月間秀句/202408

2024年8月26日

他人に聞く亡夫の逸話や長き夜

むべ

やまだみのる選

「他人」は「ひと」と発音し、「亡夫」は「つま」と発音して鑑賞してほしい。これらは文法云々ではなく俳句のような短詩系では慣例として許容されているものなので覚えるしかない。

夜長は初秋の季語、ちょうどお盆帰省で故郷へ戻られた亡きご主人の友人が故人を偲んで遺族を問案されたのであろう。家族は知らなったような故人の人となりや生前に漏れ聞かされていたご家族への思いなどの逸話に心満たされて夜が更けるのである。

連発の余韻の煙花火果つ

うつぎ

やまだみのる選

「連発」と「花火果つ」の措辞によって揚花火のフィナーレのシーンであることが容易に連想できる。冗長な説明をせずとも的確な措辞の斡旋で具体的に伝えられることを学びたい。

揚花火の豪快さや美しさ、人出などを詠んだ句は多く、得てして類想になりがちであるが、花火が闇夜に散華したあとの煙に焦点を絞ったことで非凡な作品となった。ひときわ大輪の花火が連発で最後を飾った。夜空に漂う白煙がその余韻を感じさせるのである。

校長のうしろ手に佇つ秋風裡

幸子

やまだみのる選

いろいろ思想の異なる教員の群れを束ね、統率、牽引していくべき校長職には気苦労も多く、他人に愚痴をこぼすことも許されないので悶々とストレスが溜まる職業ではないかと思う。

教師に対する父兄からの不満と教員からの突き上げという両面に対処して捌かねばならず、胃の痛くなるような日々に耐えられずリタイアする人もあるという。二学期を迎えるにあたって諸問題に苦悩しつつ秋風に佇む校長先生の姿が目に浮かぶのである。

2024年8月19日

吹き渡る風の甘さよ葡萄畑

風民

やまだみのる選

多くの歳時記が葡萄を秋の季語としているのは果物として市場に出回る頃を旬としているからである。けれども熟す前の青葡萄は夏の季語であり、葡萄の花として詠まれるのは初夏である。

揚句は結実した葡萄棚のそれが放つ香りとも考えられるが、俳句としては風薫る初夏のころ葡萄畑一帯に葡萄の花の香りが立ち込める様子と捉えたい。梅の花や桜の花を強くした香り…などとも聞く。開花の早い品種はすでに小さな果実が膨らみ始めている。

この歳になればわかると生身魂

明日香

やまだみのる選

生身魂は、お盆の日程の間に吉日を選んで両親の長寿を祈ってもてなす行事である。汀子編のホトトギス新歳時記には、『生身魂こゝろしづかに端居かな 阿波野青畝』の一句のみが記されている。

そのような高齢の両親をお盆の時期に見舞ったのである。歳を重ねてあちこちと体が不自由になったことや来し方の苦労話などに頷きながら励ましているのであるが、「あんたらもなあ、この歳になったらわかるよ…」とついつい愚痴がこぼれるのである。

郷里より盆供にせよと早場米

うつぎ

やまだみのる選

早場米とは通常の出荷時期より早い8月〜9月に出荷される米である。早場米が作られる主な理由は、出水や長雨など秋の天候不順を避けるためで九州や四国、裏日本の地域に多い。

郷関を出て都会に暮らす作者のもとに実家から早場米が届けられたのである。届いた宅急便にはお盆のお供えに間に合うようにとの心遣いの一筆がしたためてあったのだろう。炊きあがったそれをお供えし懐かしい故郷の味をお先祖の霊と共有したのである。

2024年8月12日

孫ら来る巨大サンダル脱ぎ散らし

もとこ

やまだみのる選

サンダルが夏の季語に認定されたは比較的新しくビーチサンダルが普及し始めたので句に詠まれるようになった。古代エジプト時代に用いられたのがサンダルのルーツだと云われる。

夏休みになったので孫たちが帰省してきた。実家ゆえに気遣いもなく玄関に脱ぎ散らかしてある様子を素直に写生した。「まあまあ、お行儀が悪いこと…」と思いつつ、大きなサイズのサンダルを眺めながら孫たちの成長ぶりを実感して喜んでいるのである。

三輪山を嵌めたる茅の輪潜りけり

明日香

やまだみのる選

夏越の大祓として行われる「茅の輪くぐり」は、茅で編んだ直径数メートルの輪をくぐり、一年の前半の穢れを清めて災厄を払い、一年の後半もまた無事に過ごせるようにと祈る行事。

三輪山麓にある大神神社の茅の輪ではないかと思う。ここの茅の輪は三つの茅の輪で出来ていて「みわの茅の輪」として親しまれている。三輪山の全景がすっぽり嵌っているという意味ではなくご神体が宿っているとされるそれを恭しく潜っているのである。

二三言蝉の寝言か真夜の庭

あひる

やまだみのる選

蝉の啼く時期や時間帯は種類によって違う。気温や明るさが影響されるそうで最近主流の熊蝉は夜明けから午前中と夕方に啼き気温が急上昇する炎天下と気温の下る夜は鳴かないそうだ。

揚句の場合、夜になっても気温の下がらない熱帯夜であったのではないかと思う。作者も又寝苦しい夜を過ごしていたところに突然庭の方からジジと漏れ啼く蝉の声が聞こえたのである。それを蝉の寝言かもと捉えたところが非凡で面白く俳諧の滑稽に通じる。

2024年8月7日

似顔絵師涼しき眼より描き初む

よし女

やまだみのる選

似ている!といわれる似顔絵の描き方の一番のポイントは目の特徴を捉えることだという。確かに目にはその人の性格や喜怒哀楽などの精神状態まで表れるとも云われる。

初めに顔と髪型などの輪郭を描き、次に目、鼻、口の位置を決めるのが良い似顔絵を描く秘訣だと云われる。ところが揚句の似顔絵師は真っ先に目から描き初めた。涼し気に描かれたそれは既にモデルの面影を反映している。一味違うプロの技に感動したのである。

立ち呑みの人垣にさす西日かな

澄子

やまだみのる選

揚句の舞台は椅子テーブルの置かれた居酒屋ではなく裏通りで営業するカウンターターだけの質素な立ち飲み屋である。季語は西日なので暑い盛りのアフターファイブであろう。

立呑み屋は小規模で経費も抑えられることから安価に酒を提供できるので低所得者の常連客で賑わう。顔を隠す程度に垂らされた短い赤暖簾越しに肩を並べて安い酒に癒やされている人達の背中に西日が指している。ALWAYS 三丁目の夕日の景を連想した。

古町の甍まばゆき夕立後

かえる

やまだみのる選

昔ながらの風情をそのままに伝えてくれる古町の佇まいは、その地方やその土地に培われた歴史や風土、人々の暮らしぶりなどが偲ばれて訪れる旅人たちの心を癒やしてくれる。

揚句はやや高台から眼下に展けた古町の様子ではないかと思う。古町の路地は陋巷とも形容されるように狭いので犇めくように立ち並んだ家並みの甍は波のように連なって見える。夕立に洗はれたそれはいま残照の日差しを弾いて眩しく輝いているのだ。