念願の 更新情報 のページをCGIで作ることが出来た。 結城浩さんのホームページで初めて見たときからぜひぼくのホームページにも欲しいと思っていた機能である。セキュリティの関係でスクリプトは公開されていないとのことなので、自力で作るしかない。
タイミングよく結城さんの著書 『Perl言語プログラミングレッスン』 が出版されたので早速購入、一念発起してperl言語を勉強し始めた。結城さんから簡単なヒントを教えていただいて何とか試作バージョン完成。なかなかGOOD!(^^
礼拝に出席して少し気分が落ち着いた。今日は敬愛するK老牧師の説教だった。 新約聖書「ピレモンへの手紙」からのメッセージ。「主にあって・・」という言葉が何度も出てくる。 お話を聞きながら気持ちが落ち着いてくるのを覚えた。主にある平安はキリスト者の特権だとつくづく思う。
午後は教会学校の教師会、サマーキャンプの予定などについて話し合う。そのあと母の日のための準備などをして夕方帰宅。
夕食後、サイトの各ページの更新情報を表示するCGIスクリプトの試作をしてみた。結城さんにヒントを教えてもらっっていたので意外と早く出来上がった。ローカル環境のテストではうまく動作するがサーバにUPして動かしてみるとエラーになる。今晩は頭を休めてまた後日挑戦してみよう。いつもの事ながら結城さんに感謝。
何となく集中することができずただ無為に一日を過ごした。 添削やページレイアウトをちょこちょこ触ったりして気をまぎらそうとするけれど長続きしない。 祈っても祈っても心が乱れる。吾ながら情けない。
明日は礼拝。主よどうぞ弱い私を強めてください。
ドクターの話では彼は既に脳死状態。生命維持装置で生かされている。今日も仕事を終えてからお見舞いに伺った。奥さまは大分気持ちも落ち着かれておられる様子で少し安心した。安らかな表情で呼吸している彼の顔をみながら「ラザロよ起きなさい」と言われた主のお言葉を思い出しつつ心の中で祈った。
神さまどうぞ奥さまやご家族のうちに平安と慰めを与えてください。お子さん達はまだ小さくご家族の痛みは計り知れませんが、どうぞこのことを通して命の尊厳を教えてください。
昨日の未明、ぼくの職場の若い仲間が突然脳内出血で倒れたというニュース。 祈る思いで病院へ駆けつけたが、最悪の事態であった。出血した場所が悪くてドクターも手がつけられないとのこと、こんなに医学が発達した時代だというのにどうして?
彼はまだ35歳、奥さんと小さな子供たちが3人いる。 くやしい、悲しい、なぜ!と、思わず神さまに文句を言ってしまった。 あまりのショクに、さすがに昨日はパソコンに向う気力も無かった。 家族はクリスチャンではない。打ちひしがれておられる悲しみの姿を見るのはさすがに辛かった。
神のなさることは時にかなって美しい
というみことばが脳裏をよぎった。人間的には非情と思うようなことであっても、クリスチャンとしては、
全てを益と変えてくださる神さまのみこころ、ご計画のうち
と信じたい。 でも、あまりにもむごい現実を目の前にして仮に自分の身内の出来事であったとしてもこのみことばを信じて祈れるだろうかと自分を疑った。 いまのぼくには少しでもご家族の悲しみを主が癒してくださるように祈ることしか出来ない。
メールがおかしかったのはやはりサーバ側のトラブルだった。今日の午後には復旧したのでやれやれ。
体調今一、今日は早寝することにした。
今朝からメールが届かない。自分宛てのメールを出しても届かないのでメールサーバのトラブルかもしれない。現在問い合わせ中。
イースターの1週あとは先に天国へ召された人たちの写真を並べて「天国会員合同礼拝」を行う。そして午後は合同墓地へ移動して墓前礼拝。沢山の遺族の方が見えられ故人を偲んで懐かしく語り合う。墓苑までは貸切バスで移動するが高齢の方も多いので事故の無いように気を遣う。少し風は強かったがお天気が守られてよかった。-- 夕食後、昨日できなかった毎日句会の秀句選をする。
今朝早く、4月度月例句会の清記を作成してメンバーに配布した。今回からは自作のPerlスクリプトによる自動作成なので、あっというまに完成した。手作業と違って間違いもない。Perlのお勉強の成果を自分自身のワークに反映できて大いに満足。課題を作って勉強すると面白くまた効果的に学ぶことができる。
今日は雨降り。外へも出られないので静養という名目で一日パソコンと遊んでいた。各ページのレイアウトをMakeWeb4.0へ移行しているが、これが実に楽ちん。以前HTMLファイルを編集していたときの労力の数分の一である。そして今度のMakeWeb4.0で書き換えたHTMLはスタイルシート対応なので,スタイルシート一枚編集するだけで各ページの雰囲気を変えられる。ルンルン!(^^
