分の志を受け継いでやって貰いたい、それは他の何人に頼むよりもお前に頼む、どうか自分の後継者となってやっていって貰いたい…という事を述べました。

改まってそういうことを言われた私は非常に重い荷物がかぶさってきたような気がして、多少の迷惑を感じないではないのでありましたが、しかし子規が改まっての委嘱でありまして、どうもその場合それを辞退するする事が出来なかったのでありました。やれる事ならやってみようという事を返事しました。

その年の12月でありましたが、子規が私に来てくれといふ手紙が来ましたので、行って見ますと、 子規は私を伴って道灌山まで散歩に出かけました。子規は杖を頼って歩いたのでありますが、一軒の茶店がありまして、そこで休んで、子規はまた改まった調子で、私にその後の様子を聞くのでありました。

私は、格別これといって纏まった研究をするでもなく、ぼんやり日を過ごしているという事を述べました。

子規は「それではいかんではないか」といって苦々しい顔をしました。子規の身になってみると、自分の後継者と心に定めたものが、ぼんやりして日を暮している事は見るに忍びない事でありましょう。

一問一答しているうちに、お互いに激し、私は子規の要求するようにはとても自分は成れないという事を断言するようになりました。一旦は辞退しかねて承諾はしたものの、子規の委嘱に背くという事は大変苦痛ではありましたが、遂に保養院での委嘱を辞退する事にしました。

辞退するといったところで、ただ後継者という名前を辞退したばかりでありまして、その実、子規の仕事を継承してやっていくという事の上には、異存はなかったのでありました。

こうした史実によって、二人に師弟関係が存在するか否かについて、いまだに意見が別れています。標柱が「虚子・子規句碑」となっていて、師弟句碑とは明記されていないのも何らかの意図があってのものかも知れません。もし師弟句碑であるなら「子規・虚子」の順であるのが自然だと思うのですが…。

今回の吟行で師弟句碑と対面し、できれば一句を授からんとするのですが、こうした歴史背景を踏まえて句碑と対峙することで連想も広がるのではと願っています。

2025年9月19日

須磨情報

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須磨は、山と海に挟まれ西国と畿内を結ぶ要地にあったことから、奈良時代には須磨の関が置かれたほか、江戸時代には、西国街道を多くの人が往来しただけでなく、明治に入ると風光明媚な須磨の地は、別荘地として広く知られるようになりました。時代が下るにつれてその雰囲気は失われてしまいましたが、豊かな自然とともにその面影が今も所々に残っています。

須磨の歴史

須磨は、「源氏物語」に見られるように貴族の隠棲の場所になりました。そして、平安末期には有名な源平合戦(一の谷の坂落とし)の舞台にもなりました。それ以外にも、須磨浦には多くの歴史が残されています。

参考記事:須磨の歴史

須磨の文学

須磨には、多くのお寺が存在し、その中には源氏物語にかかわる石碑や源平の戦いに関する史跡があり、松尾芭蕉や与謝蕪村などが文学や古戦場の史跡を訪ねに須磨を訪れた記録が残っています。

参考記事:須磨の文学

須磨の伝記

須磨が戦場となった、一の谷の戦いや関係する伝記、須磨にのこる伝説などがあります。

特に一の谷の戦いでは、源義経が行った『逆落し』と呼ばれる奇襲によって平家は敗退し多くの武将が討ち取られました。そして青葉の笛で有名な平家の若武者、源氏の武将であった熊谷次郎直実との悲話が有名で、今回の吟行ではその一の谷を訪ねる予定です。

参考記事:須磨の伝記

須磨と正岡子規

日清戦争の従軍記者として遼東半島に渡った子規は、帰国の船中で喀血して重体に陥り、須磨保養院で1ヶ月の療養をとることになります。その折に虚子が東京から馳せて子規を見舞ったそうで、公園内にある師弟句碑の子規の句はその時に詠まれたものです。

