既に予告はしておりましたが、みのるの都合により2度目の合評を3月末で終了することになりました。 ほんとうに申し訳ありません。 ご協力くださったメンバーの方々に心より感謝申し上げます。 一日早いですが、TOPページから当該ページへのリンクを元に戻しました。
(新)ページは、2002年から2003年に合評した記事の再表示となり、■のリンクをクリックすると 当該作品の合評記事にジャンプして閲覧できる仕様です。
(旧)ページは、2007年8月から2008年3月までの合評記事です。閲覧できるように暫く残しておきますので、下記のリンクからご覧ください。
お詫び
今日のみのるの一句、間違って青畝先生の句が表示されていました。 自動表示システムのエラーによるもので、申し訳ありません。 現在は修復しております。
礼拝中少し寒気がしたので、少し早く帰らせてもらって寝てました。 二時間ほど寝て、少し落ち着きました。熱はなさそうですが鼻炎症状、薬を飲んで又寝ます。
GHメール句会は、「不二句会」として再出発(自主運営)されることに決まりました。 地方で一人で俳句を作っておられる方は、一度相談してみてください。
無事に帰ってきました。 昨日は午後1時に出発、花さじき、野島断層を見て、慶の松原で一泊、 今日は、道の駅うずしお、淡路夢舞台を見て帰ってきました。 大方は、グルメとお土産屋めぐり(鳴門金時、たこせんべい、新たまねぎ等々)でしたが、 お天気にも恵まれて、のんびりとした春の小旅行を楽しみました。
老い母の杖となりもし青き踏む みのる
久しぶりに近詠をアップしました。
スワン句会のみのる選終わりました。明日投函しておきます。
ゴスペル俳句のホームページを公開して満8年を迎えようとしています。 つぎつぎと失敗続きで、管理人一人の力ではとっくに挫折していたでしょう。 でもピンチの時に不思議なように支え励まして下さる方々が現れて救われてきました。
振り返ってみると、見えざるみ手の導きによってここまでやってこれたことを確信します。 これからも、参加者の和を大切にし、「初心者のための俳句サイト」 としての使命を忘れないで精進したいと思います。
信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。 第1テモテ6:12
高浜虚子先生は俳句精神について、「究極は信仰である」と申されたそうです。 この言葉に感動された小路紫峡先生(ぼくの恩師)は、 俳句に傾けるご自分の決心のほどを虚子先生宛ての手紙に記されました。 上記の言葉はそのときに用いられた聖書の箇所です。 私もその精神を継承したいと願っています。
宇部のよし女さんご夫妻が結婚50年を迎えられたという知らせを聞きました。 また、喜寿を迎えられたということで二重の喜びですね。 ほんとうにおめでとうございます。
よし女さんは、GH混迷期にもそっと励ましのメールを送ってくださって随分慰められました。 キーボードを叩くことも大変だと思うのですが合評記事の編集なども、気持ちよく手伝ってくださり、 私にとっては、やさしいお母さんのような存在です。
かれこれ7,8年前だと思うのですが、家内の里の広島へ帰省した折に、ご主人と一緒にわざわざ宇部から会いに来てくださいました。三滝寺でご一緒に吟行した日が懐かしい思い出です。 それ以来今日まで、ずっと親交が続いています。 夫婦が元気で仲良く老境を迎えられることは、何にも変えられない幸せだと思います。 これからもお元気で、この不肖の息子を見守っていただきたいと願っています。
よし女さんのプラーベー情報を公開することになってごめんなさい。 でも、何だかうれしかったので、よし女さんご夫妻にお祝いの句を作りました。
PS:家内の母が神戸へ遊びに来ています。79歳ですから、よし女さんと同世代です。 今日は、休暇が取れたので、いまから淡路島ドライブに出かけて親孝行してきます。
スパムがひどく使えなくなりましたので、各支部連絡用に割り当てていたメールアドレスは廃止しました。
GH-FORUMは、今までどおり使用可能です。
各句会ごとに案内ページを作成しました。
東海地区の句会は、「吟遊句会」ではなく、「吟遊」とのこと、訂正しました。
また、メール句会は、あたらしい名称を検討中です。
近畿支部は今日例会がもたれたようで、世話人の方から連絡が届きました。 近畿支部は3月末で解散し、4月度から新たに「スワン句会」として発足されるとのことです。 運営内容は基本的に今までどおりということですが自主運営となります。 活動内容や参加ルール等については、吟遊句会同様、詳細確認が取れ次第ホームページで公開させていただきます。
