やまだみのる

句を拾う

吟行で句を詠むことを、「句を拾う」という言い方をします。吟行に行って句材と出会い、あるいは発見し、そしてそれを拾うという意味です。

つまり俳句は頭で考えて創作するのではなくて、 生活の中の変化や自然の摂理との出会いによって授かるものだという概念から来ているのですね。

吟行句会では、よく他人の句を見て「しまった、やられた!」という体験をします。 同じ場所を見ていたのに自分は句にすることができずに悔しい思いをすることも少なくありません。

句を拾うことはテクニックではありません。感性です。 わかりやすく理解していただくために、一枚の絵ができあがるプロセスを例に説明します。

句を拾う秘訣

戸外にでて写生をするとき、所かまわずいきなりスケッチを始めるでしょうか。 違いますね。まず、散策しながら、絵になる対象を探します。 そして「ここだ!」と感じた点景を発見したらその場所を動かず、 今度はそれを写生するのに一番適したアングルをいろいろと試行するはずです。 そして最後に画架を立てるんですよね。

どうです、吟行で句を拾うプロセスと似てるでしょう。 画風とか筆のタッチというようなテクニックは、俳句で言えば、語彙の豊富さとかことばの表現法とかになると思います。

そうしたテクニックより前に、画材(句材)との出会い(発見)、その捉えどころやアングル(視点)、 といったことが重要なのであり、「この材料は絵(句)になる!」という、 一種のひらめき(感性)を養うことが最優先されるべきだと思います。

空想画というジャンルが存在するように、想像で句を作ることももちろん可能です。 しかし、そのためには多くの過去の体験や記憶というものが土台になっているから、 それが可能になるのではないでしょうか。多くの名画を見ることが絵の創作にも約立つように、 秀句をたくさん鑑賞してインプットしておくこともまた有効な学びです。

(2002年5月21日)