やまだみのる

「俳句入門」をキーワードに検索された方が「ゴスペル」という文字をみて躊躇されることも多いはずです。

このホームページは一体何なの?!

素朴な疑問だと思います。

そこで俳句と宗教に関しての私なりの考えを書いて見ることにしました。

両親がまだ健在だったころ、私の家には仏壇がありました。

もちろん今はありませんが…

仏教でもキリスト教でもその他の宗教でも同じだと思いますが、受け継がれてきたその家の宗教というのと個人の信仰というのは別だと考えます。

うちは仏教なんですよ

と、おっしゃる方に「本当に仏教を信じておられるんですか?」と聞くと、

いや、ただおじいちゃんおばあちゃんの代からそうなんで…

とおっしゃる方が多いと思います。

信条として、倫理として、自分の意志で選んだ宗教が信仰といえるもので、そうでなければそれはただの「家の宗教」ということになるのではないでしょうか。

ゴスペル俳句と謳っているのだからキリスト教にかかわることしか俳句に詠まない…

というような考え方で俳句に取り組むつもりはまったくありません。

そう誤解して へこられるクリスチャンもおられるようですが、みことば(聖書の言葉)のような句を作っても何の意味があるでしょうか。

それはむしろ傲慢だと思うのです。

私はクリスチャンなので、他の神仏を信仰の対象として拝んだりすることはありませんが、お寺にも神社にも吟行に行きますし、土着の産土信仰にも興味があります。

確かに厳格主義の信仰者には他宗教の考え方や風習を否定する人もいます。

けれどもいたずらに排他的にならずキリスト教も含めて日本の歴史や文化を培ってきたこれらに学び親しむのはむしろ大事なことだと私は考えています。

信仰の戦いを立派に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。

(新約聖書 テモテへの手紙 第一 6.12)

これは私の好きな聖書の言葉のひとつです。

神様によって生かされているこの世での使命を立派に果たしぬいて、胸を張って天国に凱旋しなさい。

というような意味です。

お墓参りもします。在りし日の故人を偲ぶ気持ちは宗教や信仰とは関係ないですからね。

お盆やお正月には教会でもいろんな方が帰省してこられて楽しい交わりがあります。

そうした日本独特の風習は大好きです。

ゴスペル俳句という名前を付けていますが、クリスチャンか否かとかいうこととは全く関係ありません。

日本の伝統文化としての俳句に遊んで、喜びや悲しみ、慰めや励まし、勇気と希望を仲間と共有したい…

これが私の願いであり祈りなんです。

(2001年8月3日の日記より)