2013年6月の日記

2013年06月21日(Fri)

一泊吟旅について

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能勢一泊吟行お疲れ様でした。二日とも雨予報でしたので蛍が見られるかどうか不安でしたが、GHのお天気神話は生きていたようで降りそうで降らないというまさに蛍日和でしたね。一昨年の東吉野での蛍狩りはやや期待外れでしたので今回はみなさん大満足だったと思います。

GH再開後の一泊吟旅は今回で三度目でした。第一回の明日香では10句出句の句会を4回実施していますが、東吉野では今回同様5句出句を4回でした。句会の回数を減らしてのんびりと吟旅を楽しみたいという意見もいただいていたのですが、どちらがいいのでしょうかね。5句出句の句会を4回するのと、10句出句のそれを2回行うのとでは数字の上では同じですが実際は違います。手元に出句するだけの句数が揃ってしまうとどうしてもそれ以上は詠めなくなるからです。

今回は能勢のみなさんの手配で、よいところをたくさん案内していただいて感謝でした。 いろいろ見せていただいた中でぼくが一番癒やされたのは川西郷土館での吟行でした。 一日目の中では、清普寺がよかったです。もう少し時間が欲しいなと思いました。

みのる選の印象としては、蛍狩と郷土館での作品に佳句が多かったように思います。 スケジュール的にこの二箇所での吟行が一番集中して作句出来たからではないかと思います。 短時間の吟行で大景を詠もうとするとどうしても表面的な写生になるので他の人の心に響くような作品は生まれにくいです。 なので、その土地の特徴や歴史、対象物の謂われなどにとらわれずに、ごく些細な一期一会を見つけるほうが有利です。

清普寺でいえば、蟻地獄や蜥蜴などをじっくり観察された方が佳句をものされているようです。能勢家のお墓も確かに迫力はありましたけれど、17文字でどう表現するかという難しさがあります。下闇に古びた墓があるとか、鐘を鳴らしてどうしたこうしたという類いの発想はありふれているのでどうしても月並みになりがちです。

大けやきそのものがどうだこうだという句は詠み尽くされているのでどうしても類想が生まれやすいです。それを避けるには主題から少し離れて写生するのがポイントです。たまたま子育て中の青葉木菟がいましたが、季語本来の特徴は夜行性の猛禽で主にその鳴き声に季感があるので、姿を詠んでも季語動くというパターンになりやすいです。なぜなら梢の鳥影を詠むのなら他の鳥類でもいいことになりますよね。

棚田ではあの広大な風景を詠もうとするとなかなか一句に纏まりません。絶景は絶景として楽しみつつ、ごく小さなスポットに焦点を絞って句を拾うというのが吟行の秘訣です。田圃の中には面白い足跡もありましたし、蛙や井守もいましたね。いい風も吹いていました。棚田吟行だから棚田を詠まねば・・・という自縄自縛に陥らないことが大事です。

目新しい句材もなさそうな郷土館でどうしてみなさん佳句が詠めたのでしょうか。最大の理由は腰を落ち着けてゆっくり心を遊ばすことが出来たからだと思います。ちょっと疲れも覚えていたので、たぶん初めはなにも考えないでそれこそ無為無我の境地でお庭などを眺めておられたと思います。ぼくもそうでした。そうこうしているうちにふと心が動きそれぞれに思い思いの句をものにされたのではないでしょうか。つまり心の中を空っぽにして遊ばせているうちに自然のほうから語りかけてくる。そしてその感動を写生するという形になっていたからだと思います。

心を無にするという状況下では余計な予備知識や理屈は一切関与しません。そういう状況にもっていかなければ自然からの声は聞こえてこないとぼくは思います。 少人数で吟行に行かれるときも、『今日はここだけ』と一箇所に定めて、そこで1時間、2時間と心を遊ばせる練習をしてみて下さい。 必ず俳句が変わってきます。

 "そんなこと、能勢に行く前に言って欲しかったわ・・・"

という声も聞こえてきそうですが、今回の吟旅での実体験と重ねて学んでいただくことで難得いただけるものと信じています。 無理にとは言いませんが、能勢で詠んだ作品は基本的には添削に送って欲しいというのがぼくの願いです。 似たような能勢の句が選句リストに並ぶのもどうかと思いますし、何よりも吟旅の句は一緒に行ったメンバーの共感を得やすいので、多少甘くても高点になりやすいです。 そうした傾向は、吟旅に参加できなかったメンバーにとって、あまり快いことではないと思うからです。

最後に、お世話いただいた能勢のメンバーに心から感謝します。

2013年06月15日(Sat)

吟行用電子辞書・歳時記を考える

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最近の電子辞書はとても高性能になっていて便利なのですが、吟行時の携帯性という点では結構負担ですね。 ぼくはカシオの Ex-word・ XD-D6500というのを使っているのですが、311gもあります。 歳時記も収録されている方が便利・・・という発想で選ぶとどうしてもこの種のものになってしまいます。