スワン句会の皆様のご協力、ご理解に対して心より感謝申しあげます。
早速三名の方から添削要望がありました。感謝です。 ”無料添削は初心者が対象” と言うことにしていますが、特に初心者の定義はしていません。 あなた自身が、初心に帰って学びたいと思われるなら、どうぞ投稿してください。
”学ぶことに遠慮はいらない”
これは、私が学んだ「 ひいらぎ 」主宰小路紫峡先生の口癖でした。その通りだと私も思います。
無用添削の受付を開始いたします。 どの程度の作業量になるのかは未知数ですが、ライフワークとして真摯に取り組みます。
投稿作品の全てを添削するのではなく、作者の感動が伝わってくるか否かによって分類します。 あまり期待が大きすぎると落差が生じますので、みのるの添削手法について再確認しておきます。
今日は日曜日の礼拝で、信徒の皆さんに「月刊ベラカ」4月号が配布されました。 みのるの俳句が掲載されることは、教会ではどなたにもお話していませんでしたが、 早速気づいて下さった数人の方からコメントをいただきました。 みのるの俳句が福音伝道のお役に立つことができて本当に幸せです。
ホームページでの情報を知って、購読申し込みしていただいた方が何人かいらっしゃるとの連絡が発行所からありました。 ぜひ、お読みになった感想(ベラカの感想です)を教えてください。
みのるの我侭なお願いに対して、東海支部から快諾をいただきました。 22日の月例句会の後に協議していただいたようです。
運用的には、今までと大差なく句会名を変えての自主運営となります。 活動内容や参加ルール等については、確認が取れ次第ホームページで公開させていただきます。 吟遊の皆様のご協力、ご理解に対して心より感謝申しあげます。
いろいろと悩み苦しみ、またいろんな方々にも相談しましたが、 2008年3月末をもって、GH同人、GH支部を廃止したいと願っています。 本来であれば、直接各支部に出向いて、皆様にお詫び申し上げなければいけないのですが、 取り急ぎみのるの日記を借りて皆様のご承認を頂きたく、よろしくお願い申し上げます。
同人制度については、もともと明確な定義も運用実績もなく事実上有名無実でした。 今後の GH運用上、無意味な差別化は誤解を生じますので廃止すべきと考えました。 一方、各支部については、GHの運営を外部から応援サポートしていただく組織として、 みのるが世話人の方を指名し、定例句会を基本とした運用を託してきました。 みのる自身は、その後日選をすると共に、年に何度かは句会に出席させていただくという考え方でしたが、なかなか実現できず、多くのメンバーのみなさまに不信感を与える結果となったことを深くお詫び申し上げます。
みのる選をさせていただくことはありがたく、みのる自身が精神的な理由で作句出来ない状況下にあって、 ある意味で生命線のようなものでした。 みのる選の結果をみなさんが喜んでくださることで、慰め励まされ何とか俳句から離れずにここまで続けられたのだと思います。
支部の皆様に対して、範となるべき自身の作品を示すことの出来ない現状下で、 同人だ支部だという結社まがいの構造の上に胡坐をかいていることは、わたしにはできません。 これが、支部を廃止したいとする理由です。 このようなことを書くと、また無責任というご批判を受けることは避けられないと思いますが、 どうかお許しいただきたいと思います。
各支部句会について、名称を変えてそのまま継続されることは何も問題ありませんし、もしお許しいただけるのなら喜んでみのる選もいたします。 ただ、「GH支部」という組織ではなくなりますので、その運用は世話人の方と参加者の皆さんとの連帯責任のもとに自由に運用していただくことになります。 支部廃止後のことについては、各支部世話人の方に詳しくお願いしてあります。 3月度定例のときに、話し合っていただきますようよろしくお願い申し上げます。
みのるの日記で、月刊ベラカをご紹介したところ、早速、GH会員の方から年間購読の申し込みがあったと発行所から連絡がありました。 ありがとうございます。発行所の方もこんなに早く申し込みいただいたので驚いたようです。 冊子をご覧頂いた感想なども教えていただければうれしいです。
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TOPページを少しリニューアルしました。
TOPページの青畝先生の今日の一句(日替わり表示)は中止しました。 合評のページへは、左サイドのメニューリンク[青畝俳句研究]から入れます。
