やまだみのる
やまだみのる
俳句を中心とした生活をしていると季節に敏感になります。
お正月が過ぎて日毎に日脚が伸び、梢の冬芽が膨らみ始めると肌を刺すような寒さの中でも春の近いことを感じます。 やがて節分をすぎると当然のことながら、「もう春なんだ!」という実感がわき、 暗く長いトンネルを抜け出したときのような、どことなく浮き浮きした気分になるから不思議ですね。
ところが俳句をしない人にとっては二月はまだまだ冬真っ最中。三月のお水取りがすぎた頃から、 ようやく春の到来を実感するというのが普通ではないでしょうか。 このように俳句に親しんだ生活をしていると常に季節感を先取りし、 またその移ろいに心を遊ばせて生活するので月日のたつのも早いのです。
吟行に出かけることで適当な運動になり自然に健康が保たれる。 また上手に気分転換をはかれるのでストレスもたまりにくい。 「俳句をする人はいつも若々しい」といわれる所以ですね。 俳句を作るのが苦しい・・という方があります。それは、よい句を作りたい・・とか、よい成績を残したい・・とかいう、 思いが先行しているからで、このパターンにはまるとますます泥沼にあえぐことになります。
一人で黙々と俳句を作る・・という作句態度もあまりお奨めできません。もともと俳句は連句からでたもので座の文学といわれます。 吟行会や句会などを通してよき交わりを育むことが大切で、俳句のほんとうの楽しさはそこから始まると言っても 決して過言ではありません。よき人間関係・・というのは何にも代え難い財産です。
みんなと一緒に吟行にいったり、句会するのがあまり好きでない・・という方も多いですが、 それは、本物の楽しさに出会っていないからだと思うのです。 「俳句は自分をさらけ出す文学」だと言われます。恥ずかしい・・という思いを克服して、ありのままの自分を 句に表現できたとき、かならず俳句が楽しくなるはずです。
GHでは毎年一泊で鍛錬会を計画します。一に吟行、二に吟行、句会また句会の繰り返しはとても疲れます。でも、終わった後は快い疲労感と楽しい思い出が 余韻となって残ります。そしてそれがまた次回への意欲に変わるのです。
(2002年2月5日の日記より)