月間秀句/202409

2024年9月30日

残像に上書きをする大花火

みきお

やまだみのる選

間髪をおかず連続して打ち揚げられる花火のクライマックスシーンを「残像に上書きする」という一見俳句らしくない物理的な表現で捉えることによってより具体的な連想が生まれるという秀句である。

花火大会の演出は基本的に序破急の構成になっており、まずはゆっくりとした打上げ間隔でショーが始まる。その後緩急を繰り返したあとやがて揚句のようなフィナーレを迎える。これでもかとばかりに連発する迫力あるシーンを目の当たりにしている実感がある。

新涼の墓に供へし煙草かな

ほたる

やまだみのる選

お墓参りは、一般的に春彼岸と秋彼岸、夏のお盆、年末年始、祥月命日や月命日などのタイミングで行なわれる。俳句では単に「墓参り」と詠めばお盆のそれであることが暗黙の約束である。

新涼という季語によって秋彼岸のお墓参りであろうことがわかる。供花とともに好物などをお供えして故人の安寧を祈るのであるが揚句の場合は煙草なのである。大好きな煙草がやめられず、それがまた命を縮めた一因であったのかも…などと想像するのである。

芋虫を垣根の外へ逃しやり

明日香

やまだみのる選

蝶や蛾の幼虫のうち毛で覆われていないものを芋虫と呼ぶ。芋虫の発生は春から初夏にかけてが旬であるが、秋になるとまた巨大な蛾の幼虫が大量発生し油断すると新葉を蝕されて、あっという間に丸坊主にされるので日毎朝ごとに目を光らせて駆除するのである。

芋虫はたいてい踏み潰して殺す人が多いのであるが、揚句の作者は無益な殺生を好まず捕獲したそれを垣根の外の露地へ投げ捨てたのである。かくいう私もよくそうするので共感を覚えた。

2024年9月23日

青空に呑み込まれゆく秋の雲

康子

やまだみのる選

秋雲の代表は鰯雲ですが、真っ先に秋の訪れを教えてくれるのは巻雲で、すじ雲とも呼ばれる。澄んだ青のキャンバスにハケでサーっと描いたような雲が秋の爽やかさを醸し出します。

偏西風が吹くようになると高度の高いところにある氷の粒が落ちる時に風に流されてすじ状の巻雲になる。刻々と変化していくその様子を「青空が雲を呑み込んでいくようだ」と捉えたところが手柄であり、他の季の雲ではこうは詠めないので季語が動かないのである。

早逝の夫と祝はむ敬老日

こすもす

やまだみのる選

ご主人亡きあと家族の生活を守るために寡婦として頑張って来られた主人公の姿が目に浮かぶ。子育ての使命も全うされ、来し方の労をねぎらわれて敬老のお祝いを享けられた幸せ感が伝わってくる。

紆余曲折、さまざまな苦労や戦いもあったけれどなんとかここまで導かれてきたのはいつもご主人が見守っていてくれたからに違いない。敬老のお祝いに頂いた紅白饅頭を仏前に備えながら感謝の祈りを捧げ、天国のご主人と一緒にその喜びを共有したのである。

鉄橋の電車包まる秋夕焼

もとこ

やまだみのる選

鉄道写真の撮影を愛好する人たちのことを「撮り鉄」という。鉄道のある風景をいかに美しく撮るかにこだわる人たちは、揚句のような感動的なシーンを捉えるために何度も何度も通い詰める。

同じ情景を十七文字で写す俳句ではその大部分を省略して連想にゆだねる。夕焼空を背景にシルエットのように見えているであろうこと、鉄橋があるならそこは渓谷であろうこと、秋の夕焼であるゆえに美しく燃える四囲の紅葉も見えてくるのである。

2024年9月16日

鈴虫も寝たやうだから本を閉ず

たか子

やまだみのる選

鈴虫は夜行性だと言われるが暗くて涼しい場所なら昼間でもないてくれる。飼いやすく繁殖も容易なことから容器に入れて家飼いしその美しい鈴の音に疲れを癒し楽しむ人も多い。

鈴虫が寝る…というような習性はないと思うが鳴き続けるのはとてもエネルギーを消費するそうなので、鳴き疲れて休んでいるのであろう。灯火親し、読書の夜も更けてふと気づくと鈴虫もすっかり静かになっていたのである。発想が楽しい。

家蜘蛛のもはや家族となりし居間

あひる

やまだみのる選

家蜘蛛というのは蝿とり蜘蛛のことであろう。人を咬むことはめったになく人体に有害な毒も持ちません。その上で、蝿や蚊、ゴキブリなど衛生害虫を食べてくれる益虫なのです。

