落ち着いていた、近隣開発の交渉に、新たな重大問題が発生。 急遽、調整、協議が必要となった。 その準備のために時間が取られることになって、予定していた秀句選が遅れそうです。 明日の礼拝後も、遅くまで教会での会議があるため、最悪来週になるかも知れません。 申し訳ありません。
工事交渉が無事解決するようにお祈り下さい。
最近新規の参加者がどんどん増えていて感謝なのですが、 作品内容に格差が目立ち初めて、全くの初心者がいきなり好成績を得る・・ と言うことが困難になりつつあります。 結果として、「つまらない・・・」という思いになって去って行かれる方も少なくないのです。 これはとても悲しいことです。
インターネットは気軽に参加できるので、検索で句会のサイトを見つけて、 『お!!おもしろそう・・・』 と、ひらめきを得て入会される、、、と言う方もあると思います。 ぼくは、そんなふうに気軽に俳句を楽しんでいただきたいという思いで、 このホームページを公開していますから、勿論大歓迎です。 でも、しばらく参加されてどなたもが、思わしい成績が残せないことが解りだすと、
俳句は簡単に作れて、気軽な文学ですが、全く無知のままでは、 いつまで経っても俳句というレベルに達しません。 これから述べることがらは、俳句理論以前の基本中の基本です。 「俳句の常識」といってもいいかもしれません。 難しい理論を必死で学ぶことは無意味ですが、最低限の基本は学ぶ必要があります。 この、ホームページの、「俳句レッスン」というところに、その基本について書かれた テキストがありますので、ゴスペル俳句の句会に参加される方は、 少なくともそれらのテキストに目を通して下さることをお奨めします。
さて、きょうは大変申し訳ないのですが、何句か無記名で例句に揚げさせていただきました。 どうぞ、お気を悪くされないようにお願いいたします。
意図的に字余りにするというテクニックも無くはありませんが、初心者が使う手法ではないです。 初学の内は、徹底的に、5・7・5にまとめようとする意識がないと上手になりません。
ごく自然に、この句が生まれたことはよくわかります。 しかし、汗、昼寝、法師蝉、と季語が三つ入っています。
あきらかな無季(季語なし)というのは論外ですが、 季語が入っていても、季感がなければ無季と同じです。 考えて作るとこの落とし穴にはまるので要注意です。
「破調」がわからないという方はいないと思います。 破調の句は決して投稿しない・・と言うくらいの強い意志を持たれた方がいいでしょう。 一方、「季重なり」や「無季」は、そうと知らないでやってしまうことはありますから、 どうしてむ納得がいかない・・という句かがあれば、無料添削に応募でして下さい。
朝夕はしのぎやすくなってきたんですが、ここ数日、日中の蒸し暑さがぶりかえしてきついです。 阿波野青畝先生の御句にこんなのがあります。
ところで、今年の7月に七夕句会と言うのを企画しましたが、 あのような企画句会を不定期に実施してはどうかという提案がありました。 幹事宛にメールで投句、選句を送って、幹事の方は清記をして返送し、成績集計をして発表する、、、 と言う仕組みで、参加する方は楽しいのですが、実際は幹事の負担がとても大きいです。 そこで、昨日は休みを利用して、企画句会の自動化プログラムを作りました。 まだ、70%程度の仕上がりです。もう少し完成度が上がったら一度テスト句会を実施しますので、 ご協力よろしくお願いいたします。
鷹羽狩行氏は、山口誓子・秋元不死男の流れをくむ作家で、 ぼくが師事してきた、阿波野青畝師、小路紫峡師のそれとは若干異なるところもありますが、 狩行氏の作風は、平明かつ具象性が高く俳句に対する理念には、共通するところが多いです。
会社の近くの紀伊国屋書店で立ち読みをしているとき、面白そうなのを発見しました。 今回紹介する、のは俳句入門三部作として講談社から出版されている現代新書シリーズで、ぜひお読みいただきたいと思います。 Amazonへのリンクとと作者による紹介文を転載しておきます。
日本人にとって、俳句は親しく固有な文学表現である。 どこほど多くの人が、めぐりくる四季の気配や、日々の歓び・哀しみを、 この五七五のしらべに托してきたことか。 俳句のたのしさは、まず、自分で作るたのしさにある。 句眼の据え方にはじまり、手垢のつかないことばの創造、一句の完成にいたる、 凝視と単純化のプロセスをくわしく手ほどきし、 〈真相〉〈象徴〉〈しらべ〉〈破調と定型〉〈字余り〉〈季感〉〈写生〉 などの句作の要点を、200に及ぶ秀句から解き明かした、魅力あふれる“読む俳句教室”。
