長崎県俳人会主催の「去来忌俳句大会」に菜々さんの句が入賞されました。
去来賞 落柿舎に小さき濡れ縁小鳥来る
優良賞 大夕立町モノクロに一変す
GHメンバーからの朗報は、僕にとって何よりのご褒美です。
菜々さんおめでとうございます。
この度の定例句会は台風の直撃で中止になりましたので後日自由吟行してメール句会の形を取りました。みなさんからはとても好評でした。常日頃緊張感を持って吟行句会をし苦労を重ねているので、たまにこうした形をするととても楽な気がするのでしょうね。定例的にこれをするとまた慣れて新鮮味がなくなると思います(^o^)
同じ場所で同じ対象物(今回は萩)を見て吟行するとどうしても類想句が増えます。類想を避けて新鮮な句を詠むためには、日頃からそういう視点や感興を養っておく必要があります。あえて、主題である「萩」から離れてみる…という工夫もいいですね。
当日句会がないケースでは十分時間があるのでしっかり推敲しましょう。一緒に吟行した人にはわかるけれど、そうでない人には状況がわかりにくい作品になっていることが多いです。
"法螺貝の…" と詠んでもどういう状況で吹かれた法螺貝なのかわかりません。 "護摩焚きの法螺貝…" といえば状況が見えてきます。吟行句ではそうゆう失敗がよくあります。
一句が一幅の絵として連想できるように措辞を工夫する。
これが吟行句を推敲するときの基本です。
高度な推敲例として、うつぎさんと菜々さんの作品をとりあげてみましょう。
"台風を払ふ護摩供の煙かな" → "台風禍祓う護摩供の大煙"
うつぎさんらしい完成された作品です。ただお祓いの対象がこれから接近する台風だと対象物が見えないので具体的な状況がイメージしにくく季感が弱くなります。台風禍にすることで周辺の様子も浮かびますし、大煙とすることで煙の勢いが見えてきます。また体言止めにすることで切れ味の良い句に仕立てています。
"座禅石の傘ともならず破れ芭蕉" → "座禅石雨に濡れもし破れ芭蕉"
菜々さんの句もとらえどころは流石です。俳句眼が養われていなければ見逃してしまうでしょう。
惜しいのは "座禅石の" と字余りにしてリズムを悪くしていること、 "傘ともならず" で作意が見えみえになり破れ芭蕉だから傘にならない…という安物の川柳になってしまったことです。厳しく言えばいま雨が降っている状況なのか否かもわかりません。
添削ではシンプルに座禅石が雨に濡れている風情を写生し、せめてこの芭蕉が破れてなければ少しは雨もしのげただろうに…という心情を季語の破れ芭蕉に託しているのです。
なぜそのように添削されたのかを考えてみることはとても大切なことです。けれどもよくわからない…ことも多いですよね。吟行や句会のときに選者に直接聞くことはいいことです。でもそれは頭で理解できただけで身につくことはありません。上達するには説明されずとも自分で納得できるようになることが必要です。
どうしても納得できない作品は執着せずに捨てるか、引き出しにしまっておきましょう。何かのタイミングで俄然よく分かる…ということも多く、すなわちそれはあなたの進歩の証なのです。
29日(木)の長居植物園吟行についての情報です。
まず以下の2つの PDFファイルを開いてみて必要なら印刷してください。
長居植物園は広大な規模ですので、全てを見て回りながら吟行するのは無理です。欲張らないであらかじめ狙い目のポイントを二箇所ほど決めましょう。ここと決めた場所で30分以上は頑張ってみるのが成功の秘訣です。
地下鉄御堂筋線長居駅から植物園ゲートまでは公園の外周道路を歩きます。3号出口を出ると噴水広場があります。時計台の見える方向へ広場を横切るとジョギングや自転車の人たちが往来している外周道路にぶつかります。
この外周道路を右手方向(反時計回り)に進んでください。
間違って左手方向に進むと大変なことになるのでくれぐれも注意してください。
外周道路をしばらく進むと右手に「こども広場」が見えて来ます。そのあたりで外周道路から分かれて、左手方向の「ヤンマーフィールド長居」というグラウンド沿ひの道へ曲がります。すぐに植物園のゲートが見えてきます。
始めていかれる方は、ひかりさんと合流されたほうが絶対無難です。
