らんおうのごとくにひありふゆのくも
よし女:冬の雲の中にお日様が卵黄のように見えるという表現が、言われてみれば本当にそうだと納得できますが、こういう表現は出来ません。
たけし:冬型気圧配置の太平洋側、すなわち冬の晴れた日、西から東へ、静かだけども結構早く流れる明るい雲があります。たまたまそういった雲が太陽を遮ると、半熟の目玉焼きのように、太陽の位置がかすかに分かります。夕方でしたら茜雲になります。
ちやこ:冬の雲をとおす日は、「ギラギラと照る」というのではなく、もってりとした明るさで「卵黄のごとくにある」は面白い表現です。うなずけます。
みのる:誰もが一度は実感したことのある情景だけに、納得しますね。「ごとく俳句」はコロンブスの卵のようなものです。こうした実感を捉えるには、幼子のような、素直で柔軟で直感的な感性をもつことが大切ですね。常識や知識が働くとそれが出来なくなります。
みずどりのくちしゃくりつつみずこぼす
よし女:我が家近辺で水鳥のこのようなしぐさはよく見かけイメージは出来たのですが、「しゃくりつつ」が言葉として理解できなくて、辞書をひいてみました。くぼむようにえぐる、すくいとるとあり、情景がはっきりしました。景はなんとなく解っても、言葉にならないことってたくさんありますね。「しゃくる」もこういう使い方があるんだと納得しました。
とろうち:これはよく分かります。水ごと餌をすくって水だけこぼしちゃうんですよね。なんとなくユーモラスな仕草です。
登美子:名古屋の干拓地、京都の賀茂川で鴨、かいつぶりを見てきましたが、きっと水に潜ってそれからのしぐさのことではないかと思います。本当にカイツブリはよく潜りますね。大食漢なのでしょうか。
たけし:こういった行動は雁、鴨などの草食性の水鳥に共通のしぐさでしょうか。一昨日の朝の渡月橋付近でもたけしはおしどり・鴨の採餌行動を沢山見たけど、ああかわいいな、と、ただ見た、というだけですね。反省しきりです。ところで、草食性の水鳥の肉は臭みが無くておいしいんでしょうね。
みのる:「水こぼす」が、実に具体的ですよね。普通なら、「水鳥の口しゃくりつつ餌を採りぬ」と説明してしまいます。水こぼす・・は、言えそうで言えないことばです。 ちょっと不思議なのは、ぼくなら「嘴(はし)しゃくりつつ」にしたと思います。先生が、あえて「口」とされたのには意味があったのでは・・と考えてみましたが、解りませんでした。
ちづかありわがしらいきをたむけけり
敦風:東国征伐の帰途、伊吹山の神と戦い傷ついた日本武尊(やまとたけるのみこと)が、険しい杖衝坂を登り、足が破れて出た血を洗浄したところだと云うので、日本武尊御血塚社という小社があります。句の「血塚」と云うのはこれのことでしょう。古代の神話伝説の中で、日本武尊は悲劇的英雄として知られています。父王の命に従って西に東に戦い、個人的にはついに報いられることなく、上記の血塚を過ぎてしばらくして、大和へ帰りつくことなく死んでいます。ここ日本武尊ゆかりの社。冬の一日、そこに立つ私の白い息。日本武尊よ、この私の白い息をあなたに手向けよう。せめて、これで、あなたの流す赤い血の痛みを和らげ給え。句はそういう謂いだろうと思います。自分の息の白と、伝説の英雄の血の赤とを、鮮やかに対比させての鎮魂歌。そう思います。
よし女:誰のか解らないけれど、血塚がありそれに白息を手向けけりと、塚に白息を手向けたというのがいいですね。物でなく、白息というのが詩なのだろうと、納得です。首塚とか刀洗塚とか千人塚とか、いろいろ目にし耳にしますが、血塚というのは珍しいと思いました。
たけし:上五の“血塚あり”から、やっと血塚に辿り着いた、という感じを受けました。急坂を登ってきて息も少し切れています。冬の寒い日、血塚を見ながらはずんだ息が収まるのを待つ青畝師がいます。
初凪:血塚という悲劇の匂いのする塚を見て、作者はきっと胸が痛んだのだと思います。あまり目立たず供花も供物もない塚ではなかったでしょうか?寒い、寂しい場所に葬られている者に対して、指先に息を吹きかけて温める母親の様な気持ちで白息を手向けたのだと思います。上五の「血塚あり」がその塚を見た時の小さな衝撃を伝えているようにも思えます。
とろうち:「血塚」を調べてみたのですが、辞書には載っていませんでした。でも首塚と同じように、なんらかの血が流された場所なんでしょうね。たまたま歩いていたら「血塚」なるものがあった。花もなく香もないけれど、塚に秘められた、おそらく凄惨で哀しい歴史に対して、せめて我が息なりとも手向けようと、静かに手を合わせる姿が想像されます。イメージとしては天気は曇り。雪催いの肌寒い日の午後という感じがします。
嘉一:血塚からの連想は十字架のイエスが墓に葬られたことです。青畝さんの胸中にイエスへの思慕がふと浮かんだのではないでしょうか。深読みでしょうか。
みのる:血塚と白息との取り合わせがうまいですね。これはたぶん、河津三郎の血塚(伊東市指定文化財史跡)だと思います。ネットで検索すると、以下のような説明がありました。
河津三郎遭難の場所。供養塔を造り、血塚として伝えられる。
場所は八幡野から浮山へ向かう135号線を右折し旧道をゆっくり1分位走ると 左側に小さな看板に河津三郎の血塚とある。
1176(安元2)年10月伊東祐親に恨みを持つ工藤祐経(くどうすけつね)が祐親一族の殺害を指示、 椎の木三本(現在椎の木はない)から矢で伊東祐親の長男河津三郎祐泰を射殺すが、祐親は難を逃れた。 後に祐泰の子、曽我十郎、五郎兄弟は父の仇、工藤祐経を討つ。(曾我兄弟の仇討ち)
血塚については特定せず、皆さんの解釈のように、いろいろ連想するのも悪いことではありませんが、河津三郎の血塚と限定して鑑賞すると、曾我物語にまで連想が広がり、より具体的になりますね。「白息」という措辞には、哀しい物語に登場する人々を悼む作者の思いがこめられています。
ぜっぺきははつかんせつにしたがはず
ちやこ:冷たくそそり立つ絶壁が思い浮かびます。雄々しく威圧感さえ感じられます。真冬の真横に吹き付けるような嵐の日の雪でもなければ、この絶壁を白くすることはないでしょう、否それとてあるかどうか。
登美子:初冠雪の頃は地肌をむき出していることでしょうが、極寒に入り横殴りの吹雪ではやはり雪に覆われてくることでしょうね。青畝師は何を云わんとしているのでしょう。孤高の人を・・・でしょうか?
よし女:山に始めて雪が降りました。初冠雪って好きな言葉ですね。「その山の絶壁部分は雪に染まらずまだ剥き出しのままだなあ。そのうち真っ白になろだろう」と、雪山への期待感も含まれているように受け取りました。初冠雪に従っていない、そこだけまだ雪が掛かっていないことを「したがはず」と表現されたのではないでしょうか。うまい表現だと感心しているのですが。
敦風:初冠雪が山々を白く覆った。と見ると、絶壁の部分だけ雪に覆われず、地肌のままである。冠雪の一面の白と、絶壁の部分の、その形のままの、雪に従わない黒い地肌のコントラスト。この景の面白さを、読者の眼前に描いた句。「したがはず」の措辞がきいている。人間の何かへ反映した思いは、それは読者の側のことであり、作者の方からは、そこまでの積りはないのであろう。
一尾:絶壁も山頂も山の一部である。やあ初冠雪だ、あれあの絶壁だけは何故か露出しているよ。おーい絶壁君山頂は雪を被ったよ。そろそろ君も駄々をこねずに雪を被ってご覧と囁く山に、頑として応じぬ絶壁君。それも良かろうよと認める峻厳にしてかつ雄大な冬山に思いを馳せる。
とろうち:一読、昇仙峡のような峡谷を想像しました。上の方には白く雪が積もっているのに、その絶壁はそれを拒否するかのように冷たく蒼い岩肌を見せている。変な話ですが、私はこの句に裸の、褌一丁の漢の背中をイメージしてしまうのです。現状に易々と従わない、男の意地のようなものを感じてしまうんですよね。作者にはそんな気は無かったとおもいますが。
たけし:積雪量20〜30cm程度の初冠雪では雪がつかないけど、積雪量が何メートルにもなる厳冬期には雪が付いてしまう北アルプスの斜度50度前後の壁を詠っているんでしょうか?それ以上の斜度になると積雪量4〜5mの厳冬期でも雪がつかないようです。
次郎:作品はいったん作者から離れると一人歩きしその解釈は読者に委ねられる。その上、「したがはず」として絶壁を擬人化しているのでこの句は単なる風景描写ではないことを作者は宣言しているように思える。そこで次のように解釈した。当時、作者は創作上或いは信仰上で考えるところがあり時流に乗ったり或いは流されることをよしとしない気持ちがあったのではなかろうか。 そのような時、ふと見上げた景色からこの句はすらすらと詠まれたように思える。絶壁は作者の信念であり初冠雪は時流に対比される。ところで、この句は諺としても通用しそうですね。ということは諺や成句に季語を付けると面白い俳句になる? 例えば、「学問に王道は無い」--->「学問に王道は無し除夜の鐘」駄目かなぁ〜
みのる:山を愛する人にとって、初冠雪というのは感慨深い情景ですね。短い秋が去りいよいよ厳しく長い冬の季節を迎える。たけし解にあるように、恐らく厳冬期には雪で覆われる斜度の壁なのでしょう。雪を頂いた部分とまだそれを許さない部分とのコントラストが美しいですね。俳句は一幅の絵です。ことばで具体的に写生し、鑑賞する人の連想によって素敵な絵になるのです。薄っすらと雪化粧して穏やかな山頂、そこからなだれる急峻で深い山襞の様子が目に浮かぶようですね。青畝先生の作品は純粋な客観写生。句に託して他意を述べるということはありません。
みちづれとわかれてよものさむさかな
こう:言葉の斡旋のよろしさに感動します。みちづれ・四方の寒さ。これは、人生の道連れと訣れて、俄かに四方から、迫ってくる寒さを詠ったと思います。勿論、たんなる道連れと取れないことも無いけれど、訣れて・・が重いので。それにしても、そくそくとした寒さが感じられる。
