月間秀句/202412

2024年12月16日

風邪癒えて久々の風呂熱あつに

なつき

やまだみのる選

発熱があるときは勿論だが、そうでないときでも湯冷めすると風邪の症状が悪化するので基本的に入浴ははばかられる。揚句の場合は長引いてしまい数日間お風呂に入れなかったのであろう。

ようやく風邪が抜けて久しぶりの入浴解禁、大丈夫だとは思うがぶり返しを恐れてお風呂の湯温を少し熱め設定して沸かしたのである。風邪の例句は、症状最中のものや抜けきらずに物憂い気分を詠んだものが多い中、「風邪癒えて」の句は新鮮だと思う。

門ごとの菊よく香る京街道

あひる

やまだみのる選

過日の枚方宿吟行で詠まれた作品だが「なぜこれが秀句なの?」と思われる人もいるかと思う。京街道ではなくて何街道でも意味が通るし、菊でなくてもいいので季語が動くのでは…と。

「門ごと」「京街道」の措辞によって軒を連ねた古町の風情の残る歴史街道であることがわかるのである。また京は菊の名所も多く個人の庭でもよく親しまれ、特にこの地域でしか見られない嵯峨菊なども有名である故、季語の菊が動かないのである。

コート着るチェロの残響包みつつ

風民

やまだみのる選

チェロは、ベースからメロディまで奏でることができる音域の広さが魅力であるとともに、その落ち着いた温かい音色は、『人間の声に一番近い楽器』とも言われている。

心地よいその音色が演奏会が果てたあとも身体全体に染み込んで余韻として残っているというような気分を連想する。その余韻ごとコートに身を包みこんで会場をあとにしたというのである。コンサートと言わずにそれを連想に委ねた所がこの句の手柄である。

2024年12月10日

虫喰ひ葉高枝にのこる枯木かな

そうけい

やまだみのる選

俳句では落葉樹の冬の容姿を表現する季語として枯木と裸木という似た季語がある。枯木は枯れた小枝や葉が落ちた木、裸木は全ての葉が落ちてしまった幹と枝だけの木だと説明がある。

明確な定義はないが前者は大樹の全容を連想させ、後者はすっかり丸裸になってしまったなぁ…という感嘆の趣がある。作者は、枯木となった大樹の天辺に風雨に耐えてなお数枚の虫喰葉が残っているのに気づいて命の尊厳を感じたのではないかと思う。

暖房を効かせて四肢に化粧水

あひる

やまだみのる選

就寝前のお風呂上がりの女性が湯冷めしないようにリモコンの温度を高めに設定して部屋の暖房を効かせ、伸ばした四肢にお肌のケアのための化粧水を沁み込ませている姿が浮かぶ。

パジャマを着てしまってからでは四肢の付け根の部分まではケアできないのでバスタオルをまとっただけの姿かもしれず、男性目線で鑑賞するとやや艶っぽい句に仕上がっているかと思う。暖房という季語を詠んだ句として新しさを感じる。

船便で届くカードやクリスマス

むべ

やまだみのる選

クリスマスカードは日本の年賀状のように欧米社会ではとても重要で、メールやSNSのメッセージでのやりとりが主流になった時代でもクリスマスカードの文化が色濃く残っている。

揚句のそれは欧米の友人から届いたのであろう。エアメールではなく船便であったというのが驚きで、通常クリスマスの1週間ほど前に届くように送るのが習慣なので、アドベントになるまえの早くから思いを馳せてくれた送り主の優しさに感動しているのである。

2024年12月2日

熟柿もぐ玉子のように手渡しに

よし女

やまだみのる選

柿は収穫後も追熟するが、揚句のそれは晩秋まで木についたままで残り今にもとろけそうに感じの数個の熟柿であろう。脚立とか梯子に乗って枝からもぐ人と下でそれを籠に受け取る人とを連想する。

放り投げて渡したり力強く掴むと破裂してしまいそうなので、大事に慎重に手渡ししているのであるがその様子が鶏小屋に潜って玉子を収穫する人と外でそれを手渡しで受け取る人の所作に似ていると感じた。体験や実感がなければ詠めない句である。

夫剥きし林檎彫刻めきにけり

あひる

やまだみのる選

同日の作品にもう一句『老い夫の自立訓練りんご剥く』がある。会社勤めの現役時代は仕事一途で頑張り家族を支えていたご主人、家庭では上げ膳据え膳のお殿様であったのだろう。

奥様任せであった家事も老後の生活となると、自立できないと困ることもあるだろうからと話し合い、練習はじめに林檎剥きをしてもらったのである。慣れない包丁使いのために薄皮には剥けず彫刻のような形になってしまったという滑稽の句である。

仕舞湯に浸りて柚子と遊びけり

うつぎ

やまだみのる選

ゆず湯という冬至の季語を知らない人には選べない作品である。冬至は上昇運に転じる大事な日のため、ゆず湯で禊(みそぎ)をして身を清める、邪気を祓うという意味があります。

柚子が自家収穫できる田舎の生活を連想する。家族は次々と柚子湯を済ませたが、後片付けに追われていた作者は仕舞湯となったのである。湯舟に浸るとお疲れ様とばかりに柚子が肩に触れる。柚子を指で小突きならが一日の疲れを癒やしているのである。