殺してはいけないと言われるのは「縁起のいい虫」だと信じられているからで、福を呼んでくれたりお店にお客さんを多く呼んでくれると言われてるからです。ちょろちょろすると気持ち悪いが慣れたら家族のようなものだという。俳人ならではの発想ですね。

独り居の二人の夕餉初秋刀魚

うつぎ

やまだみのる選

解釈が難しいと思われたのか互選は振るわなかった。二人のうちの一人は亡くなった配偶者とか家族を意味しているのでは?…と説明されたならすっと腑に落ちる句ではないだろうか。

昨今は不漁続きで秋刀魚も高級品となったが、昔は秋の旬を味わう代表的な魚として七輪で焼いたものが庶民の食卓に好まれた。酒の肴としても人気があった。奮発して初秋刀魚を焼き仏前とか生前の定席に備えて懐かしく二人で盃を交わしたのであろう。

2024年9月9日

ぱらぱらとひかりの礫小鳥来る

澄子

やまだみのる選

秋もかなり深まった頃になるといろいろな種類の小鳥が渡ってくる。澄んだ秋の大空を飛ぶ小鳥の群れは爽快であり、庭木に来る美しい羽の小鳥は可憐である。揚句は後者であろう。

庭木の梢を上を下へと移り、かと思えば連鎖反応のように降り立ちて忙しく庭土をついばむ。ぱらぱらとひかり…の措辞によって小鳥たちが羽ばたくときに綺羅と日を弾く様子がわかり、その動きは礫のように俊敏なので眺めているだけで元気がもらえのである。

落とし水までの日数の畦めぐる

千鶴

やまだみのる選

落とし水は出穂約30日前後、稲刈りの約10日前を目安に行われる。落とし水を行うことで稲を乾かし登熟を完了させ、土を乾かすことでコンバインの走行性を安定させ稲刈り作業をスムーズに行えるようにするのである。

稲刈り当日は応援人を動員する必要もあるし、何かと事前の準備や手配がいる。稲の成長具合や天気予報などを見極めつつ逆算して落とし水の日を決めなければと見回っているのである。

獅子唐のにぎやかに爆ぜフライパン

あひる

やまだみのる選

獅子唐はピーマンやパプリカなどと同じ唐辛子の仲間の甘味種。果実の先が獅子頭に見える事から名付けられた。高温性野菜のため暑さに強く夏野菜として栽培され市場に出荷される。

焼く、煮る、揚げる、さまざまな調理法がある。そのまま加熱調理すると中の空気が膨張して破裂する恐れもあるので蔕の部分を切ってから調理するのであるが、揚句のそれは小ぶりであったのでそのままフライパンで焼いているのであろう。愉しい句である。

2024年9月3日

落蝉の乾ききつたる軽さかな

うつぎ

やまだみのる選

落蝉はたいていは仰向けに落ちていて叫びながら激しくもがくものもいて哀れです。夏でもみかけますが蝉が短い夏の象徴として詠まれるのに対して落蝉は秋の季語として詠まれます。

揚句のそれは落ちてから幾日か経過していると見えてすっかり干からびているのです。蝉は羽化してから一週間ほどで死んでしまいますから拾い上げて掌に載せその軽さに命の儚さと尊厳を感じながら寧かれと祈り心に観察しているのである。

残暑なほ西窓の戸は閉めつきり

せいじ

やまだみのる選

残暑と呼ぶ事ができるのは時期が決まっていて、立秋(8月7日頃)から秋分(9月23日頃)までの間で気温が高いことをいう。おさまらない暑さを『残暑が厳しい』と言います。

クーラー頼みの生活もこの時期になると朝夕は涼しくなるので窓を開けて涼風を取り入れる。ところが揚句の西窓は強烈な西日が差し込むので葭簀などの日除けを繰ることもせず閉め切ったままだという。うんざりとした残暑の気分がよく写生されている。

窓少し開け枕とす虫の声

むべ

やまだみのる選

虫の音を愛する文化は珍しいそうで欧米人は雑音と捉えているという話もあるが、虫の鳴き声にはリラックス効果をはじめとした人間の心理的な回復効果があることが明らかにされている。

近年は夜も冷房なしでは寝られないという生活が常となったが、ようやく秋の兆しが感じられるようになりか細く庭の虫が鳴き始めた。防犯のため夜は戸締まりをするのであるが残暑で寝苦しく少しだけ開けて虫の声をBGM代わりにして就寝したのである。