月例オフ句会の案内も TOPページ表示を中止しました。 こちらも左サイドのメニューリンク[月例オフ句会]から入れます。また[ GH-FORUM]のリンクからも各句会の案内が一覧できます。
無料添削制度に関する質問やお問い合わせが増えています。 添削規定を一部修正し、この規定のページから問い合わせしていただくようにしました。
添削用紙がダウンロードできない方やその他の事情で入手できない方は、 返信用封筒(切手をお貼りください)を同封して、みのる宛に請求くだされば、 印刷したものをお送りします。 お送りした用紙をコピーしてお使いください。
月刊ベラカというキリスト教小冊子があります。 わたしの母教会の所属する教団出版局が企画監修しているもので、わかりやすい聖書のお話や伝道説教、聖書日課などが掲載されています。 実は、その巻末ページに毎月1年間(2008.4〜2009.3)、みのるの「俳句とエッセイ」が掲載されることになりました。
基本的に教団内むけの月刊誌で、年間購読が基本なのですが、 発行所のご好意で、下記のように単体販売していただけることになりました。 興味のある方は、発行所宛お申し込みください。
月刊ベラカ 定価300円(税+送料込)
FAXにて発行所へご注文いただければ、納品書と振込み用紙を同封して冊子をお送りします。
(郵便番号、住所、氏名、電話番号と○月号○冊とあればそれで十分です)
一回きりの注文でも OKです。
もし、継続購読されるのでしたら、その旨 FAXにご記入ください。3か月分、半年分前払いいただけば、続けてお送りいたします。発行所:有限会社ベラカ出版 電話078-575-5572 FAX078-575-5582 担当大垣
WEB句会を休止して以降、GHの使命についてずっと迷いを感じつつ運用してきました。
”みのる選はなくてもいいから毎日句会を続けて欲しい”
との熱い要望がたくさん寄せられたので、一度は再開を試みたのですが、 みのる選のない毎日句会は、GHの俳句理念と無関係な作品を増殖する結果となり、 ついには目指すべき方向への舵が取れなくなってしまいましたので、無責任、大人気ないと中傷されつつもやむなく黙して閉じざるを得ませんでした。
みのる選可能なペースで実施できそうな WEB句会の再開を考えて新しいシステムプログラムも開発しました。 ほぼ目処が付いた段階で、みなさんに予告もしました。 けれども、毎日句会を閉じたときのショックを引きずったまま、いまだに句を詠むことができない 自分自身に嫌気がさし、どうしても句会再開に踏み切る決断がでませんでした。 皆さんに期待を持たせて本当に申し訳ないと思うのですが、 4月からと予告していた GH-WEB句会の再開は断念いたします。
実は、4月以降、仕事のほかに母教会でも重要な奉仕を担当することになりました。 ホームページのメンテナンスにかけられる時間も制約されると思いますので、 GHのページ構成についても縮小することになると思います。 本当に申し訳ないのですが、青畝俳句研究についても、3月で終了させていただきます。 これまでのご協力深く感謝いたします。 ただし、日記でも予告しましたように、無料添削は4月から受付いたします。 どの程度の方がどの程度のペースで投稿されるかはわかりませんが、 出来るだけ皆様の熱意に応えるように努力する覚悟です。 もちろん各支部定例句会のみのる選も、喜んでさせていただく事に変わりはありません。
3月6日のみのるの日記には、「GHの将来展望」というような偉そうなことを書きました。 これもまた無責任な発言であったと反省しています。 みなさまのご支援に対して、今の私が出来ることは、みのる選をすることと、添削のお手伝いをすること くらいしか出来ません。 これ以上無責任な対応を続けることは、かえって同人の皆さんを裏切ることになりますので、 今後の支部活動のあり方とみのるの関わり方についても、世話人の皆様と話し合って決めて行きたいと思います。
3月5日〜12日の青畝俳句合評のまとめを書きました。
合評が賑やかになってきてうれしいです。 みなさんのご協力感謝します。
3月1日の日記にみのるの俳句を書いたことで、数人の方から反響を頂きました。 句の巧拙ではなく、最近、「歌を忘れたカナリヤ」状態だったので、それを喜んでくださる内容がほとんどでした。 みのるの現状をそんなふうにご心配頂いていたことを知らず、とても恥ずかしく思います。
「よき指導者とよき作家とは、必ずしも一致しない」というようなことを聞いた記憶があります。 わたしも、結社時代にいろんな俳句指導者、俳句作家と関わりましたので、 この説には大いにうなづけるところがあります。 けれども一方では、難しい論理をくどくどと説かれるよりも、 一句でいいから具体的な例句を示される方が、 はるかによく理解できるということもあります。 その意味で、作品を発表しないで、指導を続けていることにすごく自己嫌悪に陥っています。