登美子:みちづれとは奥様のことでしょうか。私は四方がとりわけ寂しさをせつせつと表していると思います。
たけし:こうさんの言われるように、訣れて、が重たく、永遠の別れをいっているように感じました。
よし女:私はあまり重たくは受け取りませんでした。何かの会合の帰りに誰かと道連れになり、その人と話しながら歩いているときは、あまり感じなかった寒さが、さよならしたとたん、身に沁みる感じを詠われたのだと思いました。こういう感じをいつか、何回か私も経験したように思いましたから。
とろうち:これは誰にでも経験のあることではないでしょうか。ぺちゃくちゃ連れ合いと話していた時は感じなかったのに、じゃあ、と別れて一人になったとたんに、ぶるっと身震いするような。こういった句なら詠めるかなーなんて思ったりもしますが、なかなか思い浮かばないですね。
ちやこ:はじめは、吟行かあるいは用事でどなたかと出掛け、道すがらは話をしたりしているので気付かなかったけれど、「じゃあ」と別れた時から急に寒さが身にしみた。というような光景を思いましたが、気になって「訣れ」を調べると死別するという事です。だとすると奥様を失っての句でしょうか、「寒さ」が心の奥底にまで染み込んで来るようです。
とろうち:ちやこさんのコメントを見て私も調べてみました。たしかに、じゃあね、くらいの別れの言葉ではないですね「訣れ」という字は。と、なるとやはり「みちづれ」というからには奥様でしょうか。「四方の寒さ」という言葉が急に重たく感じられます。
みのる:二通りの解釈に分かれました。即物写生という意味では、つい先ほどまで一緒だったつれの人と別れた・・という方がリアルなので、ぼくもそうだと思いました。でも、ちゃこ解のように、「訣れ」は「訣別」という意味で使われるので、先生が意図してこの漢字を選ばれたとすると、つれあいとの訣別ということになります。作品は昭和5年の御作なので、ちょうど先の奥様が病気で亡くなられた頃になるかもしれません。「四方の寒さ」という措辞からは、身の置き所がないほど空虚で寂しい思いがひしと感じられます。
よし女:「訣れ」が「訣別」の意味だと納得していたのですが、誰なのかあれこれ調べているうちに書き込みが遅れてしまいました。私の手元にあるほんの小さな年譜によると、先の奥様が亡くなられたのは S8年となっています。その前 S4年に「かつらぎ」を創刊されているので、この句が S5年の作ということなので、俳壇での心のよりどころにしていた方との「訣れ」なのかと思ったりしたのですが。
みのる:はっきり調べないで失礼しました。
>昭和8年、34歳。1月13日、愛妻貞が死去した。
とありますから間違いありませんね。とすると、よし女さんの仰るとおりかもしれませんね。 少し調べましたが、この時期で思い当たるひとはありませんでした。
てんをつくメタセコイアはかれにけり
ちやこ:つい最近メタセコイアがどの木なのかを知ったばかりです。その木の存在はずっと気になってました。真直ぐに伸び、格好がよく見事な姿でいかにも針葉樹です。私の認識の中では針葉樹は常緑樹と思っていました。ところが、不思議な事にこの木は、冬は枝だけになり、春になると若葉で、秋になると錆色に染まります。一体どうしてだろう気になっていたところ、先週の土曜日「メタセコイア」という名前を聞いたのでした。調べてみると『落葉針葉樹』ということなので納得。正にこの木は「天を突く」風貌をもち、この木が枯れる姿には圧倒されるものがあります。
敦風:メタセコイアはまことに大きい。まさに天をつく趣きがある。針葉樹の仲間らしいのに、秋には紅葉し、葉を落として行く。落葉性の針葉樹である。おお、メタセコイアが枯れたなあ。そういう驚きにも似た気持ちを「…は枯れにけり」が表現している。作者と一緒になって、メタセコイアを見上げて、その景観を楽しんでいる。そういう気持ちにさせる句である。
http://had0.big.ous.ac.jp/~hada/plantsdic/gymnospermae/taxodiaceae/metasekoia/metasecoia.htm
竹子:敦風さんのご紹介のサイトでメタセコイアの和名、あけぼのすぎと知り、はっと思い当たる和歌がありました。
”わが国のたちなほり来し年々にあけぼのすぎの木はのびにけり” (昭和六十二年の歌会始めの昭和天皇の御製)
こう:一読して驚きました。あのメタセコイアが枯れるとは?枯れたメタセコイアを見たことが無いので想像がつきません。青畝師は、何を言わんとしているのでしょうか?バベルの塔をみたとの心でしょうか?何かの啓示をかんじられたのでしょうか。
よし女 :生きた化石と言われ、恐竜の食糧であったというメタセコイア。天を突くとあるので、きっと大きいすっくとしたものなのでしょうね。それが枯れれば、本当に驚きます。その驚きがこの一句に込められているのだと思います。
初凪:他の木ではなく、このメタセコイアが枯れた、と作者は驚きとともに命あるもののはかなさをもこのお句で言いたかったのではないでしょうか?
登美子:メタセコイアのことを色々お教え下しまして、ありがとうございます。この枯れにけりは落葉したことを言っているのではないのでしょうか。枝が顕わになって、枝振りがすがすがしく見えていると解釈しました。
たけし:メタセコイアは良く見かけます。会社の近くの豊崎の公園には樹高30m近いのが何本も有りますし、私が良く行くるり渓ゴルフ場はメタセコイアがシンボルツリーで、ホール毎に、メタセコイアの右狙いとか、左狙いとか、目印にしています。自然樹形が美しい円錐形の木で、成長が早く枝打ち不要なのが喜ばれるんでしょうか。今は丁度紅葉の盛り、針葉が茶色に紅葉します。さながら枯れたよう。芽吹きの時、夏のメタセコイア、茶色の紅葉、それが落ちて木の下が茶色に染まった時、そして枯木の風情、たけしはメタセコイアの全てが好きです。青畝師は、茶色に紅葉した30mを超す大メタセコイアを詠ったのではないでしょうか。
次郎:この句の季語は枯木だと思う。俳句の場合、枯木は枯死した木のことではなく秋から冬に掛けて落葉して枯れたように見える木を指す。従って最初に登美子さんが指摘したように落葉したメタセコイアを詠んだ句と解釈できる。
みのる:喬木のメタセコイアは、樹形の美しさが特徴でどの季節に見ても実に風格がありますね。 ぼくは、芽立ちのころが一番好きです。さて、揚句は「枯木」が季語なので、登美子解のようにすっかり葉を落として立ち尽くしている姿です。唐松に似て、大空に網目のように枝を張って仁王立ちしている裸木の姿はとても荘厳な感じがします。セコイアは美しい円錐形で尖った感じが強いですから、「天を突く」の措辞がピッタリです。単なる報告の句ではなくて、「枯れにけり・・」で、春や夏には青々としていたのにすっかり枯木になってしまったなぁ〜という、感慨が隠されているのを見逃してはいけません。生きた化石植物といわれるメタセコイアも、今日では日本中で見られます。初代といわれている大樹が神戸六甲の森林植物園にあって、ぼくも毎年何度か訪ねます。この公園のセコイアはそれはそれは見事です。
よせなべやほこをむけたるかにのつめ
よし女:蟹の爪はこうして句にされていると、本当に鉾のようだと納得します。それが寄せ鍋の中にあって、自分の方を向いていたら、好物であっても一瞬たじろぎます。箸でも取りにくいし。 鉾を向けているような蟹に戸惑っておられる、青畝先生を想像して、ふっと、おかしみも感じます。「鉾を向けたる」をなるほどと思いました。昨日のセコイアの句の解説に セコイアの鉾を立てたる目立ちかな みのる があり、この句も鉾の語で、目立ちの頃のセコイアの様子がよく解ります。しばらく鉾、鉾と探して歩くことになりそうです
たけし:鍋の中の食材まで句材になるという事は、わざわざ吟行に出掛けなくても俳句を詠めるということじゃん。今日の鍋は何だったっけ、うん!青森のじゃっぱ汁、味噌仕立てで鱈と大根と葱と油揚げと豆腐が入っていたな、どれも旨かったな、あかんあかん、鍋旨しじゃ俳句にならん、明日の鍋は箸をつける前にまず観察じゃあ。明日も鍋にしてもらおうっと。蟹の爪も入れよっと。
次郎:穏やかな円形 --鍋-- とその中に在る鋭角的な形状 --鉾に例えられた蟹の爪-- との対比が先ず印象的。穏やかな円形の鍋からは、湯気と食欲をそそる匂い、また程好い酔い心地と愉快な会話が連想される。しかし、その円形の中には食物連鎖の最上位に位置する人間に向けられた鋭い視線もある。食物連鎖の頂点に立つ人間は傲慢であってはならない、青畝師の客観写生を見て一読者はそう思った。
次郎:今日は別の感想を持ってしまった。この句の中に諧謔味を見出すことも出来る。寄せ鍋だ。おや、鍋の中の蟹の爪が鉾先のようにこちらに向いているぞ。蟷螂の斧を思い出させてちょっと可笑しいな。おいおい蟹君よいつまでも無駄な抵抗はやめたまえ。鍋の中の蟹の爪を鉾に見立て面白味を見出して詠んだ句、と素直に受け止めてみる。
みのる:たけしさんの言はれるとおり、青畝先生にかかると何でも句になってしまいます。これは、あまたの写生修練を積まれた結果です。先生の域に到達することは無理でも、少しでも近づきたいですね。蟹すきではなくて、寄せ鍋というのが上手いと思います。他の材料に埋もれていて、そこから真っ赤な太い爪の部分が見えている・・という、リアルな情景が目に浮びます。滑稽味はありますが、何かを比喩するという狙いは感じられません。
はしりねにちょうなのあとやふゆやまじ
たけし:森を切り開いた山道を走り根が横断している。ひときわ大きな走り根に手斧の跡があった。登山の邪魔になるから取り去ろうとして、大きすぎて果たさなかったんだろうか?それともこの走り根をとったら上の木が枯れる畏れがあると気付いて途中で止めたんだろうか?