ことづてよ須磨の浦わに晝寝すと 子規

遠く離れて案じている門下の同士たちに対して "子規は元気に養生していると" と伝聞を託したのです。いかにも子規らしいユーモアのある挨拶句ですね。

須磨を詠んだ俳句

須磨を詠んだ俳句には、須磨の海の風景や秋の寂しさが表現された作品がよく見られます。源氏物語や源平の戦などの歴史的背景があるからでしょう。

蝸牛角振り分けよ須磨明石 松尾芭蕉

須磨の浦から見渡せる明石海峡の風景を詠んだ句。須磨が秋の季節に詠まれることが多いことを示唆しています。

松風も沖ゆく船も須磨の秋 大崎ナツミ

秋の須磨の風景と沖を行く船の様子が描かれており秋の静けさや趣を感じさせる句です。

暁や白帆すぎゆく蚊帳の外 正岡子規

須磨療養中に正岡子規の詠んだ句です。冷房などのない当時の風情が偲ばれます。

須磨涼し今も昔の文のごと 阿波野青畝

虚子先生から「主観を詠むのはこの句あたりを限度となさい」と諭されたという有名な句です。

参考:Web歳時記(須磨)

2025年9月19日

須磨浦吟行句会

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参加予定は13名(昨日現在)になりました。詳細は 吟行案内 のページをご覧ください。

ただ予定メンバーのうち徳島の素秀さんは、去年手術された胆管が細菌感染による炎症のため再入院中とのことで参加の可否は未定です。奈良の明日香さんも往復5時間の移動になるので当日の健康次第との連絡を受けています。

せいじさんご夫妻は参加を強く希望されていますが、当日のお母様の様子次第というところです。

来年以降の 活動は、WEBに限定した形に縮小して行く予定ですので、公式のオフ吟行句会としてはおそらく今回が最後になると思います。なんとか皆さんが守られてよい吟行句会になることを切に祈っています。

昨日、吟行予定コースを下見してきました。焼失した須磨観光ホテルの関係でその奥の一の谷へは寄りつけないのではと案じていましたがこれまで通り行くことができて安心しました。

ただ、蕪村句碑、芭蕉句碑のある展望広場横にあった老松の森がすべて伐採されて坊主状態でした。松枯れが進み危険な状態になったので伐られたとのことでした。

句碑のある麓の展望台からは、須磨浦の海や美しい海岸線は見えるのですが、明石海峡大橋や淡路島は見えません。ロープウエイで山上へ行けば見えるのですが往復だけで小1時間必要なので諦めました。句会場の旧グッゲンハイム邸からは見ることができます。

一応、句碑巡りと一の谷吟行をメインとし、時間の許す範囲で松林(源平古戦場跡)が広がっている海辺の遊歩道を散策しようと思います。

2025年9月15日

伝統俳句の基本中の基本

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頑張っているつもりだけど、みのる選にかすりもしない…

という方へのアドバイスです。

!季語が生きて働いていること

季語が入っていれば俳句だと単純に理解していませんか?

そうではなく斡旋した季語が不動の命として働いていなくては、たとい季語が入っていても無季と同じなのです。

他の季語に置き換えても意味が通ることを「季語動く」といいますが、みのる選没句の90%はこれに該当します。

!季語の本質を理解すること

伝統俳句には、正しい季感が存在する必要があります。それを助けてくれるのが季語の働きなのです。同じ対象であっても季節によってその本質が全く異なってくるということを肝に命じなければいけません。