「添削指導をする時間があるくらいなら、あなたの立句を示せ!」
と言われると、ただうなだれるしかありません。 決して時間がないから句が詠めない・・・ということではありませんので、 その点はご理解ください。 6日の日記には、「GHの将来展望」というような偉そうなことも書きました。 まずその前に、自分自身のありようを考え直してみます。
案として公開した無料添削規定のうち、「添削句は必ず月例句会へ投句」という表現になっていたのは不適切でした。この点について支部のメンバーの方から、 月例ルールとしてみのるさんの指導を守って、手持ち句は禁止、当日吟行句としているのに、指導方針が矛盾する・・とのご指摘がありました。まったくその通りだと思います。ご指摘感謝します。この条件は規定から削除しました。
4月度から予定している無料添削制度の案が完成したので、予備公開します。 対象は初心者で、” GH同人または各支部句会に精勤に参加されている方” です。 十分に祈ってまとめたつもりですが、おかしなところがあるかもしれません。 ご意見や質問があれば、ぜひ、みのる宛にお問い合わせください。
紛れもない春日和で、久しぶりに庭手入れをしました。 といっても草引き程度ですが・・・
うっかりしていたら、吟行用語集がハッカーに蝕まれていました。 データーを更新して、書き込み禁止ロックをかけました。 cgiを使った動的コンテンツは気をつけないと、あっという間に蝕まれてしまいます。 哀しいですね。
休止して久しい GH-Web句会の復活をと祈って準備も進めていましたが、 わたしの技術力ではどうしても懸案のセキュリティ問題が解決できず、暗礁に乗り上げたままです。 というのは言い訳に過ぎず、Web句会の運用では以前の苦い経験があるため、どうしても句会復活に踏み切れないと言うのが本音かもしれません。いずれにしても、お約束した4月が近づいているので、そろそろ結論を出さなければなりませんね。
GHの使命は、本物の俳句を伝えることにあると考えています。そのためには単に句会の場を提供するだけでは意味がなく、みのる選が必須だと思うのです。GHを公開した数年前ならともかく、昨今の Web上には、インターネット句会の場は幾らでもあります。 その意味で新しい GHとしては、必ずしも Web句会にこだわらずに、もう少し違った方向があるのではないかと考えをめぐらしているのです。
世話人の皆さんの献身的な奉仕によって、各支部の働きが軌道に乗り、よき人間関係が育まれていることをとてもうれしく思います。今後は、この支部活動を核にして GHの将来展望を計るのが神様の導きではないかと思うようになりました。東海支部からはメンバーの更なるレベルアップを図る対策について相談がありました。関東支部では、GH卒業生だけで某結社の一支部が結成されるかもというニュースが届きました。近畿支部では、世話人依存型ではなく、メンバーの有志が輪番で吟行地のお世話をしています。こうした支部活動をよりサポートすることが私の義務であり、Web句会の復活よりも急務な課題かと思います。
回りくどい展望説明になってごめんなさい。 いま祈りのうちに具体的に示されているのは、支部句会(メール句会を含む)メンバーを対象とした、 無料添削指導を復活させるということです。 添削を受けた作品を発表できる Web句会があればなおいいのですが、 この課題についてはもう少し先送りとし、取り急ぎ4月から添削制度を始めてみようと思って、簡単な約束(ルール)を検討中です。どうぞお祈りください。
俳句の詠み方として、兼題で詠む方法と吟行で詠む方法とがあります。 兼題で詠む方法が悪いと言うことではないのですが、初心のうちは吟行句一本で学ばれることを お勧めします。
兼題の場合、句を詠むというより、句を作るということになるので頭で考えて作ることになります。 考えて作る習慣が身に付くと、吟行していても考えて作ることになり、感動というプロセスを忘れてしまう恐れがあります。 ですから、GHでは、初心のうちは、徹底して吟行で詠む訓練をしてほしいのです。 みのるに騙されたと思って、一年間忍耐強く吟行を続けてみてください。必ずあなたの俳句ライフは変わります。
考えて作る作業は、始めは楽しいかも知れませんが、必ずスランプに陥って苦痛に変ります。 ここで俳句をあきらめてしまう方が多いのです。 一方、吟行で詠むという方法は最初は苦しいです。でも頑張って慣れてくると、吟行にでかければ 必ず句が授かるようになり、やがて吟行に行けなければ句が詠めない・・という感じに変わってきます。