こみち:「手斧の跡」にひっかかっていましたが、なぜ?と考える必要はないのかもしれないと思いました。木々の葉が落ち尽くして明るい冬の山路を辿って行くと、手斧の跡がついた走り根が現れた。樵がここまで仕事に来たのだな、と懐かしいような気持ちではないでしょうか。
次郎:冬の山道を歩いていると前方に走り根を見つけた。近づいてみると走り根にはなんと手斧による傷が痛々しく付いているではないか。手斧の跡は新しく周囲の冬景色とは異質で生々しいものだったと想像される。そこに青畝師はある種の感慨を持たれたのだと思う。人里離れた淋しい冬の山道、そこに見つけた人手の最近の痕跡。ここで、石田波郷を真似て景の構成に注目してみると、上5走り根の中景から中7手斧の跡の近景にズームインしたあと、下5で一気に冬山路という包括的な景にズームアウトしている。かなり明確にカットバックに近い手法の存在を認めることが出来る。景の変化に注目するとこの句の醸し出す情景が一層鮮明にイメージされる。
とろうち:走り根に手斧の跡があった。ただそれだけのことだと思います。でも「冬山路」が動かない。春でも夏でも秋でもだめ。葉が落ちきって明るくなった山道。かさかさと乾いた山道にある走り根の傷跡は、痛々しくはあるけれど、どこか生々しさを感じない。それは「冬」の「山路」だからでしょう。
よし女:冬の山路でふと眼にとまった風景が一句になったような、写生句に受け取りました。何かの暗示とかはなく、純粋な写生句ではないでしょうか。
次郎:なにぶん感性が乏しいので「冬」の「山路」だとどうして生々しさを感じないのか分りません。生々しいかどうかは傷が付いてからの時間経過によるのであって季節や状況には依らないと思うのですが?もっとも最初は私も傷の新旧は漠然と考えていました。しかし、ここはあえて「冬」の「山路」とはミスマッチで生々しかったとするほうが、インパクトがあり面白いかと。
とろうち:次郎さんのコメントにどうお答えしようかと、しばしパソコンの前で考えてしまいました。うーんなんと言えばいいのかな・・・。やっぱり「冬」だから、としか言えないです。私の冬のイメージとしては、冬=乾いている、生命力の停滞といったものがありまして、それゆえに生々しく感じなかったということなんです。春や秋だと傷から水を吹き出しちゃう。夏だと生命力が溢れすぎて傷すら気がつかない。あくまでもイメージですよ。もちろん、次郎さんの仰るとおりミスマッチの句なのかもしれない。ただ、私にはそういうイメージが湧かなかったということです。漠然としたものを文字にするのは難しいですね。だからこそコメントすることが大事だとは思いますが。
一尾:手斧の跡に山肌に根を張る木の執念と冬山に働く杣人のご苦労を感じます。
みのる:詳しいことはぼくも知りませんが、大掛かりな枝払いなどのために杣人が山へ入るのが、雪が深くなる前の初冬の頃なのではないのでしょうか。仕事の手を休めて一服するときなどに、作業中の手斧を傍の走り根にチョンと食わせておくようなことはあると思います。そんな跡を見つけられたと思います。よし女解のように、素直に冬山路の一点景として鑑賞すればいいと思います。
やまのえにやまあるたんばくすりぐい
こみち:「薬食」・・寒中の滋養のために鹿や猪の肉を食べることをいうのですね。昔は肉食を嫌ったから、と歳時記にありました。訪れたことはありませんが、丹波は「山の上に山ある」イメージですね。その山中で紅葉鍋か牡丹鍋を召し上がったのでしょう。体があたたまって、満足してらっしゃる先生のご様子が想像されます。
よし女:薬食と言う季語はとても面白いですね。兼題で出されればいざ知らず、私はちょっと使う事の出来ない季語です。信仰的な意味合いで、日ごろは食べない動物の肉を、山国の厳しい寒さに耐えるために寒いときには口にしたというのも、昔の人の生活のしかたを想像したとき、解るような気がします。猪鍋は美味しいですし、牡丹鍋という言葉も美しいです。この句の丹波の地名が「山の上に山ある」の言葉で、しっかり表現されていると思いました。
たけし:又一つ勉強しました。丹波篠山にはよく行きました。そこの料理旅館の“たかさご”に泊って猪鍋を食べる為に。ひところは毎年12月の行事でした。丹波地方にはあまり高い山は無いんですが、山また山、峡から峡の景色です。青畝師も篠山で味噌仕立の猪鍋を食されたんでしょうか?
次郎:「山の上に山」で先ず、「屋上屋を架す」的なイメージを連想したが、まさか!川上が川の真上を意味するのではなく、川の源の方向を意味することを考えれば納得の出来る表現かと思った。すると丹波に辿り付くまでの状況が見えてくる。「薬食」は個人的にはパス。しかし、「薬膳」や「薬食同源」に見られる知恵はすばらしい。景の遷移は青畝師の代表作「葛城の山懐に寝釈迦かな」と同様にズームインと思われる。 注:青畝師の葛城の寝釈迦の句にズームインがみられることは石田波郷が最初に指摘。
一尾:丹波には山の上に更に山があるよとその地を紹介し、そこで頂いた薬食の美味しさと効用を讃えお礼を述べられているように感じました。はじめに薬草入りのお粥が頭を過り、とても季語とは気づきませんでした。
光晴:薬食の季語は全く知らなかった。これが猪を喰うとか鹿を喰うでは報告であり、面白みがない。青畝師の時代にも、おそらく薬食はあまり使用されぬ言葉だったと思うが、これでユーモアも感じ山の深さからさらには鍋の香りまで感じてしまった。
敦風:東の方からの開けた国道や自動車道を通って行くと、少し平坦な感じもしますが、西の方からの道を行くと、その行程からたしかに丹波は山国のように感じます。山を越えて、また山を越えていく。そういう場所ですね。もとより、丹波は、猪鍋や猪饂飩の美味しいところです。 山を越え、また山を越えて丹波へ来た。そしていま丹波の猪鍋を食っている。なんと温かく美味いもんだなぁ。そういう句だと思います。「薬食」と言ったのは、猪鍋をそう呼んだ時代や人々に思いを馳せている。そういう感じがあります。
みのる:「薬食」という季語に初めて出会われた方もあるようですね。丹波路には大小の里山が点在し、道すがら「山の上に山あり」の景を実感できます。また、猪も有名で、丹波の里では、いたるところに猪垣がめぐらされ、土地の人々の生活と、猪との戦いは尽きないようです。観光料亭などでは、猪料理の牡丹鍋が有名ですが、里人の家庭料理は、昔ながらの薬食と称して愛されているのです。下五が「牡丹鍋」ではなく、「薬食」なので、ご当地の弟子たちが、青畝師をもてなして猪鍋を囲んだのかもしれませんね。難しい言葉は、全く使ってないですが、地形の特徴を上手に捉え、「薬食」という季語を配して、丹波の風土を見事に捉えています。
くろしほのふゆしらなみのおびただし
こみち:「黒潮」ではないのですね。冬の日本海の深い色でしょうか。荒れやすい海の様子が「白濤のおびただし」で眼前に浮かぶようです。「波の花」を連想しました。
よし女:冬の白波と言えば、私なら日本海とか、北の海オホーツクなどを連想して、句にする時もそのような言葉を使ってしまいそうです。黒潮と汐の字なのは、夕方の黒潮(海)なのか、北の海の夕景色と解釈するのか一字に引っかかってしまいました。「おびただし」もすっとは出てこない言葉なので、覚えておきたいものです。
一尾:黒汐は暖流と云われるように暖かいイメージがありますが、それを打ち砕くかのごとき冬の大洋の厳しさが伝わります。砕け散る波頭の数は知らず、水平線の先の先まで続くその白さよと冬の涛に呼び掛けているようにも聞こえてきます。ところで黒汐と黒潮は異なる使い方でしょうか。同じと理解し鑑賞しました。
たけし:風の強い太平洋岸の雄渾な情景を、さらりと詠っておられます。黒潮より黒汐の方が、表現が柔らかく感じました。白濤も白波よりおとなしい感じです。下五のおびただしも遠くから、さらりとみている感じです。
光晴:汐は、夕方の満ち潮らしいですね。漢和辞典では、その他に引き潮の意もあるようですが。海に出て荒れてくると、うねりは本当に黒い固まりと見えます。そして漁師は白濤のことを、ウサギが飛ぶ、と言います。こんな時は即刻帰らねば遭難しますね。
敦風:私は瀬戸内育ちである。千葉の海や、茨城の海を見た時、いま思えばそのあたりの海にとっては比較的おだやかな波の日であったろうと思うけれど、私の目には、おびただしい白い波に見えた。多少でも荒波になればさこそという気がする。黒汐は黒潮。ただし、夕方に見たものを表現したと思う。さらに冬の風景である。暗い海の中でその荒れる怒濤の波頭ははっきりと白いのであろう。作者は、夕方の太平洋を見ている。暗い海に荒れる濤。その中におびただしい波頭の白。冬の海に広がる黒と白が対照するダイナミックな景。悠久の時間の流れを感じながら、作者はこの情景を見、これを句に表現したのではないか。
初凪:この夏犬吠埼の沖にヨットで出る機会がありました。「ここから黒潮の流れですよ」と言われて少し沖を見るとはっきりと黒い潮流との境目が見えるのです。私は海辺の町に育ちましたが船で沖に出たことはなかったので本当に黒い潮に驚きました。冬の海、あの黒い潮に白波が立ったら、そしてその海が荒れていたらそれはとても印象的な色のコントラストだと思います。おびただしいという形容を波に使うことの大胆なことに驚きました。何だか海が見たくなってしまいました。
みのる:洋々と広がる海原を千万の白兎が飛んでいるような、そんな情景ですね。日本海側の冬は暗いイメージですが、この句は黒潮(太平洋)なので暗さはありません。俳句では、黒汐と使う例が多いようですが、どちらでも構わないと思います。むしろ、白波でも、白浪でもなく、【波濤】‥大波、高い波。の「白濤」を使われたのは意図的だと思います。季節風が吹き荒れる冬の海の情景は、日本海側でも内海でも見られますが、太平洋の景は、スケールの大きさを感じます。 黒と白のことばのコントラストによって、より鮮明に連想が働きますね。
