月間秀句/202404

2024年4月30日

咲き満ちて藤棚千客万来す

澄子

やまだみのる選

地に触れんばかりに咲き満ちた著名な砂ずりの棚藤であろうか、満開、見頃との情報を聞きつけた大勢の見物客が入れ代わり立ち代わりして賑わっているのである。

よく晴れて明るい日差しがさす日には、咲き満ちた藤の花が虫寄せのフェロモンを発するので大小の虻や蜜蜂たちが集まってきてホバリングしながら藤房に頭突きをくりかえし様々な音色の羽音があい和してさながら協奏曲を奏でるのである。

三線に手の踊りだす花筵

あひる

やまだみのる選

いろいろななりわいで故郷を離れ都会での生活を余儀なくされている沖縄県人会の人たちが満開の花下にあい集って望郷の思いを共有しつつ慰め励まし合っている宴の様子が目に浮かぶ。

宴もたけなわとなると自ずから三線の出番となりなつかしいメロディーを爪弾きながら沖縄なまりの地唄を合唱しだすと、連鎖するようにごく自然に体が動きだして手拍子まじりに踊りだす。このひと時だけは喧騒な都会ぐらしを忘れて癒やされるのである。

藤棚の下に人垣将棋盤

こすもす

やまだみのる選

咲き満ちた藤の花が心地よい薫風に香り、ほどよい陽射しのこぼれる明るい藤棚の下のベンチはとても快適で地域の老若男女が集ひ他愛のない井戸端会議で賑わう格好の社交場となる。

いくつか置かれたベンチの一つに人垣ができていたので何だろうと覗き込むと近所のおじいちゃんたちが将棋に興じているのであった。対戦している二人は寡黙に考えながら指しているのだが、それを取り囲んだ外野席が丁々発止と賑やかなのである。

2024年4月23日

三輪山の薄雲払ふ桜南風

明日香

やまだみのる選

桜南風(さくらまじ)は桜の咲くころの南風のこと。晩春の油を流したような穏やかな南風は油南風(あぶらまじ)という。単に南風(みなみかぜ・みなみ)と言うと夏の季語になる。

三輪山は、大和三山(香具山・畝傍山・耳成山)と共に大和を代表する御神体として親しまれ日本最古の神社といわれている。桜のころは花曇りが多くいつも薄衣を纏っているかのように見えるのだが今日は温かい南風が吹いてそれを脱がせたよ…と見たのである。

先生に桜蕊降る離任式

みきお

やまだみのる選

離任式は三月の修了式と同じ日に行われることが多いが一部の地域では四月に行われることもある。対象となるのは定年を迎えて退任する重職の先生や人事異動で他校への転任となる先生たちである。

揚句は桜蕊を季語としているので四月だと連想できる。花束贈呈が終わり式場を出た先生が桜の樹下で生徒たちとの別れを惜しんでいるのである。先生のスーツの肩にお疲れさまとばかりに桜蕊が降り注ぐ。第三者目線ではなく一人の生徒の目に浮かぶ景として鑑賞したい。

十字架の塔抽んでし花の雲

かえる

やまだみのる選

桜の花が一面に咲き連なっているようすを雲に見立てて「花の雲」という季語が生まれた。 やや遠景として詠まれることが多く揚句もチャペル本体は花の雲に隠され尖塔だけが抽んでているのである。

何かが花の雲を抽んでる…という例句は多いが、十字架を配したところが揚句の命となっている。桜といえば三月下旬から四月上旬キリスト教では復活祭の時期にあたる。毎年季節を違わずに花を咲かせる桜に復活のイエス・キリストへの思いが重なるのである。

2024年4月16日

祝福のごとく総身に花吹雪

むべ

やまだみのる選

一読、新郎新婦の退場の際に祝福の意味合いを込めて参列者が米を振り掛けるライスシャワーのシーンを連想させる。近年ではお米ではなくて小さく切りきざんだ紙吹雪でそれを模すことが多い。

咲き満ちた桜は早や散りはじめていて、ときおり吹く気まぐれな風に高舞ひながら飛花落花する。美しくもあり且つ儚くもある情景ながら健康で生かされている幸せを実感し、キリスト者である作者は天からの祝福の洗礼を浴びているようにも感じたのである。

試歩の母饒舌となる花の道

康子

やまだみのる選

歳を重ね高齢になるほど足腰が弱くなり、あちこちに痛みがでたりしてついつい出不精になりがちである。しかも日中は家人がみな勤めに出るのでお喋りの相手もなく独りで留守番をすることになる。

今日は仕事も休みで温かい日差しも賜ったので老い母を励まそうと杖代わりになって散歩に誘った。満開の桜並木の道は心洗われるような美しさ。そんな花に癒やされるように日頃は寡黙な母もいつになく饒舌になってお喋りが弾むのである。

この平和永遠にと願ふ花の下

たか子

やまだみのる選

花の下と書いて「はなのもと」と読むのは自明、「願はくは花の下にて春死なむ…」と詠んだ西行の歌を思い浮かべます。桜を春の風物詩として愛で親しむのは日本独特の習慣です。

満開の花を愛でながら癒やしを得られるのも平和が保たれていればこそながら永久の保証はない。世界に目を向けるとあいかわらず理不尽な戦争が耐えることなく悲惨なニュースに心が傷む。穏やかな花下に佇みながら平和な日が続くようにと祈り願うのである。

2024年4月11日

行き一分帰り三分や花堤

あられ

やまだみのる選

寒の戻りで開花が大きく遅れていたが、待ちにまった開花宣言のニュースを聞きいち早く名所の花堤を訪ねた。さすがにまだ咲き始めたばかりなので贔屓目に見てもちらほら一分咲きというところ。

さすがに人出もまばらで肌寒さも残っていたが晴れた青空であることが慰めであった。花堤を歩き尽きた頃には日も高くなり温かくなってきた。やがて来た道を取って返すと往路はなんと三分咲きくらいまでに進んでいるのに気づいて幸せな気分になったのである。

花冷の両手につつむふるまひ茶

なつき

やまだみのる選

桜の時期だけ公開されている名苑のさくら祭りかと思う。要の大樹をはじめ天地人をなして咲きほこる苑内の桜をゆっくり愛でられるように要所には緋毛氈床几がおかれたりしている。

あいにくこの日は花曇りで気温も低く苑内を散策しているうちにすっかり体が冷えてしまい、招き入れられた数寄屋風の屋敷の部屋で休憩させてもらうことにした。屋敷主の気遣いであたたかいお茶がふるまわれもろ手つつみに一服いただいてようやく一息ついたのである。

白皙に深く被りし春帽子

かえる

やまだみのる選

これはただの報告の句ではない。季語として斡旋された「春帽子」がまったく不動と言っても過ぎないくらいみごとな演出効果を発揮していることに気づいてほしいのである。

紫外線は春頃から急激に強くなりはじめるので、この春先が油断大敵なのである。対策に余念のない主人公はつば広の春帽子を深々とかぶり、さらに念の為に春日傘も掲げているのかも知れない。白皙美人を維持するために斯く努力を惜しまないのである。