外周道路の周辺も公園になっていて、緑陰で囲碁に興じているシルバー族のほか、ヤングファミリーや少年たちが思い思いに楽しんでいます。こうした人達の風景も句材になるので見落とさないように観察しましょう。
植物園吟行といっても当季の草花だけが句材ではありません。
花壇づくりの固有の花に固執しないで、「花野」「お花畑」「野路の秋」と言った感じで大雑把に捉え、道の曲がり具合や起伏、人の往来、雲や日差しや風などの変化と取り合わせて秋を感じてください。
自然林に近い場所(第三期植物群、二次林)がお勧めで、そこで時間をかけて心を遊ばせていると「森の秋」や「水の秋」「風の秋」を聞くことができるでしょう。お天気が良ければ、お弁当を愉しむ場所もたくさんあります。
「万葉のみち」という緑道が植物園の一番奥にあります。
この時期さほど目を引く草花は少なく、どちらかというとそぞろ歩きを楽しむエリアです。ここでも固有の草花に執着せず「秋草」という感じに捉えて、むしろ道行きの秋の風情を見つけるほうがいいでしょう。
みのるも外周道路や公園は何度も吟行しましたが、植物園は一度だけしか行ったことがありません。その折に撮影した写真を紹介しますので雰囲気を感じてください。
緑陰で将棋に興じる老人達
幸せそうな親子(二次林)
外周道路を走る部活女子
自信を持って「おすすめコース」とは言えないのですが一応計画しているルートをご紹介します。
植物園の正門ゲートの道の突き当たりを左にとって池沿いに進みます。梅林と桜木立のあたりで渓流をまたいで左方向に曲がり、道なりに進んで、第三紀植物群の森を通ります。
そのあと「万葉のみち」を経由して「二次林」へ。二次林隣の芝生広場は池も見えてお弁当にぴったりです。冬には大池に白鳥がいるのですが、この時期にどうかはわかりません。
園内をぐるっと一周り移動するのに小一時間かかります。ここだと思ったポイントを二箇所ほどきめて30分☓2、お弁当30分という時間配分で2時間です。10時前にゲートをくぐってお弁当を食べ終わって12時頃という感じですね。昼食の後池沿いに進むと句会場の「花と緑の情報センター」に出ます。
吟行では一期一会が大切なので必ずしも計画通りに行動する必要はありませんが、おおよそのベースとなるプランを立てておいて臨機に修正して行動するのがいいでしょう。無計画の行き当たりばったり式の吟行は疲れはてるだけで失敗します。
全くはじめて…という吟行地では、予め下見をして吟行当日に時間をかけるポイントをきめておくという対策ができれば理想です。昨今は、画像情報もたくさん有るのでインターネットを駆使して情報を集めるのも良いと思います。
公園や植物園はあくまでも人工的に作られたものです。歳時記に季語として掲載されている草木は、大自然の中で健気に生きているその本質を季感としていますから、それらが本物の自然の中で営んでいる様子を連想できるように詠まなければ不自然な句になります。
どうしても公園のそれを句にしたいときは、動物園俳句を「檻の鷲」と詠むように、「園の◎◎」というような措辞の工夫が必要になります。
園内のそぞろ歩きからふと触発されて、過去の吟行体験の引き出しに入っていた未完成の感動が具体的に生まれかわることもあります。そういう意味でたとい句が詠めなくとも吟行を続けることがとても大切なのです。
吟行の秘訣は句を作ることではなく、感動をメモすること。
沢山のメモ情報をもとに推敲をして一句にしたてます。一句にまとまらずともとにかくメモをすることを習慣づけましょう。こうした訓練を繰り返している内に、「メモとは言いながら何となく一句になってる…」というふうに上達していくのです。
台風一過の今日、昨日吟行の予定だった萩の寺を訪ねました。思いがけなく小路紫峡先生と智壽子夫人の連理句碑と出会いました。
そう言えば、四年ほど前にこの寺苑に建立されたというニュースすっかり失念していました。萩むらの小径の奥に写真の句碑を見つけたときは、先生ご夫妻と再開したようなとても懐かしい感慨を覚えました。
伏流の高き調べや九輪草 智壽子
萩の寺の貫主はなかなかおしゃべり好きでいろんなお話が聞けました。紫峡師との親交も深く、先に生田神社で開催された「偲ぶ会」にも出席されたとか、本堂には句碑建立時に撮影されたご夫妻の写真も飾られていました。