きんびょうのとらひんかくをまじまじと
次郎:屏風の虎と賓客の位置関係から来る可笑しさに気づいている青畝師。虎に睨まれては賓客も居心地が悪かろう。以前このような1コマ漫画を見たような気がする。最初、おや無季かなと思ったが屏風が冬の季語だった。
宏二:金屏風もなく、賓客も来ない我が家ですが、とても面白い句だと思います。主人は良く知っている賓客。でも、家族や使用人は知らない。どんな人だろうか?と興味しんしん。まじまじとという表現が、ちょっと下世話な好奇心を表している。それを金屏風の虎に託す。巧まざるユーモア。
とろうち:屏風というのはやはり上座のほうにあるものですか?そういうことに疎いので、ちょっとよく分からないんですが。客の後ろに虎の屏風がある。客と向き合って話をしている時に、ふっと後ろの屏風に目がいった。すると屏風の中の虎も、ぎょろりとした金壺眼で客を見ている。なんだ?誰だこいつは?まさに「まじまじ」。大切なお客様なんだ、そんなに不躾に見るなよ、と少し苦笑い。といった感じを想像いたしました。
よし女:ある老舗の料理屋で、掛け軸の虎に睨まれているように感じたことがあります。金屏風の虎にまじまじと見られているのは青畝師のような気もします。「まじまじと」が、出そうで出ない言葉です。
次郎:確かに、よし女さんが云われるように“見られているのは青畝師”とすると諧謔の質が高まりますね。
とろうち:普通なら下五を「睨みをり」としてしまうと思うんですよね。「虎」ならなおさら。でも「まじまじと」としているところを見ると、虎もお客に興味津々というか、ユーモラスな虎を連想します。実際、日本画の虎って恐いというよりは、誇張されてて諧謔的な感じがします。俳諧味に溢れる句だと思います。
こう:金屏風というからには、おめでたい席でしょう。虎にまじまじと見られた青畝師。ウーム立派な虎だなぁ・・とみている青畝師。雰囲気が感じられます。
ちやこ:賓客とは、「丁重に扱わなければいけない客」という意味を前提に読むとなおおもしろい。迎える側の人々が、客に色々と配慮しおもてなしをしている横で、金屏風の中の虎がその「賓客をまじまじと見る」などという失礼千万なことをやってのけている、何とも愉快。まさに俳諧味のある句ですね。
敦風:屏風に虎と言うと、まず思い出されるのは、一休さんのとんち話です。殿様「一休よ。この屏風の虎が夜な夜な抜け出して困っている。どうにかして捕えてくれぬか」、一休「承知しました」と、縄を持って構える。殿様「どうした。早く捕えよ」、一休「準備は出来ました。どなたかに命じて、どうぞ早く虎を追い出してください」。このあとの、屏風の虎が追い出せるものか、では屏風の虎を捕えることも出来ませぬぞ、とかいう続きの問答はもはや蛇足でしょう。青畝師のこの句は、私は、このとんち話を含みにした句ではないかと思います。そう思ってこの句をみると、虎がただ「睨む」などでなく、「まじまじと」賓客を見ていると表現されているのも分かるような気がします。作者がある家を訪問すると、虎の絵の金屏風があった。立派な虎だが、一休のとんち話の故事のような按配だなぁ。虎の方も、むかしの一休さんのときのように、何かされるんじゃないかという様な顔をして、こっちをうかがっているぞ、そんな目つきだなぁ。こういうおかしみを含んだ句ではないでしょうか。
みのる:どの方向から見ても、自分の方を見ている。肖像写真などはそうですが、絵も眼の描き方でそうなるんでしょうね。時代劇の映画などで、玄関の衝立に虎の絵が書いてあるのは記憶にありますが、揚句は金屏風なので、こうさんの言われるようにホテルなどでの祝賀の間でしょう。 そこへ集まった来賓客の誰もが、生きているようなみごとな虎の絵を賞賛しているのですが、逆の視野からみると、虎が来賓客をまじまじ見ているようにも見えたという発見ですね。俳句は一人称・・とも言われますから、勿論青畝師自身と見てもいいと思います。
うずみびをさぐれるちんばひばしかな
よし女:この句よく解ります。子供のころ、このような景に出くわしていましたから。片方が折れて使いにくいけれど、持ち手がなじんでいてそのまま火鉢にさしてある。親は買い替えようと思いながら、その場になるとつい忘れてしまって。今の私みたい。「ちんば」という言葉、今も、今からも私は使用しないし、文人は皆、使えないと思います。差別用語と言われるようになったのは戦後でしたから。青畝先生の時代には、問題視されなかったのだと思います。何も考えずに声に出してみると、省略の効いた、端的な表現になり、置き換える言葉がちょっと見つかりません。先人の作品は俳句に限らず時代背景や、その人物を取り巻く環境などが垣間見えると、作品鑑賞に深見が増すことってありますよね。「埋火」も今では死語に近いくらいで、美しい言葉だと思います。
とろうち:よし女さんのコメントを読んで「ちんば火箸」が分かりました。火箸なんて一家に二つも三つもあるものでもないのに、なんでちんばなの?と思ってたんですが、なるほど折れたりするわけですね。火鉢の前で少し背中を丸めながら、どてらのようなものを着込んで火箸を突っ込んでいる姿を想像しました。「埋火」というのはとてもきれいな言葉ですよね。いつか使ってみたいと思います。
たけし:よし女さんの鑑賞を読んですっかり感心、同感です。我が家は中学校まで火鉢がありました。差別用語の扱いは難しいです。よく女房にしかられます。
ちやこ:日常の中のちょっとしたことを見逃さない、先生のすばらしい感性があらわれています。そういった事が嫌味な揚げ足取りのようにならず、何か心に暖かいものを感じさせる不思議な魅力があります。
一尾:Googleで検索しましたら「うずみび」と「ちんば」で芭蕉さんが2句ありました。みのるさんがおっしゃるように辞書に、インターネットに当ることですね。また「埋火」は沢山ありましたが、なんとほとんどが「埋火葬」許可手続でした。読み方がつけられていますから大変助かります。「さぐる」ではなく「さぐれる」ところが面白いです。火箸しかも不揃いの火箸が主役ですね。火箸を使う方がその動を客観的に写生しているのです。
みのる:昭和61年の作品です。同じ頃の作品に、「人の世を見て埋火の一詩人」があり。青畝師全句の中で、埋火の作品はこの二句だけです。確かに、昨今では「死語」に近い季語でしょうね。 この句を揚げたのは、「差別用語」に言及するためです。戦後文学の世界で、差別用語が取りざたされて久しいですが、青畝師は恐れずに使われました。あえて使われたのではなくて、意識せずに使われたのです。前にも書いたと思いますが、差別を意識することが差別なのではないでしょうか。部落問題もしかり。青畝先生がそう言われたことではないですが、ぼくはそう思います。 この問題に口角泡を飛ばす人を見ると、どうしても偽善を感じてしまうのはぼくだけでしょうか。 差別というのは、愚かな人間が作り出した定義です。障害があってもなくても、神さまは差別なく平等に愛してくださる方です。なぜなら、人間を創造されたのは神さまだからです。信仰論ではなく、「俳句は愛の心で作りなさい」といわれた、青畝師のこころをみなさんに理解してほしいと思ってあえてこの句をとりあげました。
たけし:差別用語について、全く同感です。ひところ小学校で、運動会のかけっこで順位をつけない、などという短絡的な指導がされていましたが、差別用語の扱いについても似た感じを受けます。現実を直視し、すべからく自然体で接することが一番大事なことと思います。
やきずみのきんぞくおんやふくろづめ
宏二:三重県の御在所岳に藤内小屋という山小屋があります。今年の春、そこで炭焼きが行われました。中高年の山好き達が小屋主の指導をうけて焼いたものです。焼きあがった炭が、まさに、句のように金属音でした。大人達は子供にかえって喜んでいました。御在所岳のあちこちには、今も、炭焼き窯の跡が残っています。つい最近まで炭焼きが行われていたそうです。
こみち:「金属音」で固く焼き締められた良質の炭ということがわかります。備長炭を思い浮かべました。袋詰め作業の活気が伝わってくるようです。
たけし:我が家の料理用並びに脱臭用の備長炭を打ってみたら、石ころを打ちつける音でした。多分、湿気を吸って重くなり、金属音が鈍ったと思います。こみちさんの言われるように、固く焼き締められた良質の炭と活気ある袋詰め作業の組み合わせと感じました。
よし女:この句よくわかります。新しい炭はきんきんときれいな音がしますが、句になることは気も付きませんでした。我が家の近辺では竹を焼いて竹炭作りがいまはやっています。
みのる:言われてみれば、何でもないことなのですが、第一発見者の手柄ですね。焼炭の本質を的確に捉えた発見によって、「なるほど」と思わせる句に仕上がります。雑念を払い、感性を研ぎ澄まして、よく観察する。これが大事なんです。袋詰め・・の現場を実際に見ないと、このような句は授かりません。想像で作れる作品ではないですね。
すみじるをぶっかけしさまたきびけす
こみち:これはなんとも、炭汁どころか目から鱗の句ですね。水をかけて焚火を消したら、灰や炭が黒いので炭汁をかけたようだ、という意味に取りました。ぶっかけしなどという、俳句向きではないと思える言葉が小気味良くひびきますね。
よし女:句もさることながら、「ぶっかけしさま」の「さま」にこういう使い方もあったと思いました。「・・ごとく」「・・めく」くらいしか浮かばないのが、目から鱗です。
たけし:うーむ、この句が毎日句会で投句されたら、たけしは多分採らないと思います。いや、採れない、です。でも、青畝師の句と思って鑑賞すると、どんどん味が出てきます。不思議ですね。本当に言葉を自由自在に使っておられます。焚火に水をかけて消したあとの、騒がしい情景が浮かびます。