気のおける仲間と一緒に吟行し、楽しく句会をする。これが本物の俳句ライフなのです。 このような習慣が身に付くと、吟行に行くことが苦痛になることはなく、むしろ楽しくて楽しくてたまらなくなります。 そして、詠み溜めた作品のひとつ一つに思い出があり、アルバムと同じように宝物として残ります。 考えて作った作品を幾ら沢山溜め込んでも、決して感動のアルバムにはならないのです。
吟行で詠む習慣が身についてくると、兼題で詠む場合でも、過去の吟行で溜め込んだいろんな感動のシーンを思い起こして 吟行風に詠むことができます。つまり兼題俳句というのは、ある程度作家として完成した人たちが吟行にいけないときの 慰めとして俳句を楽しむ手段ともいえます。 だれでも、やがて高齢になって吟行に出かける機会も激減するときが来るでしょう。健康が守られている間に、吟行又吟行と頑張って 素敵な感動の財産を溜めておきたいものです。
決して兼題俳句が間違いと言うことではありませんので誤解のないようにしてほしいのですが、初心のうちはこのような作風は避けて、吟行句に徹してほしいということを伝えたいのです。「作句の壷」に以下のコラムもありますので、参考にお読みください。
みのるの日記をどのくらいの方がご覧頂いているのかはわからないのですが、 メンバーのTさんは、頻繁に感想や励ましのメールを送ってくださり感謝しています。 Tさんのほかにも、Feedback経由で感想を頂くのですが、 メールアドレスを記入されていないケースが多く、御礼コメントを返信することが出来ません。 この日記のページにて御礼申し上げます。 俳句に関して悩んでおられることなどがあれば、どんなことでも遠慮なくご相談ください。 出来る限りご返事いたします。
合評のまとめ2月20日〜26日までを書きました。 鑑賞投稿が少なくて寂しいです。ROMのみなさま、ぜひ勇気を出してご協力ください。 GHで俳句を勉強されている方には、鑑賞力の向上が俳句上達のための一番の近道であることをぜひ覚えてほしいです。「作句の壷」の中に詳しいコラムがありますのでぜひお読みください。
今朝は、わが俳部屋にも温かい春の日が窓から差し込んで、幸せな気分です。 近畿支部のみのる選を選了したので、一息いれたところです。 近畿支部月例は奈良吟行だったそうで、いい句が沢山ありました。 いい句に出会うと選をしていても楽しくなります。
木曜日には、ひいらぎ時代にお世話になったお二人の大先輩を我が家にお招きしました。 須磨は久しぶりだと仰ったので、家内も一緒に四人で吟行ドライブに出かけました。 まずは須磨浦公園に出向いて、ロープウエー駅のすぐ上にある、 観光ハウス花月で、お昼を食べることにしました。”松風”という名前の定食を注文したのですが、まさに雛料理ともいえる見た目にも楽しめる美しい懐石でした。美味しかったです^^)
須磨潟を一望の玻璃雛料理 みのる
お腹も満足したので、少し麓の展望広場まで句碑の道を散策しました。道の中ほどには、子規虚子の師弟句碑があり、須磨の浦和を望む場所には、有名な蕪村の”春の海終日のたりのたりかな”という美しい句碑があります。蕪村の句碑と対峙するように、芭蕉の”蝸牛角ふりわけよ須磨明石”という句碑もありました。
須磨の句碑めぐる吾らに笹鳴ける みのる
展望台から縮緬波をたたむ穏やかな春の海の景を堪能して、次はすぐ近くの 綱敷天満宮へ足を伸ばしました。 境内は白梅、紅梅、枝垂れ梅等々、いろんな梅が満開で、見物客で賑わっていました。 わたし達を歓迎するかのように、タイムリーに初音も聞けて感激しました。
梅白し悔なき余生祈りけり みのる
梅の碑は寿永の悲話を伝へけり みのる
久しぶりに一緒に吟行に誘った家内もこんな句を詠んでいました。
枝々に冬芽満載せる古木 すみえ
ま、みのる選ぎりぎりの作品ですが・・・^^)
日が西に傾きはじめて少し冷えてきたので家路につき、帰ってから四人で小句会をしました。 四人でわいわいと互いの句評をしながら楽しい時間を過ごしました。 吟行や句会に参加するのは一年ぶりくらいだったのですが、やっぱり楽しいですね。
夕食はみんなで鍋を囲みながら、十年以上も前の私のひいらぎ時代の懐かしい逸話で盛り上がりました。 私のわがままで、結社ひいらぎとの縁は失いましたが、その頃に授かった人間関係は、いまも私の宝物です。 お二人をお見送りしたあと、こんな素晴らしい一日をプレゼントしてくださった神様に感謝しました。
お二人の大先輩に感謝!神様ありがとう!