みのるが俳句バイブルとしている阿波野青畝先生の俳話集です。

観念に溺れるな

※ 阿波野青畝著 「俳句のこころ」より抜粋

雑詠を選んでいると、私は後人恐るべしの感にも打たれる一方、いつまでたっても誤った古い観念に溺れた人々の多いことを悲しまねばならない。後人恐るべしというほうは、新しい人々がほんとうに真剣となって対象を掘り下げてゆく。いいかげんのところで器用にとりつくろう人は多いが、こういう真剣になった人はいいかげんではすましておかない。もっと鋭く切り込んでくる。

思いがけない視覚からも見たり、いのちのあることばを見つけたり、私が見る限度から更に飛躍してその内奥を探ったりして、その逞しい足取りに圧倒されるのである。こういう人は見る見る伸びてゆく人である。このまま伸びてやまなかったらと思うときに恐ろしい感じがする。私など、もう何度もがいても時世に遅れるほかないような気がすると共に、こうゆう人をたのもしく末を見送りたい気がするのである。

しかし翻って一方では、相も変わらず陳腐きわまる景色を持ち回っているのに、むしろあきれてしまう。俳句という天地ではこういう天地と最初に観念で固定化してしまう。何度俳句にまとめてみても真実に触れてこない。写生してほしいと叫んではみても写生されない。

その人はそれでも写生してあるつもりかも知らぬが自分を虚しくして対象に接しないから対象の真実、作家の真実、そうゆう尊さを知ることができないのである。つまり先入主観念なる色眼鏡をかけて、その色を透して対象を捉えようとしているのであるから、ほんとうに生き生きした対象が目にはいる道理がない。

私は極端に言わしてもらうなら、自分の好悪も捨ててじかに自然に飛び込んでみることだと思う。そうすると、今まで気のつかなかったことがあっちからもこっちからもぶっつかってくるだろう。

おや、これは驚いたなあと心を少なからずゆさぶるにちがいない。

これらを心にひびいたとおりに十七字に写し取りたいものである。ことばの言い回しということも重要であるが、まずこの新しい驚きを捉えることが先であって、それからこの捉え方の工夫のときにことばの言い回しで的確を期す。もともとことばの言い回しだけでは俳句に成功しないことを断言してはばからない。

初心者はしばしば言い回しの面白さにひっかかってしまう。真実とか、自然の底にあるいのちとかいう最も肝心なところに意をそそがねばはなはだつまらないことと思う。

青畝俳話:心構え編

俳句の学びを始めるまえの心構えについて書かれたとても含蓄のあるお話です。

闇雲に俳句をはじめると必ず道に迷ひます。俳句の学びに行き詰まった時にここに立ち返って初心に戻りましょう。

初学の俳句作家は、まず俳句という概念にうろついておられます。俳句とはどんなものかを知ろうとして、昔の句を聞いたり読んだりして覚えられます。 何よりも俳句という形式を身につけておきたいためにやむを得ぬことだけれど、古人の真似をされるのが順序らしいのです。

・・・心構え編のつづきを読む

  • 昭和22年~31年、俳誌「かつらぎ」に掲載された記事

青畝俳話:俳句作法

俳句作法の基本と実作のヒントについて書かれています。

俳句は、HOWTO を学んでも上達しません。俳句と向き合う姿勢、覚悟が大事であることを学びましょう。

ひらめきを感ずるやいなや、それを素直にことばでカチッとうけとめることをやらねばならない。言葉は無尽蔵にあるけれども適当な言葉はまことに少ないので、その言葉を早く探し出して十七音のワクに切りとる。または圧縮するような工作を達者にはたらかさねばいけない。つねに心を労するとはこのへんの苦心をさすのであって、自分の心にないウソがとびだすからそれを警戒して、どこまでも忠実に自分のうけとめた誠を示すことにある。

・・・俳句作法のつづきを読む

  • 昭和50年12月、「毎日新聞」に掲載された記事

関連資料

青畝俳句研究(合評) 阿波野青畝略年譜   

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