月間秀句/202402

お前もか眠れぬ夜の浮かれ猫

もとこ

やまだみのる選

春は別れがあったり何かと身辺に変化があるので春愁の気分が募る。家事に追われ雑用を捌いている昼間はそれも忘れているのだが、慌ただしく一日が終りようやく寝床に入ると再びあれやこれやと気になることが思いだされてなかなか寝付かれない。

普段は作者の傍で大人しく眠っている猫が何時になく落ち着かない様子で外に出してよ〜と恨めしそうな顔で訴えてくる。そうかお前も恋にこがれて眠れない訳かと合点したのである。

背伸びするごとくに鴨の羽ばたきぬ

はく子

やまだみのる選

「大き尻ざぶんと鴨の着水す 青畝」の句がある。鴨はお尻が大きくて他の水鳥たちのようにスマートに着水できないので尻もちをつくようにざぶんと水しぶきをたてながら着水する。

鴨の大尻は離水するときも難儀で瞬時に翔つことが出来ず、水掻きで立泳ぎをして一度体を浮かしてから羽ばたきはじめる。なお且つこの大尻のせいで急上昇が叶わず低空飛行を余儀なくされる。鴨網という捕獲法はこの習性を利用しているのである。

ホール出て春雨傘の華やぎぬ

むべ

やまだみのる選

揚句の雰囲気からは音楽リサイタルなどが催されている芸術ホールを想像する。やがて舞台がはねて大勢の観客が出口ホールに押し寄せてくるのであるがスムーズに捌けなくて渋滞しているらしい。

雨が降り出したらしく前列の人たちがバッグから傘を出すのに手間取っているのが渋滞の原因らしい。慌てても仕方がないので後列にとどまって眺めているとカラフルな春雨傘が次々と開いてホールの外へ散っていく様子に春らしい華やぎを覚えたのである。

2024年3月5日

2024年2月27日

引退の盲導犬に草萌ゆる

千鶴

やまだみのる選

盲導犬の定年は約10歳だそうだ。引退した盲導犬(リタイア犬)を家族の一員として迎えるというボランティアがある。引退後は、新しい家庭で一般の家庭犬のようにのんびりと余生を過ごします。

大型犬の寿命は凡そ15年と言われる。永年の任務を解かれた揚句の老盲導犬は今、萌えいづる大地にゆったりと身を臥せて復活の命の香を嗅ぎながら安らぎを得ているのであろう。飼い主も又「長い間ご苦労さま!」と優しいまなざしを注いでいるのである。

皿洗ひ夫にまかせて春炬燵

あひる

やまだみのる選

春寒に耐えては洗濯物を出し入れし、水仕事で荒れる手をクリームで手入れしながらも厨仕事を休むわけにはいかない。掃除、買い物等々、主婦業には定年も休日もないのである。

そんな奥様のつかれた表情をふと見てとったご主人が、夕食後のあと片付けを買ってでたのである。亭主関白が男の勲章であるかのような時代は過ぎ去った。偕老同穴を願うのであれば互いに思いやりつつの日々が大切なのである。お父さん明日もよろしくね。

団欒のごと寄り咲きし福寿草

むべ

やまだみのる選

福寿草は早春に黄金色の花を咲かせることから、一番に春を告げるという意味で江戸時代には「福告ぐ草(フクツグソウ)」と呼ばれ、古くから元日に咲くように栽培されてきた。

茎立ちは微妙に遅速があるので妹背並びであったり鼎立ちしたりとさまざまである。一番背高なのはお父さん、それに添うようにお母さん、芽が出たばかりの小さいのは子どもたち、揚句のそれはあたかも団欒の卓を囲んでいる一家族のように見えたのである。

2024年2月19日

尾根つづる耐寒錬の子らの列

せつ子

やまだみのる選

冬枯れの嶺々を連ねている寒空をうち仰いでいると、山頂から吹き下ろしてくる北風にのってときおり子どもたちの掛け声が聞こえてくる。何だろうと目を凝らして注意深く観察しなおすと痩せ尾根づたいに数珠なして進む人影を見つけた。

