やまだみのる

俳句界の進歩は駸々(しんしん)として一日も止まりません。今日の新人は明日の旧人であります。更に新人を迎えて那辺に展ぶるかは計り知ることができません。

※ 「俳句小論」に記された虚子のことば

四Sの俳句

昭和三年、ホトトギスの先陣をきる作家として、水原秋櫻子、山口誓子、阿波野青畝、高野素十がいました。この四人は昭和の四Sと呼ばれています。この四Sについて虚子は、上記のように述べ、進むべき新しい方向として、次のような四Sの作品を推賞しています。 紹介された四人の作品から、今後のGHの進むべき方向を探ってみましょう。

水原秋櫻子

海贏打や灯り給ふ観世音     秋櫻子

山焼く火檜原に来ればまのあたり

寄生木や静かに移る火事の雲

わたなかや鵜の鳥群るる島二つ

天霧らひ男峰は立てり望の夜を

泉湧く女峰の萱の小春かな

国原や野火の走り火夜もすがら

人が焼く天の山火を奪うもの

おぼろ夜の潮騒つくるものぞこれ

啄木鳥や落葉を急ぐ牧の木々

山口誓子

流氷や宗谷の門波荒れやまず    誓子

おほわたへ座うつりしたり枯野星

凍港や旧露の街はありとのみ

送り火やよもの山扉は空に満つ

ただよへる海髪のひしめく鰊群来

昼ながら天の闇なり菖蒲園

滝浴のまとふものなし夜の新樹

落蛇のたぎち流れぬ岩に触り

かりかりと蟷螂峰の貌を食む

汗ばみて少年みだりなることを

阿波野青畝

日あたりてけぶりそむなり露葎    青畝

かげぼふしこもりゐるなりうすら繭

さみだれのあまだればかり浮御堂

罠はねし一事たのもし梅雨の畑

傀儡の頭がくりと一休み

囀を身にふりかぶる盲かな

香煙の四簷しみ出て閻魔かな

案山子翁あちみこちみや芋嵐

狐火やまこと顔にも一とくさり

なつかしの濁世の雨や涅槃像

高野素十

春水や蛇篭の目より源五郎     素十

麦踏の出てゐる島の畑かな

水馬流るる黄楊の花を追ふ

塵とりに凌霄の花と塵すこし

草の戸を立ち出づるより道をしへ

花冷の闇にあらはれ篝守

菊の香の夜の扉に合掌す

くらがりに供養の菊を売りにけり

方丈の大庇より春の蝶

翠黛の時雨いよいよはなやかに

秋櫻子と素十

四Sと騒がれた三年後の平成六年、秋櫻子は、素十俳句を絶賛した虚子に対して、「自然の真と文芸上の真」という一文を発表して虚子に対抗する姿勢を示しました。

「自然の真」というものは、文芸の上では、まだ掘り出されたままの鉱(あらがね)であると思ふ。・・・・・「文芸上の真」とは、鉱にすぎない「自然の真」が、芸術家の頭の溶鉱炉の中で溶解され、然る後鍛錬され、加工されて、できあがったものを指すのである。

いかにも論者秋櫻子らしい説ですし、あながち間違っているとは思いません。 けれども、その加工された結果、「自然の真」が隠されてしまって虚構の世界になってしまったのでは意味がありません。見いだした原石の魅力を失わないで、よりいっそう輝いた命となるように磨きあげること、これが「本物の文芸」ではないかとぼくは思うのです。

誓子と青畝

昭和六年に刊行された青畝師の句集『万両』の序文中で虚子は次のように書いています。

私は写生と云ふ、大きな、緩い、然し乍ら強い羈縛(きばく)の許に、吾が俳句界を率ゐて来たものであるが、君(青畝師のこと)は実にその中にあって、君自身の写生を完成したと云ってよい。・・・・・・

君の句は動(やや)ともすると既成の俳諧の天地に歩を留めようとするものがあるに反し、誓子君の句はキャムプを詠じ、韃靼を詠じ、飢餓を詠じ、甚だしきに至っては、宝塚のダンスホールを詠じて居る。而も亦その調子は、疎硬放漫なるかに見える。・・・・・又一見花鳥諷詠の域を脱して居るかに見えるが、さうではない。寧ろ一方に於いては花鳥諷詠という意味を其辺にまで拡充し得るものと考えて居る。

一度誓子を去って青畝に帰ると、其処には誓子君の句は国境にある征虜の軍を見るが如き感じがするが、それが青畝君の句になると、俳諧王国の真中に安座して、神官行き、僧侶行き、貴人行き、野人行き、老も若きも共に行く縦横の街路井然として乱れず、而かも其、静かなる水に影を映して、一塵をとどめざる感じがする。青畝、誓子は吾が俳句界に於て面白き対立を為して居る。又相互に学ぶべき点もあると思ふ。

なんとなく分かるような気もするのですが、ちょっと比喩が難しく正直言って結論はよくわかりません。 「相互に学ぶべき点もある。」といわれると、いづれも完成形には至っていないという意味にとれなくもないのですが、互いに認めあって更なる高みを目指せという激励の意味に解したい。

GHの進むべき道は?

虚子著『進むべき俳句の道』の巻末に「結論」と題して次のように記されている。

先ず私は俳句の道は決して一つではない、様々である、各人各様に歩むべき道は異なっているということを言った。・・・・・ 一人として同じ道を歩いている人はない。また少しでも異なった道を歩いていることによって始めてそれらの人々の存在は明らかになって来ている。・・・・諸君は各々自己の道を開拓して進んでいくことに安心と勇気とを持たねばならぬ。・・・・

われらは常に「新」を追う。陳套なる形骸を守って、そこに何の文芸があろう。ただわれらは秩序を守り、歩趨を整えておもむろに新境地を開かねばならぬ。十七字、季題趣味という二大約束は、決して諸君の句を陳套ならしめるものではない。この約束あらしむることによって、俳句は常に文芸界に新味を保ち得るのである。

歴史を顧みて、虚子以降の俳句界は、四Sを源流として、それぞれ更に分派派生して混沌とした状況で現在に至っています。当然ながら GHは、青畝師の流れを継承して進もうとしているわけですが、決して排他的に他の流れを否定するつもりはありません。また、どれが本流でどれが亜流であるかなどと高唱することも愚かです。

分派分裂を避けられないのが俳句界の哀しい性ですが、虚子はそれを案じて、互いの存在を認めあいつつ個性が現れるように切磋琢磨することと、十七字(破調に流れず語調を整えること)と季題趣味(季感を句の命とすること)という約束だけは、決して踏み外すなと警告しているのです。

あとがき

新しい方向として虚子が示した四Sの作品を比べ見て、みなさんはどのように感じられたでしょうか。

それぞれに趣が異なることは確かです。でも、もし仮に、みのるが選者であったなら、少なくとも秋櫻子の句は採れそうもありません。誓子の句は、みのるの好みではありませんが、選者という観点に立って選択肢をひろげれば、かろうじて採れます。青畝、素十の二人の句は、違和感なく納得して採れます。 虚子 - 青畝 - 紫峡という、みのるの師系から考えると当然ですね。

これら四Sの作品を虚子が称揚したのは昭和三年です。これだけ個性の異なる作者を育て上げた虚子は、選者として本当に凄いひとだったとぼくは思います。 『作者としての素養と、選者(指導者)としてのそれは別物』だと紫峡師から教わりました。 四Sの作品を鑑賞してみて、あらためてそのことを実感します。

GHの模範となるべき作品が詠めるように研鑽を積むことは勿論ですが、選者としても責任ある結果が残せるように努力し続けたいと思います。

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