ぼくの経験で言うと電子辞書の歳時記機能は吟行時にはあまり役に立ちません。 デジタル歳時記は、特定の季語の意味を調べるには有効ですが、不特定多数の季語から相応しいものを探しだすという目的には使いにくいからです。 つまり推敲しながら感動した情景にぴったりな季語を選ぶためには、ぱらぱらとページめくりが出来る書籍タイプの季寄せの方が断然便利だと言うことです。歳時記を内蔵した重い電子辞書を持っているにもかかわらず結局は書籍版の歳時記も併せ持っている場合が多いですよね。

俳句辞書としての必須は広辞苑と漢字源なので歳時記が不要ならこんなのが手軽でお勧めです。電池を含めて97gという超軽量、5,000円以下で買えます。一度試しに買ってみようかと・・・(^_^)

SHARP Brain カラー液晶電子辞書 PW-AC10-P

吟行に携帯する歳時記(季寄せ)は、当季だけのものではなくて四季全てが掲載されているものの方がいいです。 句会の時に何度もお話ししていますが、俳句は芸術であって報告や説明ではありません。なので必ず当季の季語を使う・・・というような制約はないからです。また、吟行用の歳時記としては例句の掲載数はさほど必要ではありません(むしろ不要)ので季語がだくさん載っている季寄せのほうがいいと思います。

吟行用に特化したものとしては以下がお勧めです。みのるはここ数十年、1. を3冊以上使い古しています。 2. も持っています。携帯性としてはこちらの方がいいのですがぼくには使いにくかったです。

  1. 新版季寄せ(角川書店) ~230g 例句は少ないのですが関連季語がたくさん載っていて、吟行、推敲には最適です。
  2. 虚子編季寄せ

さて吟行用の電子辞書ですが、最近 Apple iPod touch という玩具を買いました。これに自分で俳句に最適化した辞書をインストールして試用しています。 保護用のレザーケースをつけた状態で126gです。カシオの電子辞書311gとくらべると格段に軽くて快適です。

こちらのよいところは、乗り換え案内、天気予報、地図など、辞書以外の情報取得も出来るとことです。 経費が高く付く iPhone でなくても十分実用になるので、今度実物を見て下さい。 現状の iPod のディスプレイは4インチなんですが、近い将来 5.7インチのものが発売されるかもというニュースがあるので、そうなれば更に扱いやすいと思うので期待しています。

iPad mini 本体 Wi-Fiモデル 16GB/White は、7.9インチ画面なのでこちらでもいいかと思いますが、吟行用としてはちょと大き目です。

2013年06月15日(Sat)

能勢一泊吟旅

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いよいよ来週になりましたね。

乗り換え案内や参考になる情報をリンクしておきました。 ご質問等は談話室へご遠慮なく・・・

検索条件: 香里園→川西能勢口   2013/06/18(火) 09:30 到着

発着時間:08:20発 → 09:26着
所要時間:1時間6分
乗車時間:44分
乗換回数:2回
総額:720円
距離:36.0km

■香里園
|  京阪本線通勤準急(淀屋橋行)   14.6km   後
|  08:20-08:37[17分]
|  300円
◇京橋(大阪)    3番線発 [7分待ち]
|  大阪環状線大阪方面関空快速(関西空港行)   4.2km   後
|  08:44-08:50[6分]
|  160円
◇大阪/阪急梅田    1番線着 [15分待ち]
|  阪急宝塚線急行(宝塚行)   17.2km
|  09:05-09:26[21分]
|  260円
■川西能勢口    1番線着

検索条件: 三宮→川西能勢口   2013/06/18(火) 09:30 到着

発着時間:08:41発 → 09:26着
所要時間:45分
乗車時間:44分
乗換回数:1回
総額:310円
距離:44.7km

■阪急三宮
|  阪急神戸線通勤特急(阪急梅田行)   29.9km   前~中後
|  08:41-09:07[26分]
|  310円
◇十三    2番線着・3番線発 [1分待ち]
|  阪急宝塚線急行(宝塚行)   14.8km
|  09:08-09:26[18分]
|   ↓
■川西能勢口    1番線着

参考資料

2013年06月07日(Fri)

毎日句会のみのる選

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最近の毎日句会みのる選がこれまでより厳選傾向になっていることをお詫びします。

これまでの毎日句会みのる選は、添削指導も兼ねるという位置づけで選んでいました。 初心者にはやさしく、上級者には厳しくという配慮は当然と考えていましたが、互選高点句を没にするのは作者のお気持ちを考えると勇気の要ることでしたので、正しい方向への軌道修正という目的で添削して採るようにしていました。

吟行句会のみのる選は、詠まれた状況が分かっていますので適切な添削がしやすいですし、ご納得いただける割合も高いと思いますが、毎日句会では、結果として作者が納得し難いほどに変わってしまうケースもあり、かえって迷いを与えていたのではないかと思っています。