見上げるほどに咲き盛る寺苑の萩に佇んでいると、かつらぎ庵の萩に囲まれて微笑まれている青畝先生の俤が浮かびました。
台風16号は雨台風でしたね。
神戸も昨夜から大荒れでしたがようやく落ち着きを取り戻しました。
ところで以前 GHで一泊吟旅した天好園の女将から、
" ぜひまた、もう一度… "
というはがきが届きました。ホームページも一新されたようです。
紅葉の時期(11月)に家内と家内のお友達を誘って訪ねてみようかと考えています。
GHの吟旅計画を…とも思いましたが、昔とはいろいろと事情も変わり、外泊が難しいメンバーも増えているので諦めました。有志で同行してくださる方があればより愉しい企画ができるので大歓迎です。まだ天好園の都合は未確認ですので11月が無理なら来年の春(桜)になるかもしれませんが…
2011年の吉野一泊吟旅の資料をひっぱりだして懐かしんでいます(^o^)
昨日、母教会では敬老感謝礼拝があり、礼拝のあと敬老祝会がもたれました。
すると、あなたがたの息子と娘は予言し、若者は幻を見、老人は夢を見る
(使徒行伝2章17節)
これは新約聖書の一節です。
夢というのは、私たちが寝ているときに見る夢のことではありません。アメリカのキング牧師が「私には夢がある」(I have a dream)という説教をしました。キング牧師の夢は、白人と黒人の子どもたちが差別なく一緒にテーブルにつくことができるということでした。つまり将来の希望という意味での夢ですね。
幻というのも、はっきりしない幻想のようなものではありません。英語の聖書では、幻という言葉はビジョン(vision)という言葉になっています。私が現役の会社人であったときも、ビジョンという言葉をたくさん耳にしました。「この会社のビジョンは…」というように、これから先のあるべき姿が語られました。
神学的な解釈はともかく何となく胸に響くことばではないでしょうか。若き日に見た幻を老いてなお夢として追いかけることができたらこんなに幸せなことはありません。夢は実現させるべき使命であり目標です。
人には人それぞれの人生観、世界観があります。当然ながらどう生きるかは自由です。でもたった一度の人生、たとい老い先短い余生であってもなお新しい夢を追い続けるものでありたいですね。
先にお話した青空文庫に高浜虚子著「俳句の作りよう」というのがあり興味深く読んでみた。
理論から学ぶのではなく、なんでもいいからとにかく実作から始めましょうと…いう GHの理念に通じる文章を発見してホッとしています。記事の冒頭の部分だけですがご紹介しておきます。
まず十七字を並べること
俳句を作ってみたいという考えがありながら、さてどういうふうにして手をつけ始めたらいいのか判らぬためについにその機会無しに過ぎる人がよほどあるようであります。私はそういうことを話す人にはいつも、
何でもいいから十七字を並べてごらんなさい。
とお答えするのであります。
中にはまた、俳句を作るがために参考書も二、三冊読んでみたし、句集も一、二冊読んでみたが、どうもまだどうして作ったらいいのか判らぬという人があります。そういう人には私は、
どうでもいいからとにかく十七字を並べてごらんなさい。
とおすすめするのであります。何でもかまわん十七字を二、三句並べてみて、その添削を他に請うということが、俳句を作る第一歩であります。謡を習うのでも三味線を弾くのでもまず皮切をするということがその芸術に足を踏み入れる第一歩でありますが、実際はこの皮切がおっくうなために、句作の機会を見出しかねておる人が多いようであります。
高浜虚子著「俳句の作りよう」より
昨日は中秋の名月でしたが、神戸では周囲が虹色に滲んだ月が雲間からのぞいていました。
これを月の暈(かさ)といいます。
大気中の湿度が高いときに生じるのだそうで、月の暈が見られた翌日はお天気が悪いといわれます。
一年のうちでもっとも美しいとされている「中秋の名月(秋の十五夜)」は、旧暦8月15日の夜に見る月のことで、その年によって変わるそうです。また、名月=満月ではなさそうですね。国立天文台のページに掲載されていた情報を転載します。
これによると、明日(17日)が満月ということです。