俳句とは、わずか17音の短いしらべに托し、 瞬間の感動を永遠のものとする日本独特の詩型である。 伝統としてしみわたった季節感のおかげで、専門俳人でなくとも、 すぐれた味わい深い作品を生むことができる。 入門者にとっては、一語一語にこめられた秀句をこまかく掘り下げて読むことが、 上達のための第1歩。味わうことより、何をどう見るか、何をどう掴むかがわかり、 それがそのまま読んだ人の身につくのである。 本書は、現代の今、日本のここに生きる人びとの秀句500を題材に、 四季を時候・生活・天文などに分類した“俳句鑑賞歳時記”である。
季節感をとらえる最適な季語は何か?どうすればううまく主題を伝えられるか? 調べを整え、句の味わいを深めるにはどうするか? 三百余りにおよぶ例句を題材に、具体的な添削と批評を加えながら、 初心者がぶつかる実作上の悩みにアドバイス。 ゆるぎない完成をめざすための秘訣集。
インターネット上の資源を利用してコンピュータの時刻を調整する---というコンセプトのとても小さいフリーソフトを見つけました。 結構便利です。
使い方は、インターネットに接続されている状態でクリックするだけで、 たちまちコンピュータの時刻を正しい時刻に調整してくれる・・というソフトです。
以下のURLからダウンロードできます。(無料)お試しを・・v(^o^")v
インターネットで使うパスワードやメールアドレスは、必ず「半角英数」と決まっています。 「全角/半角」というのと、「大文字/小文字」とは全く別の区別なのですが、初心者の方はよく混同して失敗しますので、 しっかりと理解できるまで練習して下さい。
┌─大文字─┐ ┌─小文字─┐ 全角:ABCDEFG abcdefg 半角:A B C D E F G a b c d e f g
全角文字は、日本語入力/漢字変換機能(FEP:フェップと読みます)がONになっている状態で入力します。 半角入力をするためには、このFEPをOFFにしてから、入力する必要があります。 たいていのミスは、FEPをONにしたままで入力するので、全角になってしまうのです。 当然ですが、全角で入力したメールアドレス、パスワードは有効には働きません(無効)。
”わたしは絶対に半角で入力しています!”
と言われる方にかぎって、勘違いして「小文字」を「半角」になっていると思いこんでおられるケースがあります。 「大文字/小文字」と言うのは、通常アルファベットの区別であって、「全角/半角」の区別とは無関係です。
さて、メールアドレスの場合は、半角大文字でも半角小文字でも、どちらでも同じに扱われるケースが多いですが、 パスワードの場合は、大文字と小文字はそれぞれ別の文字として認識されます。(例えば、A≠a、B≠b です)
メールアドレスやパスワードの入力は、必ず「半角英数」
と言うことを、しっかり理解して覚えましょう。
みのるの日記の中から、皆さんからの反響があった記事をピックアップして、 日記ダイジェストの形で編集しました。
ダイジェストとするには、内容の一部を編集する必要がありますが、とりあえずそのままです。 日記そのもののバックナンバーを見るよりは、見やすくなったかむしれません。
帰省して、敬愛する大先輩、波出石品女さんにお会いしてきた。 品女さんのご自宅は、家内の実家から徒歩で10分足らずの距離にある。 今回は、4月に亡くなられた、ご主人の初盆に当たるのでお参りを兼ねてお訪ねしたのである。
葬儀直後に弔問したときの品女さんは、長い間の看病疲れと悲しみとに打ちひしがれて、ほんとうに痛々しかった。 愛するご主人の看取りのために、ご自分の健康など省みず、周囲が心配するほど献身的につくされたという。
いまでも少しお薬を呑まないと眠れない、という品女さんには、まだまだ以前のようにふっくらとしたお顔は戻っていなかったけれど、 「少しずつ元気になってきました・・」と、微笑まれるお顔には、悲しみの翳が薄れて、徐々に和らいできているように見えました。 いろんなお話をお聞きしましたが、しみじみと回想して下さった一言に強く感銘を受けました。
看取りの日々は本当につらく、主人の亡くなったことは耐え難いほど辛く悲しいことでしたけれど、 俳句を作ることで支えられ、励まされ、耐えることができました。 この悲しみがすっかり癒されるには、まだまだ時間がかかると思うけれど、 わたしには俳句があるから、宝物である俳句の人間関係があるから、 きっと乗り越えていけると信じます。