みのる:・・ごと、・・めく、・・さま、など、比喩俳句を軽蔑する人もいますが、そうではありません。常識的、観念的、類想的など、安易な比喩に流れがちなので、陳腐になるからでしょう。連想を飛躍させ、ぴたりと決まった、「ごと俳句」は、多くの共感を呼ぶのです。「炭汁」という発想も面白いですが、「ぶっかけし」という俗っぽい措辞が効果的だと思います。いろんな言葉を知っていると、俳句を作る上でとても有利です。そして、言葉というのは、たくさんの秀句を鑑賞することによって身に着くのです。
ろばなしのそっけつやてをならしたる
とろうち:「あ、それいいね。それでいこう!」とパンと手を打って決まり。こんなことよくありますよね。炉話とあるからには、気の置けない連中が集まってのことでしょう。
たけし:炉話という季語を文字通り解釈すると囲炉裏端での話、でもまあ、ストーブを囲んでの話とか炬燵談義でも「炉話」と言ってるかもしれません。手を鳴らしたるは、手を鳴らして仲居を呼ぶ情景も有りますし、思わず手を打って同意を表しているのかもしれません。たけし鑑賞は仲居を呼ぶ為の手鳴らしです。場所は小料理屋かも知れません。二次会の相談がまとまってタクシーを呼ぶ為の手鳴らしなど・・・。
とろうち:面白いですね俳句って。たった十七文字で色々と解釈できるわけですから。仲居さんを呼ぶ手鳴らしですか。仲居さんのいるような所に行ったことがない者としては想像だにできませんでした。ちなみに私らですと「炉話」の場はファミリーレストランですかねぇ。仲間で集まって、一番時間を気にせずにいられる所だから。
敦風:「手を鳴らす」というのは、人を呼んだりするために手を打ち鳴らすことの表現であろうと思います。炉ばたで何か相談ごとがあった。よし、そういうことだ、決まりだ。難しい話はこれぐらいにして、さあ一杯やろうじゃないか。というので、ポンポンと手を打って、奥さんか誰かを呼んでいる。そういう情景が見えます。「炉話の即決や」と言ったのが面白い表現だと思う。また、「〜の即決や/手を〜」のところ、句またがりのリズムが何とも言えず快い。
一尾:「よっしゃ決まった」ポーンと手を打てば響く、即決がすべてを語っているようです。その場に居合わせないことには詠めない句、感受性が大切ですね。
みのる:ぼくは、山を売るというような、どでかい商談と見ました。鑑賞する人の過去の経験によって、いろいろ連想が広がる句ですね。「よっしゃそれでいこ!」と手を鳴らす素早い決断に男らしい魅力を感じます。「ああでもないこうでもない・・」と注文をつけながら、「じゃああなたの考えは?」と決断を迫ると、「自信ない、ようわからん・・」などという優柔不断はいただけないですね。
なじかはとこごとをはけりかぜのつま
敦風:夫人が風邪で寝込んだ。「何故なんです?」「どうしてなんですか?」と、日頃つつましい夫人が、どういうわけか、作者のすることにあれこれ小言を言う。その様子に困惑しながらも、「吐けり」などと言いながらも、夫人をいとおしく思い、いたわりの気持ちで見ている作者。病を得て、自分であれこれ出来ないことがもどかしく、つい小言を言ってしまう妻と、その小言にいちいち反応しながらも、妻をやさしく見守る夫の様子が見える。「風邪の妻」の謂いに万感を込めた。これは青畝師の妻恋歌の一つであろうと思います。 たけし:風邪を引いて寝込んでいたけど、なんだかんだと小言が多くなってきたな。小言が出るということは、だいぶ元気が出てきたのかな。ぼちぼち治るのかな。というところでしょうか?
とろうち:これ、どんな小言なのか興味があります。風邪をひいて妻が寝込んでしまった。普段家の中のことなどやったことのない夫はおろおろするばかり。妻はここぞとばかりに小言を言う。 「おい、お粥にでもしようか」「すいませんねぇ」「米はどこかな」「お米は米櫃にあるに決まってるじゃありませんか」「ああ、二合も焚けばいいかな」「二合もお粥にしてどうするんですか」「おい、集金だぞ」「お金は棚の二番目の引き出しです」「どの棚だ」「ほら台所の・・・もう手がかかりますねぇ」なーんて。現代的すぎますかね。でも寝てもいられないという状態になるのはホントですよ殿方。
みのる:「何じかは」ということばをぼくも、「何やかやと・・」との意に解しましたが、念のために、広辞苑を引いてみました。
なじか‐は ①どうしてか。いかでか。普通、下に反語を伴う。金刀本保元「—ふたたびとり返し候ふべき」 ②なにゆえ。なぜ。どうして。徒然草「—捨てしなどいはむは」
どうも、われわれの思い込みとは少し違うようですね。普段は愚痴一つ言わないのに、どうしてか今日は小言が多い。風邪で思うように体が動かないので、自分自身に苛立ちを覚えているのかな・・早くよくなってくれよ。という気持ちを詠まれた句でしょうね。普段の奥様への感謝の気持ちと、風が速く癒されるように・・という祈りごころが感じられます。
ねむるやまこんしもみたるごとくなる
敦風:紺紙というのは、単に紺色の紙というのではなく、紺紙はそれに金泥・銀泥でお経や仏画を書きますから、そういう紙だと思います。紙を揉むと、クシャクシャに皺がよります。冬の山がそういう様子だと言うているわけでしょう。作者は冬の山を見ています。緑が残っているところ、黄葉の残っているところ、山の地肌の現れているところ。そういったものがまだらのようになっているのを、その形状と色合いを形容して紺紙を揉んだみたいだと見たのだと思います。本来、ただもの淋しいと言われるはずの冬の山を、そういう一種きらびやかな、にぎやかなところもあるものに見たところに、この句の面白さがあるのではないか。私はそのように思います。「ごとくなり」でなく「ごとくなる」の連体形でとめたところに、作者の詠嘆を感じます。それにしても、青畝師には「ごとし」という句がよくあるような気がしますね。
こみち:通勤の途中、鈴鹿の山を見ながら走る区間があります。年間通してきれいに見えるのはわずかな日数ですが、早朝の山は紫紺色に鎮まっていることも多く、なんとか句にしたいといつも言葉を探しています。「紺紙揉みたる」・・あっ!と思いました。新緑や紅葉の色までは見分けられない距離なので、紺紙を揉んだ皺があの山肌のこまやかな襞をぴったり言い表していると感じました。炭汁の句でみのるさんがおっしゃった「連想を飛躍させ、ぴたりと決まった、「ごと俳句」は、多くの共感を呼ぶのです」その好例を引き続き紹介してくださったのですね。
一尾:冬山のもの寂しく静かなるさまをしわくちゃの紺紙と見立てたのですね。紺紙のような和紙は繊細できめ細かな風合をもつと云われます。その紺紙に擬して嶺あり、谷ありの冬山のさまを余すところなく詠まれているのです。
よし女:飛躍した素晴らしい表現です。紺紙を「揉んだような」の言葉の斡旋に感嘆します。絵画的な色彩感覚もあふれるほどでいい句ですね。仮に、青畝先生の句集を一人で読んでいて、この句にであったとしたら、はっきり理解できないまま飛ばし読みをしていたかもしれません。味わうほどに深見が出ます。
みのる:「眠る山」ですから冬山の姿です。秋から冬にかけて太陽の高度も低いので、山襞の陰陽のコントラストは特に目立ってきます。冬山ですから、新緑はあたりませんが、枯木の色や常緑の色、冬紅葉の残っている色・・などが、混合して、「紺紙揉みたる」の比喩がピッタリなのですね。青畝先生の句に、「ごとし」が多いのではなく、ぼくがそういう句をあえて選んでいるのです。先生の何万という作品から、GHの学びということを意識しながら、ぼくの好みで選んでいます。俳句は青畝師の作品ですが、選ばれた作品全体を通して何らかの主張が感じられるとすれば、それは選んだ人の感性です。「選は創作なり」、これは虚子先生の言われた有名なおことばです。俳句結社の主宰は、自分の創作は勿論ですが、弟子の作品の選に一番エネルギーを使うのが普通です。いくら立派な作品を発表しても、弟子が育たなければ主宰、選者としての評価は下がるからです。虚子先生はいわずもがな、青畝先生の「かつらぎ」門もおおくの有能な俳人を輩出しました。著名な俳人であっても、一人の弟子も育たなかった、という人もいます。話が脱線しました。ごめんなさい。
てつびんのゆげのごきげんわをえがく
敦風:私も、子供の頃は家の火鉢に鉄瓶がかかっているのを見ながら育った。妻の実家に行くと、今でも四角な火鉢に小さな鉄瓶が置いてある。湯が沸いてくると、たしかチンチンと音がして、湯気が出る。音や湯気の出方は、湯の沸き方によっても違うし、それに鉄瓶ひとつひとつに癖があったようだ。ふたの穴の具合によっては、丸い形の湯気が出ることもあるかも知れない。作者の前にある火鉢か囲炉裏かに鉄瓶がかけてある。湯が沸いて、音がして、なんと丸いかたちの湯気が出た。鉄瓶め、ご機嫌じゃないか。そういう句なのでしょう。文字通り解釈すれば、ご機嫌なのは鉄瓶、ないし鉄瓶の湯気。しかし、それは、作者、ないし作者と一緒に囲炉裏または火鉢を囲んでいる人たちの気持ちの投影された表現でしょう。なごやかな団欒のひとときを、鉄瓶の丸い湯気を描写することで表現したものと思います。
光晴:単純な湯気では、季語でないのでしょうが、鉄瓶のゆげ、で室内の湿度を保つための湯気立でキッパリとした季感がでています。さらに、輪を描くで、締め切られた静かな客室か茶室、4畳半などの情景が目に浮かびました。この部屋への接待者の心か、はたまたされた側の心か、ご機嫌なのでしょう。
こみち:昔、わが家にも鉄瓶があったかすかな記憶があります。囲炉裏に五徳をおいて乗せられていたような。輪を描く湯気は覚えがありませんが、「ご機嫌」という言葉は楽しいですね。やかんの蓋がカタカタ音を立てるのを「やかんが怒ってる」などと言ったりしますから、この句は青畝師がご機嫌なときだったのでしょうね。
