友禅の着物は、結婚式や結納、式典といった場で着用されることが多く美しい花を題材に染められる。たくさん広げて展示されたそれを連想させるのに「友禅の百花」の措辞が上手いと思う。
友禅自体に季節感はないので季語として冬座敷を斡旋した。「夏座敷」が開放感あふれる明るいイメージなのに対し「冬座敷」は寒々とした心象風景として描かれることが多いが華やかな友禅と取り合わせたことで暖かさを生み出せたことがこの句の手柄であろう。
地域の自治会で決められた公園清掃などのシーンが連想される。ご近所総出でわいわいぺちゃくちゃと楽しくおしゃべりしながら落葉を掃き集めては透明なビニール袋に詰めていくのである。
色葉とあるので枯葉や汚れた朽葉だけではなくて様々な公園樹の紅葉、黄葉したものも混じっていて色とりどり、それが袋に透けて曼荼羅模様に見えるのである。とても絵になりそうもない題材を見つけて一句に仕立て情緒を生み出すところに俳句の醍醐味がある。
今は古墳の多くが樹木に覆われているが、造成された当初は土盛りの上に石を敷きつめた状態で草木は生えておらず、禁足の地なるがゆえに暦年を経て自然に森が形成されたと言う説がある。
夏には鬱蒼と茂る古墳の森が本体を隠していて全く見えないのであるが、冬の今は疎となった森の樹幹隠れに古墳の丘の輪郭が見えているのであろう。樹齢を重ねて大樹となった森の木々はあたかも砦をなすように古墳の主の寧かれと守っているのである。
咳は、肺や気管などの呼吸器を守るために自然に出るものだが、寒さや風邪引が原因で咳こむことが多いので冬季の季語となっている。暖房で部屋の空気が乾燥していても咳がでやすくなる。
咳くことをはばかるような状況で我慢しようとするほど止まらなくなるから厄介である。揚句の作者も美容院で座についたとたんにそういう状況になり困惑しているときにそっとのど飴を差し出してくれた美容師の優しさに感動したのである。
太陽の塔は、1970年に開催された『日本万国博覧会』のために芸術家の岡本太郎が制作した建造物で、頂部には金色に輝き未来を象徴する「黄金の顔」、現在を象徴する正面の「太陽の顔」、過去を象徴する背面の「黒い太陽」という3つの顔をもっている。
斯く詠まれてみると確かに黄金の顔の目は碧眼である。それに気づいた作者の着眼点がこの句の手柄で、澄んだ秋空を季語に配したことでより焦点が強調されうち仰いでいる作者の姿も見えてくる。
一読手入れの行き届いた美しい苔庭の風景が連想される。照葉の季語が斡旋されているので、小春の日差しが庭紅葉を真っ赤に燃やしその洩れ日が苔庭にも射し届いているのでしょう。
びっしりと苔に覆われて暦年を物語っている庭石に目を移すと赤ちゃんの掌のような実生の紅葉が日に照らされて輝き「我ここにあり」と自己主張しているようだ。紅葉は初夏の頃にプロペラ型の種がつくがそれが岩苔にとりついて養われ実生となったのである。
夏は特にうるさいと思われる蠅も秋冷の頃ともなれば流石に元気を失い弱々しい。その存在感もうすれ、じっと止まっているのを見ると何やらもの悲しさしさを覚えるのである。
秋の蝿故に打つまでもなく手で払うと失せていなくなるのであるが、どこからともなく人恋しげにまた現れるのであろう。秋の蝿という季感を上手に捉えた佳句である。日溜りに縋って身じろがない冬の蝿とともに季節によってその本質が異なることを学びたい。
反抗期は2~4歳ごろの幼児期と、13歳前後から15歳までの思春期に起こるとされている。揚句の場合は、幼児期のそれが連想される。第一反抗期とも呼ばれイヤイヤ期として知られている。
原句は "べそかいて" だったが蹴り上げる動作の方に焦点を絞ることで句に力点が生まれるので添削させていただいた。悔しさをぶちまけている幼子の所作がまた微笑ましい。自己主張の芽生えの様子を遠い昔の自己体験と重ねて温かい眼差しで見守っているのである。