孤独で不安な看取りの日々の中で、また最愛のご主人を亡くされたあとの深い悲しみの淵で、 品女さんはその思いを俳句に綴ることで耐え、勇気と希望を見いだして乗り越えてこられた。 長い人生には、仕事や家庭、家族を守っていくために、誰もが背負わなければなければならない十字架がある。 いろんな人間関係のつき合いや葛藤もある。 そうした営みの中で、嬉しいこともたくさんあるけれど、避けることのできない辛く、苦しい戦いも山ほどある。 刻々と変化する日々の生活の中で、休むことなく俳句と向き合って行くことは容易ではなく、暇だから、何となく寂しいから・・というような安易な動機や、 成績に一喜一憂したり、強く自分を主張して満足を求める・・というような自己中心的な気持ちでだけでは決して継続できない。 逆境のどん底にあっても、俳句を作り続けるという強い意志と努力が必要なのだと思う。
品女さんのお話をお聞きしながら、ほんとうに真剣に俳句と向き合った生活をしてこそ、 はじめて人生の支えとなるような俳句との絆が育まれていくのだと思った。 ぼく自身、いろんなことがあって俳句漬の生活の重荷に耐えられなくなって悩み、 一時は俳句を絶縁しようとしたこともある。 しばらく俳句と離れてみて時間的な余裕が出来、ストレスから解放されたように思えたときもあったけれど、 やがて満たされない思いが募りだしてきて、結局、俳句が自分自身の生活に大きく関わっていたことに気づかされた。 そして、祈りの中で、ホームページ「ゴスペル俳句の世界」の公開に導かれたのです。
ホームページのことを品女さんにお話ししたら、とても喜んで下さって嬉しかった。 振り返れば不本意な回り道もしたように思いますが、インターネット俳句という思いがけない世界へと導いて下さり、 全てを益に変えて祝福して下さった神さまに心から感謝します。 ホームページの運用は、いまやぼくの重要なライフワークになりつつあります。 運営を支えて下さる常連の仲間たちや、日々増し加わえられる参加者のみなさんとの人間関係は、ぼくの宝の山です。v(^o^")v
随分プライベートなことまで書いてしまって、品女さんごめんなさい。
慌ただしい帰省でしたが、少しリフレッシュもできて元気になりました。 毎日句会の選をしたり、散歩したりしてのんびりと過ごしました。 秋草の野から望む、ふるさとの山は秋の翳をまとい初めていました。
明日の早朝から3日間帰省します。帰りは22日の深夜になると思います。
今週の秀句、月例の結果は24日の土曜日になると思います。遅くなって申し訳ありません。
みのるの日記に書いた、おふくろの墓参の記事を読んでいただいてありがとうございます。 自分の年齢が還暦近くになっても、おふくろのことが懐かしいのは、四人兄弟の末っ子で、 あまえんぼうに育ったからだと思います。
ぼくが物心着いたころは、終戦後の貧しい生活のなかでした。 親父の安月給では、家族6人の食費にも困る状態だったので、おふくろは和裁の内職をしていました。 約束の期日に間に合わせるために、よく夜なべをしていたことも覚えています。
子どもたちがみな成人になって、生活にも余裕が出てきてからは、好きな花づくりを楽しみながら、 お寺の奉仕にも頑張って、幸せな余生でしたが、67歳のときに胃癌を手術をしてからは急激に体力も衰えました。 副作用がひどくて受け付けないため、十分な抗癌剤の投与ができず、70歳で再発して召されていきました。
自分の満足よりも、他人のことを心配し、人に喜ばれることで自分も恵まれるのだとよく話していました。 功徳を積むというような意識行為ではなくて、こころから人を愛し自然にそうふるまうおふくろの生き方を見て、 自分の我が儘な心を恥ずかしいと思いました。
おふくろは、クリスチャンではありませんでしたが、その精神は紛れもなく神の御心に叶うものだったと信じます。
告別式を終えてからも、ぼくたち家族の知らなかった人たちが、たくさん弔問に訪ねて来られました。 みなさん、口々に
”あなたのお母さんに、○○のことで、お世話になったのよ・・・”
と、おっしゃられ、 ほんとうに驚きました。おふくろの口からは一言も聞かされていなかった事実が次々にわかったのです。 そうした方々からの賀状が二十年経った今も届きます。
親父は田舎出の三男坊でした。学力もなく、おふくろと一緒の生活は生涯貧しいものでした。 負債はありませんでしたが、物質的な財産というものもありませんでした。 でも、親父やおふくろが残してくれたものは、決してお金では買えない大切なものだと誇りに思っています。
