照れば躁昃れば鬱白障子

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  • むべ:「障子」が三冬の季語。季語が揺れないとはこういうことかなと思いました。障子、それも白障子でないと成り立たない一句です。日が差せば明るく、かげれば暗くなる障子から、人の心のありようもまた、一年、一か月、一日の中でさえアップダウンがあり、人の心身は天候や季節の巡りとも連動していることを思わされます。どちらもコントロールの外とも言えるでしょう。 - 2023/08/30(水)
  • あひる:障子が三冬の季語。作者は和室の炬燵にじっと座って、障子に射す外の光を味わっているようです。冬の日が猫の目のように照ったり昃ったりしているのでしょう。その度に障子が明るくなったり暗くなったりしています。せかせかと用事に追われていては味わうことの出来ない光景です。躁と鬱という措辞を用いたことで、奥深い味わいになっていると思います。 - 2023/08/29(火)
  • えいいち:障子が三冬の季語です。障子の形容で季節が変わるようですが白い障子は一般的であり句から日を恋しがる様子がうかがえますので冬と考えました。我が家の居間の障子は東南向きなのでよく日が差します。雲が素早く流れる日は太陽が雲に遮られる度に障子が輝くように白くなったり、さあっと暗転したりと見ているととても面白い光景です。そのような情景を詠った句だと思いますが障子の明るさの変化を躁鬱にたとえることで作者の心持がよく伝わってきます。 - 2023/08/29(火)
  • せいじ:障子が三冬の季語。作者は、新年を前に張り替えられた真っ白な明かり障子のある和室に座っている。冬の日は照ったり陰ったりを繰り返すことが多く、照るときは低い冬の日を白障子が受けて部屋も明るくなり自分の気分も明るくなるが、日が陰るとすべてが暗くなる。冬日の照り陰りが白障子の明暗となり、白障子の明暗が部屋の明暗となり、それらの変化が自分の気分にも影響を及ぼす。「躁」「鬱」の措辞に実感がこもっている。 - 2023/08/29(火)