ネットサーフでページにアクセントをつけるためのイラストを探す。イラストの選び方だけでもページの感じが随分と変る。ぼくも、すずらんさんのように自在にイラストが描けたらなぁ〜と思う。さてみなさんからの反応が楽しみだ。
昨日今日少しだるい感じがする。最近1週間ほど仕事が忙しく気を遣うことも多かったのが原因かもしれない。体調が悪いときには句の選や添削も不調になるので投稿してくださるみなさんに申し訳ない。できるだけ節制して体調を保つことも大切だと思う。
来週の終末から待望のゴールデンウイークが始まる。家内の里(広島)へ帰省する予定だが、車なので渋滞を避けられるか心配。自然に囲まれた美味しい空気を一杯吸い込んでリフレッシュを図りたい。
MakeWeb 4.0を使って少しずつページレイアウトの変更を始めた。限りなくシンプルで動作が軽く、且つ見やすくて少しお洒落にと欲張ったコンセプトであるが、さてみなさんの評価は如何に?
昨日何人かの方から、30,000アクセス突破のお祝いのメッセージを頂いた。感謝です。でもこれはぼくが頑張ったからではなく、神さまの祝福だと信じている。なぜなら、ぼくはホームページの運営に挫折し、閉じようと思ったことが何度もあったからです。そんなとき不思議なように誰かが祈り励ましてくださって思い直すことができたし、また俳句サイトとして立ち上げたつもりがなかなかメンバーが揃わず悶々としていたときに、これもあることをきっかけとして不思議なように活性化し始めた。ぼく自身は何の努力もしていないのに・・・
実はこれらのことはぼく自身が気持ちの上で行き詰まってしまって、「神さまどうか御心を示してください」と祈ったあとに変化が起きているのである。振り返ってみると結局自分の力で頑張ろうと思っているときには次々と問題が生じている。そして「ぼくの力ではだめだ」と自分の弱さに気づいて神様にSOSを出したときに神さまが働いてくださっている。聖書の学びを通して理屈では分かっているつもりだったが実際に体験してみてやっぱり神さまには勝てないとつくづく思う。神さまごめんなさい。ありがとう。
遅れていた先週の毎日句会秀句選を終えた。イースター行事の関係で遅くなってしまって皆さんにご迷惑をかけて申し訳ない。今日は添削をさせて頂いていて気のついたことを少し書いてみた。
まず最初に添削掲示板に投稿される方は全く初めて句を作られるという方が多い。無心に作られるので表現力は乏しいが素直なので添削で直して選リ易い。不安一杯で投稿された作品が添削で素敵な句に変身して幸せな気分になり、「俳句は面白い!」ということになって本気で取り組み始める。すると俄かに入門書などを読み漁ったり、難しい言葉やひねった表現をして「佳い句を作ろう」と構え始める。このパターンにはまると必ずスランプに見舞われるのである。
俳句は作るのではなく「感じる」のだと言ってもなかなか実感として理解しづらい。とにかく「これでもか、これでもか」と句を作って送ってこられる方はすぐに上達するが、あれこれ悩んで句が作れなくなり自信喪失になって作句から遠ざかるという方も多い。せっかくは俳句との縁が出来たのだから気楽に気長に付き合っていただきたい。
自然写生の意味を誤解して季語の説明を句に詠まれる方が多いがこれは間違い。例えばある花の美しさをいくら説明してもそれは既に了解していることなので「ああそうですか」という印象しか伝わらない。そうではなくどんな場所にどんな時間にどんな風に咲いているのかを写生するのです。また、その花の説明は一切しないでその周囲の状況だけを写生することで対比として鑑賞する人の連想によって広がりを感じさせる。これが余韻のある俳句を作る秘訣なのです。
ただ漫然と自然を眺めていても感動は湧いてこない。写真のことを知っている人は「マクロ撮影」ということを聞いたことがあると思う。要するに超近接撮影なんだがこの種の写真を見ると「あっ!」と驚くような発見をすることがある。俳句も同様でとにかく対象物に接近して焦点を絞り感動が湧いてくるまでよく観察することが大切で、そこに思いがけない発見がある。
歳時記をぺらぺらと繰りながら頭で考えた句をいくら量産しても進歩は無いし、苦しいだけで本当の喜びは見出せません。作句テクニックを習得することよりもまず感性を磨く方が優先されるべきなのです。歪んだ感性ではなく素直で正しい感性を身につけることが俳句修練の目的で、いいかえれば人格の陶冶(とうや)です。ひねくれた知性でひねりにひねった作品は俳句とも言い難いと思う。
アクセスカウンターの数字は気にしないようにしていてもやはり気になる。なんだかんだといいながらも、30,000アクセスを突破した。昨年の5月にHP開設以来、来月で丁度1年になる。10,000アクセスも行くかどうかと思われたのによくここまで導かれたものだ。
神さまに感謝!応援してくださったサイトの仲間に感謝!