終戦記念日のきょうは、おふくろの忌日でもある。
ぼくは昭和18年生まれだが、記憶の中に戦争はない。 それでも、戦後の貧しい生活の思い出はある。 いまは飽食の世となったが、 当時はクーポン券をもってパンやうどんを買いに行った。 おやつといえば親父が会社で貰ってきた残業食の乾パン。 現代のお菓子のそれではなくて、石のように堅く、口の中でなめ回している内に、 ようやく軟らかくなってくるというようなものだった。
毎日句会のアンケートをお願いしたところ、参加者のみなさんからたくさんコメントが寄せられた。 読み返しつつ、とても勇気を与えていただいたので、これらをまとめたページを作って公開することにしました。 こころから感謝します。
きょう会社の机の引き出しの奥を整理していたら、忘れていた文庫本が出てきた。 15年ほど前に読んだ、俳句入門書(飯田龍太著)だった。 ぱらぱらと懐かしく読み返しながら、結構GHの精神に共通しているなぁ〜、と感心した。 早速、みんなの本屋さんに登録しておいたので、興味のある方は購入してみて下さい。
巻末に、歌人の島田修二さんが、「俳句人生の素晴らしさ」という題で、短く本書の読後感を書いているのが興味深い。 その中で、龍太の俳句理念について次のように書いている。
俳句ブームと言われる現象も、開かれた俳壇の中で百花が咲き競っているというのではなく、 結社に立て籠もった宗匠たちが、ひたすら門下の頭数を増やそうとする現れに過ぎないのではないか。
そうした中で、龍太を筆頭とするごく僅かな俳人たちがこの文芸の将来を見渡して、 「現代の詩」としての俳句を自覚して書いているように思える。 自らの結社の中だけでしか通用しないような、特殊な排他性を持つ俳壇にあって、 龍太の周辺はまことに爽やかに、「風通し」のよさを感じさせる。
この説は、現代の結社中心の俳壇の問題点を鋭く指摘していると思う。 実際俳壇の中からでは、問題点がよく見えないと言うこともある。 歌人という、外堀から見た意見であるだけに、なおさら我々俳人は謙虚に、 且つ心してこの意見を受け止める必要があると思う。
「それだからゴスペル俳句は・・」と、力むつもりはないが、参加者が増えていくに従って、 どうしてもその運用が結社構造化していくことを戒めねばならないと思う。 結社と違って、参加無料のインターネット句会では参加者の出で入りも激しく、 定着率も低い。そうした悪条件であっても、確固たる信念を守り、 超結社としての道を求めつつ、あくまで本物の作品を残していきたいと願う。
今日のオフィスの出勤率は30%、大半がお盆休暇をとっているので、のんびりとした1日が過ぎました。 今週一杯は続きそうです。(^^
シンプル化を図った、TOPページへの反響があってうれしかったです。 でもまた、更新狂と言われそうなので、ほどほどに。。。。
8/20から8/23まで、帰省します。
母の命日がたまたま8月15日なので、毎年この頃にお墓参りに行きます。 墓地は、神戸から車で約1時間くらいの、大阪府高槻市の小高い山の上にあります。 神戸へ引っ越すまで、子どもたちが小さい頃にこの地で両親と同居していました。 お弁当を持ってピクニックを兼ねて、家族でよくこの墓地公園を訪ねたことを思い出します。
4人兄弟でしたが、たまたま末っ子のぼくが両親と同居することになりました。 父が健在の頃に自分たちで、お墓を建立したのが、今も残っているのです。
生前の母は熱心な仏教徒で、お寺の奉仕をよくしていました。 母が亡くなってから、父と私たち家族は神戸に引っ越しました。 晩年、父は痴呆症になり、その頃は今のように社会的な介護サポートもなかったので、 苦難な日々を体験しましたが、その生活を通して、私たち家族はキリスト教の信仰に導かれたのです。
やがて、わたしたち家族は教会で洗礼を受け、寝たきりになった父は病床洗礼を受けました。 父が亡くなったのは、12月22日、私たちが授洗した翌年のクリスマス礼拝の夜でした。 お盆に亡くなった母、クリスマスに亡くなった父。なぜか不思議な気もします。
家内の里(広島)に波出石品女(はでいししなじょ)さんがいる。 今月のGHのTOPページに品女さんの作品を拝借した。 品女調と呼ばれる個性的な俳句で、青畝先生にも絶賛された作品をたくさん発表されている。