次郎:契約書は双方のイメージに齟齬があっては困るから微に入り細を穿って物事を定義し条件を記述するが俳句の場合はそうはいかない。そこが面白い。17音のみで記述された一句を前に読者は過去の経験知識を総動員し解釈鑑賞する。従って、読者によってさまざまなイメージが描かれる。例えば、敦風さんはこの句のゆげは蓋の穴から出ていると思っておられる。私はなぜか鉄瓶の口からドーナツを小さくしたような湯気の輪が出ていると思っている。喫煙者がやってみせるあの輪の小型のイメージ。なので蓋の穴では小さすぎるからどうしても鉄瓶の口から出ることになる。さて、「鉄瓶のゆげ」となっているから形式上は「ゆげ」が主人公である。ゆげがご機嫌ではあんまりだから鉄瓶がご機嫌ということになる。すると、擬人化しているから作者の心情が投影されていると見てご機嫌なのは青畝師となる。つまり、ご機嫌なのは、ゆげ-->鉄瓶-->青畝師 という構造。「ゆげ」、「ご機嫌」、「輪」によってゆったりとして且つどこか活気の感じられる空間と時間の流れの描写に成功している。
一尾:湧き滾る鉄瓶の湯気を詠まれているのですね。鉄瓶の蓋を少し開けては下し、また開けてを繰返すと輪っぱ状の湯気が注ぎ口から出てくるのが面白く何度も楽しみました。蒸気機関車のつもりだったのですね。鉄瓶の懐かしい一齣が甦りました。
みのる:作品を一読、「無季だ!」と思われた方はいないですか。そのとおり、ルールどおり言えば、「湯気立て」は冬の季語ですが、「湯気」は季語ではありません。そこで、俳句識者を誇る人たちは、無季の作品だと決め付けるのです。聖書でいうと「パリサイ人」の類ですね。光晴解のとおり、一句を通して、「湯気立て」と同意の季感がありますから、無季ではありません。季語があるか否かではなく、季感があるかどうかが問題なのです。仮に季語があっても、季語が動くような作品であれば、乱暴な言い方ですが、「無季」です。さて、鉄瓶の中の湯が煮えたぎって、蓋を持ち上げてはまた落ち着く、その都度湯気の輪が飛び出して宙に漂うてゆく・・という情景ですね。そのリズミカルなようすをご覧になって鉄瓶が機嫌よさそうだと感じられたのです。作者自身の機嫌とか周りの情景とかは見えず、鉄瓶にのみに焦点が絞られズームアップされていると見るほうが力がありますね。合評は、作品の解説を求めているのではなく、その作品の生命の部分を見抜く力を育成することが目的です。理屈っぽくならないで、素直に平明に鑑賞する姿勢を訓練しましょう。鑑賞の姿勢が作句に反映されるのです。
ルノアルのおんなにけいとあませたし
とろうち:ルノアールの描く女性は皆ふっくらとしていて暖かそう。こんな女性に編んでもらったニットはさぞや暖かろう。という感じに受け取りました。絵画鑑賞も句になるのだなぁ。
敦風:ルノアールの描く女性は、色遣い、筆遣いのせいか、けぶったような美しさですね。その女性たち自身が毛糸のようです。毛糸を編ませたらさぞかし暖かいでしょう。
こみち:ルノアールのいくつかの作品は知っていましたが、青畝師が毛糸を編ませたいと思われた女性たちをよく見てみたいと探していたところです。「赤ん坊の食事」のお母さんなど、まさにぴったりですよね。
登美子:この句前から大好きでした。ルノアールの絵画の色、特に女性のお顔、皮膚の色に暖色が使われています。またふっくらとしたお顔、身体の丸みが本当に温かい女性の感じです。このような女性に毛糸編みがぴったりだと思います。青畝先生のウィットに富んだご性格が染み出ているように感じています。
ちやこ:おもしろい句ですね。たしかにルノアールの暖かい色調とふんわりしたタッチは、「毛糸を編む」という言葉にマッチします。毛糸を編んでいるしなやかな姿もルノアールの絵にふさわしい感じです。「編ませたし」とおっしゃるとは、よほど今寒いのかしらとも感じます。
みのる:残念ながらルノアルの描いた作品には、毛糸を編んでいる女性の絵はないですよね。 ルノアルの女性像を鑑賞しながら、ふとそんな欲望を連想されたのです。青畝師の柔軟で自在な詩情に感心しますね。小難しい理屈は決して語られず、幾つになられても幼子のようなウイットを持っておられました。
いしにほるきてんのつきひしもばしら
光晴:寒空にお墓参りをしている情景がスッと入ってきます。もう1つ、猿の惑星のラストシーンの崩壊ビルが見えて来てしまいました。
とろうち:この句は最初意味が分からなかったんですよね。光晴さんのコメントを読んで初めて分かりました。霜柱とあるから朝、少なくとも午前中ですよね。お墓の横にある墓碑を読んでいたら、墓碑の影の部分にだけ霜柱が残っていたのに気がついた。と解釈しました。墓碑じゃなくてお墓そのものの影かな。「石」「彫る」「霜柱」と硬質で冷たい言葉。その場の冬の冷たい空気が見てとれます。
宏二:帰天がすっと入ってきませんでした。神仏から遠い生活をしてきたせいでしょうか? 作者は誰の墓を見ているのでしょうか?しかも霜柱の時期に。亡くなった人の命日に近い冬の日、 誰もいない墓地にひとり佇み、じっと墓に刻まれた日付を読む人。ある程度、年配の男性を連想してしまうのは自分が男だからでしょうか?。ものがたりを秘めた句です。
敦風:「帰天」という言葉を知らなかったので調べました。
きてん(帰天) : カトリック教会で、キリスト教信徒が死去すること。 《大辞林》
とあります。青畝師はクリスチャンでいらっしゃったようですから成程の言葉です。親しいどなたかが亡くなられた。亡くなられた日付を墓石に刻む。そのかたわらに霜柱の立つ寒い冬の朝のこと。「帰天の日付を彫る」と言い、そこに「霜柱」を配する。哀悼の心情を清冽に表現した秀句だと思います。
一尾:亡くなられた日もちょうど今朝のような寒い日だったね。あれからもいろいろあったよと来し方をを報告、また来ると故人を偲ぶ冬の朝。墓石が沢山建つ墓地をちょうど林立する霜柱と見立て、同時にその時期冬を特定されていると読みました。
次郎:帰天というからにはまさに天にも昇る喜ばしい記念すべき年月日である訳だがそうは云ってもやはり...霜柱を配した作者の心情が推し量れる。霜柱もさることながら、「石に彫る帰天の月日」には感じ入った。状景がすぐ見えた。
みのる:聖書のことばを引用すると、「わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。新約聖書ピリピ人への手紙3:20」とあります。キリスト教では、死んだらおしまい・・という無常観はなく、むしろ栄光への旅立ちなのです。洗礼を受けて神の子とされたものはみな、天国にその名前が記され、やがて神様のもとへ帰っていくというのです。天国には、苦しみや悲しみはなく、勿論差別もありません。そして永遠の命を与えられるのです。「帰天」ということばには、そんな意味も含まれます。 さて、みなさんがお調べになったとおり、帰天の月日が記されているということで、墓碑であることがわかります。これはぼくの想像ですが、殉教者の墓碑のように思います。迫害と戦いながら、信仰を守り通して天に召されていった人のお墓ですね。霜柱という季語によってそれが推察できます。主観的なことはなにも述べていませんが、殉教者の生涯を悼み、冥福を祈る青畝師の気持ちが伝わってきます。「客観写生によって主観を包み込む」といわれた先生の教えをひしと感じる作品ですね。12月22日、今日は青畝先生の亡くなられた忌日です。
ふんすいのからくりがでてかれにけり
きみこ:白い飛沫を揚げていきよい良く活動していた噴水も、冬のなると止められて静かな公園と化する。水の出て居るときは、下のほうが見えなかったけれど、水が止まり、涸れてあらわになった噴水の仕掛けだけになったとき、ああ、こんな風になって、あのような噴水の造形が出来ていたのだと納得することがある。よく見かける情景であるけれど、揚がってないと噴水は俳句にならないと、思っていました。
敦風:噴水のからくりが出ているぞ。ああ、水が涸れているんだなあ。私も何度かこの情景を見た。理屈を言えば、噴水の池の水が涸れて、それで噴水の下部の仕掛けが見えるのだが、人間に見えるのは、そういう散文的な理屈っぽいかたちではなく、まさに「噴水のからくりが出ているぞ。ああ、水が涸れているんだなあ」というかたちであろう。見たままを、散文的な理屈の表現に落ちず、心情のままに素直に詠んだ。であればこそ、豊かな水をいっぱいに吹き上げているときの様子との対比で、現在の情景を一層鮮明に表現している。そういう印象的な句だと思います。
次郎:ただでさえ冬の涸れた噴水は冬ざるるの感があるが、からくりが無粋にも露出していてそれに輪を掛けた景を感じさせる。具体的に写すことの強さであろうか。人工物にも冬ざれを発見している句と言える。「涸れにけり」から季が冬であることに異論など出ない。
一尾:冬場のしぶきを浴びては噴水も近寄り難きもの。底が見えると云うが、まさに噴水も水が涸れてしまえば仕掛けは丸見え。「ははあ、成る程」と合点する方のお一人であったのか師もまた。
みのる:冬になって水の抜かれた噴水池の様子を写生されたものでしょう。 「水涸れる」という冬の季語を踏まえた句であることは判りますが、厳密に言うと無理・・という意見も出てきそうな作品ですね。 でも、冬の一点景として十分納得できます。 その意味では、この句は論理的な俳句に対する挑戦とも思えます。 理屈や規則に縛られず、常に新しさを求める・・という青畝先生の姿勢を学びたいですね。
わがせけばひゃっかんひびくいほりかな
よし女:かつらぎ庵の蔵書に囲まれ、咳き込んでおられる青畝先生のお姿を想像しました。 百巻にひびくほどの咳き込みように受け取れ、鑑賞子も息苦しくなります。