今日はイースター。残念ながら受洗者はなかった。予定されていた人はいたが事情ができたらしい。 続いて祈ろう。礼拝前の教会学校、午前中の教会での礼拝司会と聖歌隊讃美、そして午後は伝道所での礼拝司会と盛りだくさんの奉仕だったので少し疲れた。でもとても充実感に満たされていて気持ちは軽い。もう暫く仕事も忙しいと思うが頑張らなくては!
礼拝前の教会学校では子供達と一緒にイースターエッグに絵を書いた。なかなか画才のある子供もいる。落書きのようなのもあるが子供達の説明を聞いているとそれらしく見えてくるから不思議だ。 いつも思うことだが子供達の素朴で純粋な感性には感心する。自然を見ても感動しない、そんな暇が合ったら家で寝ているほうがよい・・などという大人が多いが寂しいことだと思う。 子供達と一緒に遊んだり話したりしているととても楽しくなり希望と勇気が湧いてくる。
幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
と、いわれたイエス・キリストの言葉を深く思う。
CSの子供たちと教会の近くをハイキング。明石天文科学館の裏にある小高い人丸山の頂上から明石大橋と明石海峡が一望できる。そこから新しく出来た海岸公園まで歩いて公園でお弁当を食べた。渚公園には小蟹がいて子供たちは大はしゃぎだった。そしてこんなに素晴らしい自然を創られた神さまのことをお話して、公園中の人たちに聞こえるくらい大きな声で讃美した。 午後は空模様が怪しくなって来たので少し早く切り上げて教会へ・・ でも、子供たちは大満足だった様子。 素敵な休日をプレゼントしてくださった神さまに感謝。
GHの各ページを MakeWeb 4.0に移行させる準備をした。とりあえずこの日記の関連は移行完了。 随時移行をして行く予定。いろんなノウハウをスクリプトの作者の結城さんに教えていただいたので、ページ作りが楽しくてルンルン気分。結城さんありがとう。
ここ2、3日気ぜわしい日が続く。決算業務は一応終わったのだけれど、 何だかんだと修正があったりしてバタバタしている。 ばか陽気になったかと思うとまた冷たい雨が降ったりで体調も怪しくなってきた。
あすは教会学校の子供達とハイキングの予定。お天気が守られるように、事故が無いようにお祈りします。アーメン
早速新しい を取り入れて日記を更新。 まだまだぼくの知識では理解できない部分もたくさんあるが、とりあえず体裁はよくなった。 3月の日記と比べていただくとよく分かると思う。
結城さんの作られたスクリプトをよく見ると、コメントアウトされている部分にいろいろ 試行されている形跡が残っていて最終的にはもっと素晴らしい機能になりそう。楽しみだ。
昨日何気なく結城さんの日記を見ていたら、何とぼくのことを書かれていて驚いた。とても嬉しかったし、新しいMakeWebはこんなこともできるという実例としてその記事を転記させていただいた。結城さんありがとう。
> ゴスペル俳句のみのるさんの日記を興味深く読む。 > いままでHTMLで管理していたページを結城のMakeWebを > 使ってテキストファイルで管理し、またたくさんのCGIを導入し、 > 結城の『Perl言語プログラミングレッスン』入門編を読みつつ > 自分なりのカスタマイズをなさっている。 > すごく意欲的に、また素直な心で、さまざまなことをやろうと > している姿には頭が下がる思いがします。
礼拝日和に恵まれたきょうは、出席者も多くて嬉しかった。青年会の連中は親睦会をかねて花見に行ったようだ。ぼくもついて行きたかったけれど、家内に「お邪魔虫よ!」と一喝されてあきらめた。
礼拝のあと同じ教会員で親しくさせていただいている有名な陶芸家の「Kさん」のお家へ招かれた。美味しいお饅頭とお茶をご馳走になりながら、アトリエを見せていただいたり陶芸のお話を聞いたりして時の経つのを忘れた。結局、陶芸にしろ俳句にしろ大事なのは感性であって、決して技巧ではないという結論でお互いに共鳴した。もちろん技術も必要だが感動して作っていない作品には命が無いと思う。