品女さんは、結社の大先輩で、ぼくが入会して間もなく、家内の実家から徒歩で5分位の距離に住んでおられることがわかった。 以来、10年以上のおつき合いで、帰省の度にお会いして、いろいろと楽しいおしゃべりをする。 俳句の実力では、品女さんの足下にも及ばないのですが、いつも、「みのるさん」と気軽に呼んで下さる。 謙虚でやさしく、とても思いやりのある方で、結社内での信望も厚く、地元でもまた、品女さんのお人柄を慕われる方が多い。
この春、最愛のご主人を天国へおくられた。 ご主人もまた優しい方で、ぼくたち夫婦が訪ねると愛用のミルで美味しい珈琲をたててくださった。初盆には、またお訪ねして懐かしい時を過ごしたい。
毎日句会、8月6日の成績(投句者44名 選句者46名 )
これは多分、新記録だと思います。 毎日句会と毎週句会への参加登録をされた方は150名を越えました。 重複も少しあるようですし、休んでおられる方もあるので、正確には把握できませんが、 常時参加して下さっているメンバーは、半数の75人くらいだと思います。
毎日句会へのアンケート結果を見ると、
Q1.あなたにとって投句数、選句数は次のどれが最適ですか? The choices Votes 3句投句・3句選句 1 2句投句・2句選句 13 1句投句・1句選句 0 1句投句・2句選句 18 そのほか 1
1句投句・2句選句が優勢ですが、 2句投句・2句選句を支持されている方の割合も無視できない結果になっています。 難しい判断ですが、投句については、1句でも2句でもOKで、選句は必ず2句。 という折衷案に落ち着きそうですね。
ネットだけのおつき合いですが、ぼくがとても尊敬している方が数人おられます。 きょうは、田崎牧師のサイトを紹介します。 GHを公開して間もなく、ぼくの信仰観についての証しを読まれた先生から、次のようなメールが来ました。
みのるさんの信仰観の証し、読みました。まったく同感です。 ぼくは牧師なので、自分のサイトにはなかなか本音は書けないのですが(笑)
牧師先生のサイトというと、むずかしい聖書論や信仰論など、 どことなく、真面目臭くて、堅苦しい雰囲気を連想してしまいます。
聖書の学びを始めたいと思っている人にとって、「悩める子羊よ来たれ!」的な、サイトは案外敷居が高いものです。
田崎先生のホームページには、そんな構えたところが無く、とても楽しく聖書を学べるコーナーがあります。 ぜひ、訪ねて見て下さい。
例年のこの日は広島に帰省していることが多いが、ことしはスケジュール調整が上手く行かず、テレビのニュースを見ながら思い巡らしていた。 家内の母上は直接ではないが被爆体験者で、当時のすざまじい情景をよく話してくれる。 夕方のニュースは、元安川の流灯の情景を映していたが、幼子が、おばあちゃんと一緒に合掌している姿に 心を打たれた。
公開当初は4〜5名だった、「毎日句会」の参加者もコンスタントに40名前後になり、 80句以上の句を毎日選ぶのは大変!という、贅沢な悩みがでてきました。 もし、このまま毎日100人以上というような事態になれば、毎日200句以上の句を見なければならないので、 気が遠くなりそうですね。なるべく、毎日2句というペースを守りたいのですが、1句にせざるを得ない時が来るかも知れません。
毎日2句作るのは大変かもしれませんね。でも、毎日1句作るのも、2句作るのも、エネルギーとしてはあまり変わらないと思います。 一発必中で佳句を作ることは難しく、作る数(投句する数)が多いほど、高得点句を得る確率は高くなります。 その意味では、現状の毎日2句出句というルールを1句に変更することは少し抵抗がありますが、みなさんはどうでしょう。
今週の秀句選は、ぼくのライフワークです。現在では400〜500句程度であり、一週間分をまとめて選びますから全く負担にはなりません。 2000句を越えるようになれば、方法を見直しなければならないかも知れませんが、当分は大丈夫です。
"投句が多くなると、みのるさんが大変だから・・・"
と言うようなことは、心配無用です。(*^。^*)
毎日句会はGHのメインコンテンツであり、生命線であると考えています。 皆さんに愛される、よりよい句会として成長しきたいです。
会社を休むほどではなかったんですが、連日連夜の猛暑にパソコンの前に座る気力を奪われていました。 それでも、毎日句会では投句が減るどころか、むしろ増えているようで驚いています。
この暑さに打ち勝つためには、体力、気力の維持が重要ですが、みなさんはどんな工夫をして暑に耐えておられますか?
ぼくの場合は、よく冷えた麦茶と、おいしい葛まんじゅうが最高です。(*^。^*)
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