次郎:書斎に百巻というのは少な過ぎて不自然な気がします。百巻とされた青畝師の狙いが読めません。もしかすると万巻の書のうち百巻程度が咳の振動でぐらぐらっと来たのでしょうか。 もう一つ。「我咳けば」が「わがせけば」となっているのは「われせけば」としたほうが自然と思えるのだけれどもこれの狙いもわかりません。
初凪:自分が咳き込むことによってまわりの蔵書に響く様な気がする。咳の激しさと庵の小ささも感じられます。百というのは具体的な数字ではなく、庵中にあふれている本の様子を表したかったのだと解釈しました。
敦風:咳をした。咳が庵の万巻の書物に響き、書物が私に響き返している。「庵に響く」とか、「空気をふるわす」などとせず、「百巻ひびく」と言った。自分が咳くと、庵の中のたくさんの書物に響き、書物が木霊のように唱和して来る。そういう想いであろう。「響く」は、単に「百巻に響く」だけでなく、併せて「百巻が響き返している」という表現のように思える。つまり、「自分が咳くと、百巻が響く(響き返す)」という対句のように言っている。年月、愛しんで来た蔵書、それらと共に歩んで来た自分の俳句の世界。そういうものへの想いを咳に託して詠った句。その想いが伝わって来ます。
みのる:「百巻」は初凪解のとおり、具体的な数字を言ったものではないですね。そして、「百巻ひびく」は、実際に咳込むくらいで響くはずがないので、「・・響くようだ」という感嘆の意に解するのが素直でしょう。つまり、書斎の愛蔵書には、一冊一冊に庵主の思い入れがあり、一心同体のようなものだ、という作者の思いを述べた作品ですね。「我咳けば」を、「わがせけば」としましたが、ご指摘のように「われせけば」のほうが正しいかも知れません。もし前者であれば、「我が咳けば」と書くでしょうね。
次郎:百巻が具体的な数字を言ったものでないことは分ります。ですから十巻や千巻或いは万巻でも良いと思いますが青畝師がとりわけ百巻を用いた狙いは何だったんだろうと思ったのです。 「われせけば」のほうが正しいかも知れません。とみのるさんは書かれていますが、もし前者であれば、「我が咳けば」と書くでしょうね。と書かれているのですから「正しいかもしれません」ではなく「正しい」ではないでしょうか。どのような可能性があるために「かもしれない」のでしょうか。指摘した本人としてはやや意外です。この合評は「青畝俳句研究」となるそうですから研究であるからには多少の議論は許されるかなと思った次第です。
みのる:次郎さんには、みのる解がお気に召さなかったようで申し訳ありません。俳句の鑑賞に絶対解はないと思います。ご指摘の件は、天国の青畝先生にお聞きしてみないことには断定できないので、あえて「・・かも知れません」という表現を使いました。千巻、万巻でなくなぜ百巻なのかを論じることに意義があるとは思いませんが、千巻のうちの百巻と考えるのは理屈になるので、作者にその狙いがあったとは、ぼくには思えません。鑑賞ですから、「自分はこう思う」と明確に主張されるのは自由です。他人の意見を取り上げて、「いや、そうではなくこうだ」と反論するのは議論ですね。鑑賞と議論とは明らかに違います。どうぞご理解ください。
次郎:若干論点が噛み合っていないようですがお後がよろしいようですのでこの辺で。ただ、次郎さんには、みのる解がお気に召さなかったようで申し訳ありません。そんなことはありません。いつも成る程と思います。例えば今回も、一心同体のようなものだ、という作者の思いを述べた作品ですね。の視点は私には当初希薄でした。鑑賞と議論とは明らかに違います。そのとおりですね。そしてよりよい鑑賞をするために多少の議論は必要な場合があるとも思っています。
ほほかむりしてじゅんさとのたちばなし
敦風:頬被した人と巡査とが立話をしている。本人同士はしごく真面目なんだろうが、はたから見ていると何となくユーモラスだ。云うまでもなく頬被は泥棒くんの伝統的なスタイルだ。はしなくもそういう情景に作者は出遭った。冬の日の、おそらくは農村での描写であろう。頬被は、また農作業の普通の格好でもあるわけで必ずしも泥棒に見えるという訳ではないけれども「頬被」と「巡査」、そういう風に言ってみたくなる。面白いとも何とも言わず、ただありのままに描写して表現している。それでまた、何ともいえずほのぼのとして面白い句になった。
こみち:思わずニコッっとしてしまいますね。田舎の老父と駐在さんを思い出しました。
次郎:実際は農夫と巡査との立ち話と思われるが、頬被と来ればどうしてもある種の職業を連想してしまう。その職業人にとって、巡査は天敵的存在であり不倶戴天の間柄である筈。それがまあ、立話なんかしているぞ。象徴と現実とのギャップからくる可笑しさでしょうか。立ち話は、頬被が巡査に道を尋ねていたためと想像すると一層可笑しいし、傍目を気にしているであろう巡査の心中にも同情したくなります。ところで試しに部屋の中で頬被りしてみました。耳からの放熱が減るので温かく感じました。矢張り冬の季語ですね。
みのる:都会人が頬かむりして町中を歩くことはないでしょうから、田舎の農村風景と見るのが正しいと思います。作者の位置がちょっとわかりにくい句です。頬かむりしているのは、本人とも取れますし、第三者とも思えます。ぼくは、青畝師自身と感じました。「立話」の措辞がら連想すると、この頬かむりの主と巡査は顔見知りの間柄なんでしょう。なんでもない情景なのですが、そこから滑稽を見出す感性に青畝先生の本領を感じますね。
ベツレヘムのほしとおもへばかじかまず
敦風:あの星をベツレヘムの星と思うから、私は悴むことはありません。ベツレヘムの星というのは、三人の博士を、ベツレヘムに生まれた救い主のところへ導いた星のことで、博士たちが到着して贈り物を渡すことによって救いが確定したとされています。青畝師は、おそらくは、クリスマスに、教会の天井に吊るされたベツレヘムの星を見上げながら、祈っていらっしゃるのでしょう。救いを信じることが出来るから、生きることの心が挫けることはありません。主よ、お導きください。生理的な寒さ・冷たさを、心理的な方向へ投影しながらの信仰告白の句であり、真摯な宗教的心情をベツレヘムの星に託して描き切った感動的な句だと思います。
みのる:敦風解のとおり、ベツレヘムの馬小屋で神のみ子のイエスさまがお生まれになったとき、東方の博士たちを導いてくれた星です。聖夜物語については以下のサイトが参考になるでしょう。
http://www.ctb.ne.jp/~igmbpft/hon.html
「悴む」と言う季語を使っておられるので、野外での句と鑑賞する方が自然です。聖夜のミサを終えて帰る道すがら、ふと仰いだ星空からの感慨を読まれたのでしょう。あるいは、キャロリングへ出発された夜道かもしれません。教会では、聖夜のミサを終えたあと、病める信徒の家などを訪問し、戸口や窓辺で「きよしこの夜」「もろびとこぞりて」などの賛美歌を歌って励まします。 数人がパーティーを組んで、手に手に蝋燭(最近はペンライトが多い)を持って回ります。
しゅはきませりしゅはきませりしょくいてず
敦風:救い主がいらっしゃった。救い主がいらっしゃった。お導きによって、我らの信仰は絶えることがありません。2月2日の聖燭節のときの句ではないでしょうか。聖母マリアが受胎告知を受けたとされるこの日、ミサのはじめに蝋燭行列が行なわれます。この日で、クリスマスシーズンが終る。クリスチャンにとって特別な日です。「主は来ませり」と2回繰り返している。クリスチャンにとって最も根源的な祈りであり、信仰告白でしょう。そして「燭凍てず」。「燭」は、眼前の祈りの蝋燭であるとともに、救い主の御力に導かれての作者の、そして人間の信仰の心を象徴的に表現したものでしょう。祈りの言葉をそのままに繰り返して書き、そして「燭凍てず」ときっぱりと言い切っている。6/6/5の破調のふしぎな快いリズムと相俟って、これ以上ない 清冽な力強い祈りの句となっていると思います。
こう:讃美歌112番。諸人こぞりて・・を歌われたのでしょう。燭凍てず・・の季語の使われかたに注目しました。凍てる・・の逆の使い方。霊的な気持ちの昂まりを感じます。やっぱり、唸ります。印象句としていつまでも残る句。
嘉一:今年のクリスマスイブは暖かでした。今年も全員でこの賛美歌を歌いました。暗さと寒さの中からクリスマスがやって来るのでしょう。燭凍てずにクリスマスの真の暖かさを感じます。
みのる:上5が字余りですが、繰り返しによって面白さが出ています。こう解のとおり、これは賛美歌112番「もろびとこぞりて」の歌詞の一部分です。ですから、賛美歌を歌っている情景ですね。先の、ベツレヘムの星の句でも書きましたが、キャロリングの情景と解すると具体的な情景が見えてきます。最近はみんな乾電池で点るペンライトを使うようですが、ひところ前は本物の蝋燭を持って町を回りました。寒風で消え入るそうになる蝋燭の火を手のひらで包むようにして移動するのです。クリスチャンの人には解りやすい句だと思います。この句の字余りはリズム感もあるし必然的ですから責められません。
おがくずがとんでいちやくせいぼえび
たけし:お歳暮に活き海老を頂くと大変、わが家では箱を開ける前に新聞紙を敷き詰め、おが屑が跳ね飛ぶのに備えます。たけしは海老掴み名人です。活き海老の箱を開けると一見おが屑が詰まっているだけ、手で不用意に探ると、一瞬に海老が跳ねておが屑が飛び散り活き海老が現れる瞬間です。どうも青畝師は海老掴みに失敗したようです。
きみこ:先生が慌てて海老を、捕まえようとなさっている様子が、面白く表現されていて、とっても、楽しい句、思わず微笑んでしまいます。
一尾:生きの良い海老。贈った方の真心が確実に伝わりましたね。贈り物はこうなくっちゃ。 まさに歳暮御礼の一句と読ませて頂きました。