この日記やホームページの管理に重宝している結城さんのテキスト→HTML変換用のperlスクリプト「MakeWeb」がバージョアップされた。スタイルシートを導入されたのでページの体裁を整える機能が自在になっている。ある程度スタイルシートの知識がないと機能を活かしきれないと思うけれど、新しいMakeWebで書かれた結城さんの日記はとても読みやすくなっている。物まねが得意なぼくは早速挑戦しようと勉強中・・・
約3ヶ月かけてようやく俳句吟行用語集のデータ入力が終わった。フー!!疲れた。
もう少し便利に検索できるようにしたいと考えているが、とりあえずひとやすみ。データさえあれば加工は後で出きると思う。ぼくは俳句を作り始めた頃この用語集が随分役に立った。俳句は言葉の種類を知っているほど表現力が向上するからだ。この用語集の基になった資料には関連した例句が沢山載っているが、著作権に抵触するので例句の転載は控えた。ほんとうは言葉の使い方をよく理解してから用いないと意味不明の句になる危険がある。次の課題は古語用語集だがどちらかというとぼくの苦手な世界なので誰か助っ人が現れてくれないかと思う。
昨日に続いてperl言語(プログラム言語の一)のお勉強。きょうは互選の結果をperlで作成するスクリプトに挑戦。意外とうまくいった。 みなさんからメールで届く選句データをコピー&ペーストでリストにし、昨日作った清記データ生成スクリプトと連携することで一瞬に互選結果が生成される。もう少しテストしてみて大丈夫なら早速4月の句会から使えそう。
今までは表計算ソフトを使って手作業で行っていたのでミスが続発してみなさんに迷惑をおかけしていたが、これでかなり精度が上がると思う。この互選結果生成スクリプトは2点以上の高得点句も自動的に抽出できるようにしたので、あとは一句評の自動生成スクリプトができれば、大半の作業が自動化できる。 全体の部品が完成したら、システムプログラムに組み立てて他のインターネット句会のホームページでも使っていただけるように公開したいと思う。果たしてそんな日が来るかどうか分からないけど・・・。
月例のたびに全員の投句作品を順不同に且つ同じ投句者が隣り合わないように手作業で清記を作っている。 何とかこれをperlで自動処理したいと思ってテストプログラムを作ってみた。
まず一行ずつのデータを乱数を使ってシャッフルする方法を試みてみた。一応それらしい結果は出るが今一満足できる結果ではなかった。しばらく頭を冷やして、実際の句会のときにどのようにしているかを考えてみた。 一句ずつ短冊に書いて一人5句ずつ投句するが、一枚ずつの短冊を間隔をあけて机の上に横に並べてゆく。次々と投句していくので最終的に5組の短冊の山ができる。一つの山には同じ投句者の句は無いことになる。つぎに5組の短冊のやまを一つに重ねて、ひとり5枚ずつ間配っていくのである。配られた短冊をさらに順不同にこんどは一人一人が清記用紙に書いて行くのである。
結局これと同じことをperlですればよいことに気づいて早速スクリプトを書いてテストしてみると、全データを5組の山に分けるのは簡単に出来た。このままでも十分だと思ったが実は一句ずつの順序は規則正しく並んでいるので、5組の山の各グループ毎に乱数を使ってシャッフルすることにした。何度かテストしたが今度はほぼ完璧の結果だ。単純で手間のかかる作業はperlで自動化すると本当に楽ができる。
perlレッスン書をよんで分かったつもりのことがなかなか出来ない。逆にこつこつと自分でスクリプトを書いて復習して行くと実に理解が早い。そういえば、結城さんも著書の中でそんなことを仰っていたような気がする。さてこれでperlでインターネット句会システムを構築したいという夢はなんとか第一歩を踏み出したことになる。めでたしめでたし。
きょうはひとりの句会メンバーからとても嬉しいメールを頂いた。
添削や投稿句の選は決して疎かに出来ないのでとても神経を使う。だから添削や選句の結果を読者の方がどのように受け取られているかということはとても気になるし、投稿された方がどんな期待感をもってこのページを開かれるかと思うと、何とか一句でも添削して選びたいと何度も何度も見返すのである。