年 | 名月 | 望(満月) | 年 | 名月 | 望(満月) | |
---|---|---|---|---|---|---|
2001年 | 10月01日 | 10月02日22時49分 | 2011年 | 9月12日 | 9月12日18時27分 | |
2002年 | 9月21日 | 9月21日22時59分 | 2012年 | 9月30日 | 9月30日12時19分 | |
2003年 | 9月11日 | 9月11日01時36分 | 2013年 | 9月19日 | 9月19日20時13分 | |
2004年 | 9月28日 | 9月28日22時09分 | 2014年 | 9月08日 | 9月09日10時38分 | |
2005年 | 9月18日 | 9月18日11時01分 | 2015年 | 9月27日 | 9月28日11時51分 | |
2006年 | 10月06日 | 10月07日12時13分 | 2016年 | 9月15日 | 9月17日04時05分 | |
2007年 | 9月25日 | 9月27日04時45分 | 2017年 | 10月04日 | 10月06日03時40分 | |
2008年 | 9月14日 | 9月15日18時13分 | 2018年 | 9月24日 | 9月25日11時52分 | |
2009年 | 10月03日 | 10月04日15時10分 | 2019年 | 9月13日 | 9月14日13時33分 | |
2010年 | 9月22日 | 9月23日18時17分 | 2020年 | 10月01日 | 10月02日06時05分 |
そして、中秋の名月に次いで美しいといわれているのが「十三夜」。旧暦9月13日の夜に見る月のことをさします。
今年の場合は、
先に紹介した虚子の著書「俳句への道」のなかに選句についての記述があります。その一文を読むと虚子がどのような基準でホトトギスの選をし弟子たちを指導していたのかかがよく分かります。
青畝師や紫峡師もそうだったと思いますが、GHのみのる選も大筋としてはこれに習っていますので、ちょっと長文ですが転載してご紹介します。
選句について
従来私のやっておった『ホトトギス』の選句について一言して置きたい。
『ホトトギス』の雑詠欄はかつてもいった事のあるように、これは一個の私塾であって、その成績を塾の壁にかかげて互の研鑽の料にするのである。あえて天下に展観しようというのではない。これに投句する諸君は塾生ばかりであった。その塾生の中にはよほど年を重ねて老熟した者もあり、また指を染め始めたばかりの若い塾生もある。これらの人の月々示す所の作品は何万という数にのぼった。私はその中から句を選んでこれを毎月の誌上に掲げるのであった。
先ず私は俳句らしいものと俳句らしくないものとを区別する。その思想の上からまたその措辞の上から。
思想の上からは大概なものは採る。非常に憎悪すべきものは採らない。措辞の上からは最も厳密に検討する。
材料の複雑と単純ということになると比較的単純なものを採る。俳句本来の性質として単純に叙して複雑な効果をもたらすものを尊重する。
斬新なるものをもとより喜ぶが、斬新ならんとして怪奇なるものはただ笑ってこれを棄てる。
陳腐なものはもとより好まぬが、しかしその中に一点の新し味を存すればこれを採る。材料はほとんど同じものであっても、措辞の上に一日の長あれば喜んでこれを採る。
老練な作家の句は標準を高くして選む、幼稚なる作家の句は標準を低くして選む。しかしいずれも俳句であるという点に重きを置く。
かくの如くして毎月数千の句を発表するのであるが、ことごとくそれらの句は金玉の名句であるということは出来ない。
特に推賞に価する句は少数に過ぎない。他の多くはそれら峻峰を取囲んだ高低様々の山々である。
そういう風にして教育して居る中に低い山もようやく高い山となり、またその中に一峻峰を見出すことが出来るようになる。歳々年々斯の如き形態を執って進んで行くうちに幾多の俊秀を見出す事が出来る。
俳句の限界というものを確立して、その限界以外のものは断じて採らない。その限界内のものはたとい幼稚であっても採る。但し幼稚といううちにどこか一点の見どころあるものでなければならぬ。その丘の如き相貌を呈したものが他日の峻峰とならぬと誰が断言出来よう。