よし女:この句よく解ります。先におが屑が跳んで海老が躍ったという、観察の効いた表現がすばらしいです。おが屑も海老もとんでいるのに「跳ぶ」と「一躍」との違いが面白く、私などなかなか言葉にならないですね。わが郷にも海老の養殖場があり盆暮れの箱積めは大変なようです。
みのる:ぼくにも一度だけ経験があります。新鮮なものであることがよくわかりますね。このケースで「一躍」という措辞は凡人には使えないですね。広辞苑を引いてみると、ちゃんと載ってました。ぼくの頭の中には、②の使い方しかなじみがありませんでした。青畝先生は、必ず広辞苑で確かめてことばを使われたそうです。
いち‐やく【一躍】 ①ひととび。 ②(副詞的に用いる) 順序をふまずに進歩または立身すること。躍進すること。
きょうへんをみられたくなくきぶくれぬ
敦風:「胸変」という語は辞書に見当たらないようですから、たぶん青畝師の造語ではないかと思います。おそらくは、病気かなにかで手術をして乳房を失った女性のことではないでしょうか。私は、作者に近い続き柄の人を想像します。胸を失ったことを人に見せたくないので、厚着をして着膨れている人。ただそれだけを言っている句ですが、健気に生きようとしているその人を、いじらしいと思い見守る作者の心情が溢れた、そういう句のように思います。
一尾:乙女らしい胸の膨らみか、あるいは病後の変化か胸変に戸惑いました。突然のように「天津風雲の通ひ路吹きとぢよをとめのすがたしばしとどめむ」を思い出してしまいました。この句では師ご自身の胸中の変化を周りの人に見られたくない、読まれたくない、見透かされたくない、そして隠したい強いお気持ちを何枚も着込む着膨れに托されたのかなと読みました。着膨れは滑稽に映りますね。
みのる:「胸変」は辞書に載っていると思っていましたが、広辞苑にも出てこないですね。googleで「胸変」をキーワードにして検索すると、数箇所でヒットしました。広義には、「胸部の異変」という意味になるのかもしれませんが、昔は結核治療の手術で片肺を取ってしまうこともあったようです。その当時は「胸変」という言い方があったように記憶しているのですが、確かではありません。最近は身体障害者に対する良識が定着してきましたが、そうでない頃はじろじろと見られたりして不快な思いをされた方も多かったでしょう。当事者でなければわからない、哀しさ、悔しさ、という思いをも併せて、着膨れのなかに包み込んでいるんですね。
をのくはへてこずらせをるとしきあり
よし女:年木を切るのに骨が折れる様子がよく解る冬の句ですね。木の材質や大きさによって、打ち込んだ斧がどうにもならないことがあり、手伝っていて作業者が気の毒になることがあります。山の仕事はてこずるのですよね。それを年木が斧を咥え、てこずらせているようだと、木の方からの見方を面白いと思います。
きみこ:年末に切り出しておく薪を割っている時、大きなふしのある木は硬く斧が取れなくなる事があり、押しても、引いても、にっちも、さっちも、行かなくなる。その様子を「斧咥へ」と表現されていて見事であると思います。
松二:少年の頃を思い出しました。風呂をわかすのが仕事でした。一応、薪にはなっているのですが、時々、斧で割らないといけないヤツがあるのですが、これがなかなかの曲者。一旦、咥えこむと抜けない・・・昔を思い出させてくれた句です。
みのる:ゴスペル俳句に集っておられるメンバーはみな、少年少女の頃の故里での生活の中で、このような体験をお持ちなのではないでしょうか。郷愁を感じますね。年木は普通の薪わり作業ではなく、お正月用の薪を準備しているので、「この忙しいのに、もう・・・」といった、滑稽も加わって、「てごずらせをる」の措辞が効果的です。都会では、年木を見ることはできないですが、田舎のほうにはまだ残っていると思います。雁木造と言って、雪深い地方(主として新潟県)で、町屋の軒から庇(ヒサシ)を長く張り出し、その下を通路としたものがありますが、その通路に沿って軒高くまで年木の積まれた情景は、殊に風情があります。通常は斧を主人公にしてしまいますね。よし女解のように逆の発想をしたのが、この句の手柄です。
パチンコヘそんをしにゆきとしわすれ
よし女:思わず笑いだしました。年の瀬のせわしい時にこのような句に出会うと、ひと時気持ちが和みます。パチンコで儲かる事はまずないと解っていて行ってしまう。そして、やっぱり損をした。きっと良い年忘れになったことでしょう。 煤逃げの様子とも受け取れます。
嘉一:小生も思わず笑ってしまいました。みのるさんにお礼をいいます。こんな鑑賞句があることに対してです。白状しますと小生も以前何度かパチンコにはまっていたことがあるのです。ありがとうございました。
こう:あー面白い。思わず笑ってしまいました。こんな年忘れもあるんですね。確かに煤逃げかも。
たけし:損をしに行ったのは青畝師でしょうか、身内でしょうか知人でしょうか。それとも通りかかったパチンコ屋の喧騒を見て詠ったのでしょうか。師走の街を詠んだものと受け止めました。
みのる:ぼくもその口なのですが、年末は会社が休みになって家にいても、年用意に忙しくしている家内に、「粗大ゴミ」扱いを受けます。この句、よし女解のとおり、まさに煤逃げですね。でも、煤逃げの季語を使わないで、年忘れを持ってこられたところが憎いですね。さて、この句の主人公が青畝師なのか、あるいは第三者を詠んだものかという疑問について書いてみましょう。 俳句は「一人称の文学」と言われます。つまり、他人を観察した情景であっても、一人称(作者本人)として詠む方が、句が強くなることが多いのです。俳句は小説と同じように、文芸、創作なので、そういう作り方は許されます。自分は事実のみを写生する主義なので、決してそういう作り方はしない・・という説の方もいます。ぼくは自分でもよくこの類の句を作りますし、芸術として割り切っています。ですから、一作品として鑑賞すればよいので、青畝師自身なのか否かは問題ではないのです。
ただし、誤解して欲しくないのですが、事実を元にして、他人を自分に置き換えることは創作ですが、事実でないことを空想で作り上げるのは虚構です。GHでは、虚構の俳句は評価しておりません。
てんじゅいつなりやととひてとしおしむ
宏二:天寿。いい言葉です。一度、病気をすると考えざるを得ないのが寿命。人間のなかに二つの時間の流れがあるように思います。一つは自然の時間の流れ。今一つは世の中のそれです。自然の時間のなかに身をひたしていた子供時代。それをいつの間にか忘れていました。人は、歳を重ねて、また自然の時間のなかに戻っていく。それが死でしょうか。しかし、もう子供には戻れない。だから世の中の時間も捨てきれない。でも、世の中でなにかを成し遂げたから天寿、ではないような気がします。
よし女:年の瀬には誰しもこのような感慨を持つのではないでしょうか。ことに自分や近親の生死を見つめた後には、その思いが一層深まると思います。私の今年はそんな年でした。主人と二人揃って、また私自身、あと何年生きられるかと絶えず脳裏を過ぎり、このお句がいっそう身に沁みます。この句の中には、一年間無事に過ごせたことへの感謝の気持ちが色濃く伺えます。
とろうち:天に召される日はいつなのかと問いつつも、今年も無事に終えることができそうだという感謝の句だと思います。「天寿」というのは人生を懸命に生きてきた人ならではの言葉ですね。
みのる:念のために広辞苑を引いてみました。
てん‐じゅ【天寿】 天から授けられた寿命。天年。定命(ジヨウミヨウ)。「—を全うする」
とありますから、特定の宗教に特化したことばではなさそうです。やるべきことは尽くしたと達観はしているけれど、この年もまた生かされている。次なる年もまだまだ、自分に残された使命があるのだろう。一体いつ天国に召してくださるのですか、と神様に問いかけつつ、神様が許されている余生の一日一日を、使命感を持って過ごしておられる覚悟が感じられますね。よし女解、とろうち解のように、感謝の気持ちも感じられますね。
じょやのひはきんのすなごをまいてをり
次郎:青畝師晩年の名句と思います。「除夜」、「金の砂子」から背景は必然的に黒。黒を背景に黄金色に輝く小さな光の集まりはそれだけで美しい。そこに生命の輝きを見る読者がいても不思議ではない。そして除夜は1年の終わりではあるが同時に新しい出発の元旦へのプレリュードでもある。ここでひとつわからないことがあります。以前「火」ではなく「灯」となっているのを見た記憶があります。「灯」であればどこか高台から見た街の夜景であるし「火」の場合は初詣のかがり火が考えられます。そして「灯」であれば静的であるし「火」であればより動的な状景が目に浮かびます。
とろうち:除夜の晩に焚いている篝火がぱちぱちとはぜている。さかんにはぜる様を「金の砂子を撒」くと表現したのでしょう。今夜で今年もおしまい。初詣の客で賑わっているけれど、どことなく厳かな除夜の晩の雰囲気がよく分かります。
一尾:除夜の鐘を聴きながら初詣に出かけました。確かに境内のかがり火は舞っていましたが、これを金の砂子を撒くとはとても表現できませんでした。優れた句を鑑賞することは、まさに未知の世界との遭遇ですね。
みのる:昭和61年、青畝師の第九句集「除夜」のタイトルにもなった有名な句です。初詣の篝火が勢いよく燃えてあたりの闇に火の粉を撒き散らしている様子ですね。とろうち解のとおり、厳粛で神々しい感じがします。そして、次郎解のとおり、火に焦点を持ってくることで、省略されたあたりの闇とのコントラストを具体的に連想でき、焦点を絞って的確に写生された表現から放たれる力強い命をも感じますね。 「除夜の灯」は、多分ミスプリントだと思います。
このページを MicrosoftWordの書式で編集されたファイルをダウンロードしてご利用できます。