簡単な例をあげてみましょう。

春の蝶/夏の蝶/秋の蝶、鴨/春の鴨、春風/秋風、春の月/夏の月/秋の月、春の海/夏の海/冬の海、春空/夏空/冬空

同じ蝶でも季節によって趣が違い、冬の鴨と春の鴨では全く別の季語だと言えます。風も月も海も空も然りです。これを無視して詠んでも支離滅裂な作品になるだけです。

!季語を説明しないこと

運良く旬の状態の季語に出会うと、"これだ!" とばかりに詠みたい衝動にかられます。でも得てしてそれはあたりまえの説明の句になりやすいです。

初学者よりも少し季語を知り始めた中級者がよく陥りがちな傾向なので注意しましょう。

季語というのは伝統で培われた本質(約束や雰囲気)を持ち合わせていますから説明は不要なのです。

文字数制限のある俳句では詳細な情景を写生することができません。焦点を絞り込むことで具体性を実現し、季語の働きを借りて句に命を吹き込むのです。

!侘び寂の感覚を養うこと

俗や常識に縛られて観念的、概念的な世界に恋々としている作品は、決して他人に共感を与えることはできません。

まったく不似合で、小首をかしげたくなるような極端な比喩もまた同様です。

徒らに奇をてらってみたり、日本語としてちょっと疑われそうなちぐはぐした措辞を得意として、それが斬新極まるスタイルと構想であるかのように錯覚している自己満足の作品になっていないかチェックしてみましょう。

誰にでも判り、誰にも作れそうに感じられるくらい親しさをこめた俳句で、よく味わえば味わうほど句のひろがりが無限につづくように思われ、その対象が自分の前にありありと立っており、それこそこの大宇宙の生命がこもっていると言わねばならぬほど奥の深さをそれとなく汲みとれる…

そんな俳句づくりを目指してほしいのです。

初心に返ること

どんなに実績のある作家であっても好不調はつきものです。

どうも最近冴えないな…と感じたら 『みのるの寸言集・作句の壺』 を読み返して初心に返りましょう。

特に青畝先生の俳話(初学の心構え、作句の作法)は必読です。

初学の心構え 作句の作法

2025年9月12日

10月9日のお弁当

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須磨浦吟行のお弁当メニューです。

お弁当は希望者のみです。上記のうちどちらを選ばれても大丈夫です。あらかじめご希望をお知らせください。

ひっぱりだこ飯の方は陶器の容器がお持ち帰りになります。

2025年9月10日

祝長寿

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董雨さんこと三原の楢崎朝子さんからLINEで嬉しいニュースが届きました。

この喜びと祝福をみなさんと一緒に共有したいと思ったので、朝子さんのご了解を得て紹介します。

今朝ほど市の方がこられて総理大臣の石破様の名前の入った賞状と銀の杯をいただきました。

(あさこさんからのLINE本文から転載)

董雨さん、おめでとうございます!!!

楢崎朝子さんの百寿を祝って

菊の賀や百寿に賜ふ銀の杯 

お祝いメッセージは談話室へどうぞ…

2025年9月1日

実感と具体的な表現

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これまで日曜日に作業していた毎日句会みのる選ですが、今後は月曜日にするように変更しました。ご了承ください。

さて最近、会員資格の敷居を低くして新しい方を受け入れるようにしています。

伝統俳句の基本をマスターされている方

というのを基準にしていますが、知識として理解されていても作句は我流という方が多く、昨今のみのる選入選句は激減傾向になっています。

実績のあるベテランの方でも、ついつい実感で詠むことを忘れて陳腐な類想傾向が目立ちます。

レベルの高い集団であれば別ですが、初心者集団である毎日句会の場合、互選の成績は佳句であることの目安にはなりません。

互選で満足しないでみのる選を目標に努力してください。

秋は俳句の季節です。いま一度原点に返って吟行に励みましょう。

での訓練を経験されていない方は、ぜひ下記のブログをお読みくださって、実感で詠む訓練をはじめてください。

実感と具体的な表現俳句を作る姿勢俳句作りのエッセンス

2025年8月31日

高島先生からのメール

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力石研究の高島先生から作品協力のご依頼メールが届きました。ご協力よろしくお願いします。

では、毎日句会に投句いただいた作品のうち「みのる選」に入選したものを先生にお知らせして「力石を詠む」シリーズの著書に掲載いただいています。

想像で詠んだものではなく、実際に存在する力石を訪ね、出来るだけその特徴を捉えた作品を投稿してください。

やまだみのる 様

いつもお世話になっております。「力石を詠む(十四)」にかかっておりますが、作品数が不足しております。御仲間の皆様から力石に関する作品提供をお願いいたします。

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