選抜という事は、その個人々々にとっては大きな鞭の教訓である。あらぬところに外れようとするものは落選という鞭を以てこれに警告を与える。独りよがりの怠け者にも同様である。
落選という鞭はその人に力を与える。選抜ということはその人に進むべき方向を指示する。
一たび塾生となった者には絶えずその句の動向に注意を払う。
その鞭にあきたらずして塾の外に飛出した者はその行動の自由であることを喜ぶであろうが、その喜びはしばらくのことであろうと思う。
私は斯の如くして『ホトトギス』の塾生諸君を引連れて四、五十年の月日を閲(けみ)した。
~高浜虚子著「俳句への道」より転載~
太字にした箇所は、みのるが選をするときに特に意識している箇所です。少し補足してみましょう。
園芸店で球根を買って埋めておいた彼岸花が咲きました。
俳句では、曼珠沙華で詠まれることが多いですが、どちらかと言うと心象との取り合わせで詠まれた佳句が多いように思います。
路傍の石仏のほとりに寧かれと添う数本の彼岸花、棚田の畦を縁どるように彩る彼岸花、大樹の根肩に広がって褥のように咲き盛る彼岸花、なぞへを埋めて雪崩れるように燃える彼岸花等々、彼岸花ということばを聞くだけで記憶の引き出しにあるさまざまな印象的な風景が目に浮かびます。郷愁を誘う季語ですよね。
山頭火に限らず、人はだれも理性とは裏腹な言動をしては後悔を繰り返すのではないでしょうか。そのような悔いる思いでの道行き山頭火は咲き誇る曼珠沙華を目の当たりにします。それは山頭火の頬を染める「赤っ恥」の赤であり、不甲斐ない自分自身への怒りの赤でもあったことでしょう。
大好きな句です(^o^)
青空文庫というのは、著作権が消滅した作品や著者が許諾した作品のテキストを公開しているインターネット上の電子図書館である。パソコン、タブレット、スマホなどでそれぞれに対応した無料アプリがあるのでぜひお試しください。
高浜虚子に関するものは15点あり、句集や俳話などが公開されている。なかでもとても興味深いのは、「俳句への道」という俳話集。野見山朱鳥の著書「忘れ得ぬ俳句」のなかでも以下のように紹介されている。
虚子俳話は実作者にとって深い響きをもつ言葉に満ちている。新しいものでは『俳句への道』がある。これは俳句生活六十年、かつ世の多くの俳句を育成した彼の蘊蓄(うんちく)が示されている。この中でも虚子は常に花鳥諷詠と客観写生ということを力説し続けている。
「私は敢あえて客観写生ということを言う。それは、俳句は客観に重きをおかねばならぬからである。」に初まり「俳句は、思想の壁ではなくして感情の林であるべきである。」「客観写生といふことは浅薄な理論のやうに考えて居る人が多い。然し自らを軽蔑する人に大思想は生まれない。」「『自分を通しての自然』を如何に表現すべきか、『自然を透しての自分』を如何に表現すべきか、さういふ事にのみ苦心した」
青空文庫アプリをスマホやタブレットにインストールしておくととても便利である。縦書きでページめくりも実際の書籍のように操作できる。「俳句への道」の内容については、断片的に抜粋して共有日記に紹介していこうと思います。
《追伸》
PDFに変換したものを作成しました。また中古本も流通しています。
平成6年4月号のひいらぎをひっぱり出して見ています。
当時のひいらぎ誌には、表紙の見開きに小路紫峡主宰の巻頭言「思うこと」が掲載され、私達の進むべき道についての指針が述べられることも多かったように思います。今見ている4月号には、「添削について」というタイトルの記事が載っていますのでご紹介します。
添削について 小路紫峡
高浜虚子先生は一重丸、二重丸の朱丸をつけて選句され、添削されることは殆ど無かった。
阿波野青畝先生は作者の云わんとすることを補足し、別な角度に表現を添削して丸印をつけて下さった。
私は初心者を指導するとき、その作者のレベルに合わせて丸をいれることにしている。但し、考えて作った句や想像した句には丸印を入れず、作者の実感でとらえた句のみに丸印をつける。
もし表現が不十分であれば具体的な言葉を選び添削する。完成されているが実感のない作り上げた句は没とする。あくまでも作者が物を見て実感でとらえる姿勢を教えることが目的である。