毎日句会再開後約2年間、こうした運用を続けきたのですが、知らず知らずのうちに毎日句会へ投句するために句をひねるという悪習慣に繋がりやすく、結果的に上達の妨げになっていることが気がかりになっていました。

 『とりあえず二句詠んで投句しておけば、みのるさんが添削してくれる』

そんな心がけで投句しておられた方は一人もいらっしゃらないと思うのですが、選者としての中途半端な指導姿勢がそのような傾向を生んだのだと思います。

最近、添削の学びをしながら、その作品を毎日句会に投句していただくという仕組みをご提案し、数名の方が応えて下さっています。 添削句のうち○印がつく確率は、平均10%、よくても30%くらいです。 逆算すると毎日二句投句するための句を添削で得るためには、一週間に50~100句詠む必要があることになります。

つまりそのくらいの覚悟をもって努力すれば必ず上達するといえるのですが、とても忍耐のいることですし、実際は無理な数字です。 添削句以外は投句しないという方もいらっしゃいますが、そこまで頑なにならずとも、添削を受けた句と自分で選んだ句とを混ぜて投句されたらいいと思います。 むしろそうすることで進むべき正しい方向を見極め易いかも知れません。

みのる選の方針転換について数ヶ月悩みましたが、毎日句会を GHの学びの場として正しく機能させていくにはやむを得ないと決断しました。どうぞご理解下さい。 添削の学びは、どうしても生活リズムがあわないと仰る方もいらっしゃいます。 決して強要するつもりはありません。 『必ず吟行で詠む』という姿勢さえ崩さなければ、基本的にはご自身のペースで学ばれたらいいと思います。

2013年06月05日(Wed)

写生の基本

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文章で(読んで)理解するのは難しいですが、標題の課題について視点を変えて書いてみます。

 感動した情景を主観を加えず見たままに写生する。

これが客観写生の基本でしたね。

理屈で分かっていても中々実践できないのは基本の本質を誤解されているからではないでしょうか。 『見たままを写生する』というのは表現の手法であって、あくまで二義的なものです。理屈っぽい歪んだ感性ではなくて幼子のような純粋でやさしい感性で感動を見つける、捉える。これが最も大切なのです。初心に帰って俳句が生まれるプロセスを考えてみましょう。

  1. 感動した情景を見つける。
  2. 主観を加ず見たままを写生する。

俳句の学び、訓練で最も重要なのは個性を磨くことであって、決して表現テクニックではありません。つまり、上記の 1. をどれだけ意識して吟行しているかが大切なのです。 俳句上達本の多くは、小主観の有無が大事な要素であると説いています。小主観の定義は難しいですが、もろに表現せず客観表現から滲み出る主観という感じでしょうか。そのことについて青畝師は次のように仰っています。

「主観と客観は物心一如である。この手が主観であり客観なのだ。しかも客観は手の甲、主観は手のひら、この手を握りしめれば、手のひらは内側に隠れて主観は見えなくなる。主観と客観は便宜上分けていっているのであって、別々のものではない。それを別々にしたら死んでしまう。実際に句を作るときは、主観を忘れて客観を良く働かせることが一番大事です。ともすると主観があらわに出て邪魔をします。」

作句の壺や青畝俳話の以下の記事も参考に読んでみてください。

私には個性がないから・・と諦めてしまう方もありますが、感動する心や個性というのは天恵のもので誰でも生まれながらに神様から授かっている賜だというのがぼくの持論です。幼い頃の好奇心や驚きを思い出してみて下さい。せっかくの賜も磨かなければ輝きません。真珠や宝石も磨いてはじめてその価値がでるのと同じです。

みなさんの添削句を拝見していて、ときどきはっと驚くような視点で捉えたれた作品に出会います。つまりこれが個性なのです。 表現方法は添削することでいくらでもお手伝いすることができますが、感じるというプロセスは個性の世界なのでは指導できないのです。

みのる選をするときには、その作品によって具体的な一枚の絵が見えてくるかどうかをチェックしています。 主観や理屈の句、心象句の多くは、それを言うために文字を費やしてしまうので大抵の場合具体的な絵になりません。みなさんもこうした視点でご自身の作品を推敲してみて下さい。 キャンバスに描く絵は基本的には二次元的な表現しか出来ませんが、俳句で描く絵は、五感の全てを使って表現できます。 そこが俳句の楽しさであり深さだと思うのです。

繰り返しお願いしていることですが、添削の学びの段階では理屈や心象句を詠んではいけません。写生句の訓練にマイナスになるからです。このことはぼく自身も先生から厳しく指導されました。 客観写生のテクニックが身についてくれば、心象句であっても作者の心情が一枚の絵として見えてきます。 つまりそれは、客観写生の絵の中に隠された作者の心象が見えてくるということなのですね。

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