やまだみのる

ぼくの家族

他人に誇れるものは何もないけれど、唯一自慢できるものはと問われると、それはぼくの家族です。

明るくて健康的な妻がわが家の要で、とにかく彼女抜きにはわが家を語れない。 どちらかというと神経質なぼくの性格に随分哀しい思いもしたと思うけれど、よく支えてくれた。遥々広島から、しかも当時両親同居という条件のぼくのところへどうして嫁ぐ気持ちになったのか今もってわからないが、後悔はしていないと言う。

三人の子供たちが父親としてのぼくに合格点を呉れるかどうか自信はないけれど、彼らが自分で責任をとれる範囲の選択や行動に対しては、基本的に注文をつけたことはない。自分で決めたことは自分で責任をとることを覚えて欲しかったし、何よりも神さまが与えて下さった彼らの個性を親のエゴイズムでコントロールすることは許されないと思った。責任感の方はともかく、少なくともそれぞれ個性的に成長させて下さったことを神に感謝している。

長女の幸子が高校生の頃だったろうか、友達付き合いなどを理由に家庭よりも自身の世界の方を優先する傾向が出てきた。そんな頃一度だけ厳しく叱ったことがある。 家族の交わりを大切にすることが社会生活の原点であるということと、その為には協調性というか多少の自己犠牲もまた必要だというようなことを言ったと思う。彼女は分かってくれた。 そんな彼女もすっかり母親に似てお節介をやくようになった。わたしはまるで子ども扱いである。

家族を詠んだ作品

妻と吾の灯下親しむ趣味は別     /妻  澄恵

母の日の厨に子らの姦しく      /長女 幸子

ジョギングの父子の白き息揃ふ    /長男  賢

末の娘とペアルックなるセーターかな /次女 恵美子

(2000年05月15日の日記より)