今日頂いたメールには始めは理解し難かった添削の内容も、回を重ねるごとに少しずつその意図がわかるようになってきたと仰ってくださった。添削の意図を汲んでいただいて、そしてそれを受け入れていただけるというのはとても幸せなことで指導者冥利に尽きる。
学ぶということは「信仰」と同じだというのがぼくの持論である。指導する側とそれを受ける側との信頼関係があってはじめて実を結ぶもので、疑心のまま学ぶことは空しい。ときどき、原句のどこがどうゆう風にいけないのか等々論理的に説明してくれと食い下がられる方がある。もちろん説明はできるが、そうした議論や知識を重視する姿勢は創作の邪魔になるということを何度も説いているのをなぜ信じていただけないのかと悲しくなる。忍耐して開眼されたみなさんからのメッセージによって一人でも多くの方に信じて頂けるではとも思う。
会社は今人事異動の時期、サラリーマンの宿命とはいえ異動の当事者にとっては悲喜こもごもの受け取り方があるようだ。ぼくも入社以来5回ほど異動経験をしているが、幸いわが社は地方転勤というパターンはまずない。-- それでも人間関係とともに職種まで変ると本当に神経を使う。近年は不況のあおりで合理化の波が押し寄せ不本意な異動に甘んじる人も多い。
ぼくも昔は異動の度にとりこし苦労をして神経をすり減らしたものだが、最近は何事にもプラス思考で対処できるようになってきた。心配したり悲観的に考えても事態が好転するはずは無いし、神さまが導いてくださることを信じて前向きに取り組む方がむしろ良い結果を生むことが多い。異動後の不安で萎縮している若い連中をお茶に誘ってはそんな体験を話し、「祈ってるからね」と励ましている。
今日は教会で通夜があり250人ほどの参列であった。初めて教会へこられたかたも随分折られる様子。 ひとりの長老の死を通して神さまが働いてくださり、参列者のお一人お一人にとってキリスト教信仰へ導かれるきっかけになればと祈る。
きょうは思いがけない訃報を聞いた。教会の長老でありわたしたちの良き理解者であったかたが召されたという。享年71歳であった。何度かお見舞いに伺ったが、そのたびに祈ってくれといわれてご一緒にお祈りしたことを思い出す。奥さまは早くからクリスチャンであったが、亡くなられたご主人は奥さまの永い永い祈りが聞かれて晩年に救われた方である。とても洗礼を受けられるとは思えない方だったのに、受洗されてからは180度変られた。教会役員としてまたギデオンの勇士として熱心に奉仕され神学校の聴講にも行かれた。彼の大変身をみてほんとうに神さまに不可能って無いんだなぁ〜、とつくづく思ったことであった。
最近になって入退院をくりかえしておられたので案じていたけれど現実に死を知らされるとやはり悲しい。「私たちの国籍は天にあり」という聖書のことばどおり、クリスチャンにとって死は悲しいことではなく地上での使命を果たし終えて、先に召された方々とともに永遠の命に生かされる天の御国への凱旋なのである。
ぼくも母親を天国に送り(70歳)、続いて父親も見送った(82歳)。父がなくなってからもう16年が経つ。肉親の死という現実を前に理屈ではわかっていてもやはり絶えられないほど悲しかった。”人間は必ず一度は死ぬ”という紛れもない事実を認識させられた。若いうちや健康なときには自分が死ぬということは考えたことも無かったけれど、老骨の身となった昨今はときどき自分の死というものを考えるようになってきた。神さまの召しがあるのは明日かもしれないと思うと、本当に一日一日を大切に生活しなければという気持ちになる。
わたしにはこの世に残せる事業や地位、名誉や財産などというものは全く無い。でもほんとうに立派な作品は残るはずだし、微力ではあっても伝えた感動や俳句のこころはそのひとの心の中に刻まれるはずだ。どんな形でも、たといわずかでもいいから、イエスキリストのよき福音のかおりを伝えるものとしての使命を果たしたいと祈る。
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