自由に感じる作句態度を会得すれば作者の個性が自ずと作品にあらわれてくるものである。
ホトトギスの虚子選はとてつもなく厳選で、当時の作家は虚子選に入選するために何年も忍耐して精進したという。一句でも虚子選に入選すれば赤飯を焚いて喜んだというような逸話もあるらしい。たとえ合格レベルであっても、添削を加えなければ採れないような作品は虚子選では没になるのである。自ずから落伍者も増える。
その意味で青畝師、紫峡師の場合、虚子の俳句理念を受け継ぎつつも出来るだけ落伍者を出さないようにという愛の精神が加わった新しい指導方法を生み出されたのである。両先生の添削指導で育てられた僕も、お二人への恩返しの意味で添削の真似事をさせていただいているがその流儀はまったく同じです。
この手法を受け入れられず、また添削の結果に納得がゆかずに離れていかれる方も少なくありません。けれどもみのるに騙されたつもりで忍耐してくださった方々が徐々に活躍してくださるようになり GHの雰囲気も少しずつですが変わりつつあります。そのことが慰めであり励みです。
今日は、落穂句会で秋耕中の老農に声をかけたところ、話が弾みご厚意で栗拾いまでさせていただきました。吟行句会での一期一会のご縁を強く感じます。
みのるの近詠に作品も載せましたので、みなさまからのご感想を談話室に書いてくださると嬉しいです。
ところで、秀句鑑賞のフィードバックが急にペースダウンして寂しいです。『継続は力』、続けることに意味があり、そうした努力がやがて血となり肉となります。マイペースでいいので休まずご協力ください。
7月に生田神社で「故小路紫峡主宰を偲ぶ会」が開催された。出席は叶わなかったが、昨日、結社から先生の句集が贈呈されてきた。
結社を離脱して以降、リアルタイムで先生の作品に触れることも少なくなっていたので、何度も読み返している。ぼくの中には、第一句集「風の翼」の作品があまりにも強烈な印象として占めているので、遺句集に編纂された作品群はやや寂しい感じがしないでもない。
風の翼の即物瞬間写生には、カミソリのような鋭い切れ味がある。一方晩年の作品には、思いやりというか先生の愛や優しさが滲み出ているように思う。
俳風というものは句歴を重ねて変わっていくもの、晩年の作品こそがその作者の完成された境地である…と、よく先生から聞かされた記憶がある。むかしある句会で先輩女子から、「みのるさんの句は、ときどき紫峡先生の句では? と騙される時がある」といわれたことがある。全くの無垢から先生の特訓だけで育った僕は、先生の作風の物真似から始まっているので当然のことである。
紫峡先生という羅針盤を失って、これからの GHの進むべき道に不安を覚えますが、青畝先生、紫峡先生の教えをしっかり継承しつつ、「みのる調」といわれるような境地を目指して切磋琢磨していこうと思います。
頂いた句集の中から、ぼくの好きな句を選んで鑑賞してみました。
大切にしていたピアノが地震の被害で傷がついてしまった。このピアノが盾となって地震時の落下物から身を守ってくれたというようなことも考えられる。当時の体験を忘れないためにと繕わずにそのままにしてあるのである。
この花人は、足腰の弱くなった独居老人であろう。杖代わりの手押し車を押し、小型種の愛犬を連れて花堤へ散歩にでた。小犬が疲れて歩かなくなったのでやむなく手押し車にのせて歩いている。愛犬は互いに支えあって生活している相棒なのである。
寺領のお庭などの景を連想する。しばらくベンチに座って火のぬくもりを享受していたが、突然風向きが変わって火の粉と灰が一緒にとんできたので慌てて顔をそむけながら立ち上がったのである。焚火煙ではなく焚火埃という措辞が具体的であり非凡である。
十田久忌というのは、青畝忌のことである。畝の字を分解すると十田久となることから青畝師が揮毫のときに用いられた俳号である。青畝忌に合わせた計画であったと思うが、吟行するまえに先ず当地にある先生の句碑を存問したのである。師に対する強い敬慕が感じられる。
油断して観念的に句を纏めようとすると 「ここかしこ」と表現したくなる。そうではなくて「かしこここ」と、視線が遠くから足元に移動している。ここかしこだと逆になる。どちらが力強い景になるかを考えてみるとき、作者の意図は明白である。