やがてそれは、耐寒訓練のために尾根を縦走している少年たちの姿であることが合点された。高齢の作者にとって思わず身ぶるいしそうな光景であったが何となく勇気をもらえた気分も得たのである。

水脈曳くは鯉の背鰭や風光る

康子

やまだみのる選

水温の低い寒の池の鯉たちはじっと水底に身を潜めて動こうとしない。三寒四温の日々も過ぎてようやく春の兆しが見え始めたので池塘を散歩していると足元の水面を二タ分けに切り裂くように水脈を曳いていく何かに気づいた。

どうやらその黒い影はまるまると太った大鯉が背びれを突き立てて泳いでいるらしい。やがてその水脈は春光の糸を引くかのように直線的に進み麗らかな気分を残して離れていったのである。

窓ちよつと開けて雪見の終ひ風呂

かえる

やまだみのる選

地球温暖化が騒がれて久しいが、昨今の異常気象は想定できないようなことが生じる。昨日まではあんなに温暖で過ごしやすいと侮っていたら今朝はいきなり雪模様、大都会はたちまち混乱する。

通勤の慌ただしさに加えて家事も待っているという主婦にとっては雪の風情を楽しんでいる余裕はない。夕食のあと片付けも済み家族も寝しずまってから、やっとささやかな自分の時間を得た。そうだったと気づいて湯舟の中からしばしの慰めを得たのである。

2024年2月12日

醜草かはた名草かも双葉出づ

明日香

やまだみのる選

立春を過ぎると庭や畑のあちこちに土を割って、我もわれもと物の芽が命を現す。朝ごとにそれらを存問するのが日課となり、日に日に成長していくその様子を観察するのが作者の至福時なのである。

春が進むにつれて双葉になり、やがて本葉へと成長していくのであるが双葉はみなよく似ているので本葉が展開し始めるまでは見分けがつかない。他所から種が飛んできて思いも寄らぬ名草が授かることもあるので安易に抜くわけにもいかないのである。

壷の椿ふつくらと紅ふふみたる

満天

やまだみのる選

椿の花が一番綺麗なのは咲いたその日一日だけ…という説もある。俳句では落椿の得も知れぬ情緒が好まれて詠まれるが、庭の椿を剪って壺に生け床の間に飾って楽しむこともまた早春の風情である。

独特のふっくらとして固く逞しい蕾が日々綻んでいく様子もまた椿ならではの味わいなのである。壺に生けられていた揚句の椿の蕾も少し緩みが見えはじめていて、その天辺からは、ほんのりと紅がのぞいて含み笑いの口元のようにも見えるのである。

太鼓打つポニーテールや節分会

むべ

やまだみのる選

ポニーテールのおばさんでは絵にならない。襷姿の若い女性がきりりと後ろ鉢巻をしめ、壇上で高々と勇ましく撥を翳している様子を連想する。産土の大寺で行われる恒例の節分会神事の様子であろう。

こうした地域の伝統行事は、それを受け継ぎ支えてきた長老たちの働き処であるが、伝統を守るためには次代を担う若い人たちを育てつつバトンタッチして行くことも大事なこと。老いも若きも志を一つにし、町興しの一端を担って奉仕しているのである。

2024年2月5日

暖房に欠伸こらえる会議室

あひる

やまだみのる選

ちょうどいい塩梅に暖房が効いていてちょっと油断すると睡魔に襲われそうな会議室の様子が目に浮かぶ。作者にしてみればどちらでもよいような議題ながら遅々として進まず退屈しているのである。

思わず出そうになる欠伸を歯を食いしばって耐えている様子を連想するとじつに滑稽。議事をメモするようなふりをして漫画を書いていたり、脳のメモ帳で俳句の推敲をしたりしながら気を紛らわせて眠気と戦っていた自分の体験と重ねて笑ってしまった。

愛のチョコ見せあひて食ぶ父子かな

なつき

やまだみのる選

若くても年をとっていても男というものは実に他愛のないことで一喜一憂する単純な生き物である。俺の方が多い、いやこっちのほうがブランド物だ…などなど父子で対抗心を燃やしている景が如何にも微笑ましく平和な時代を反映している。

バレンタインの日がいつ頃から季語になったのはわからないけれど平成元年発行の虚子編新歳時記には掲載はない。大半が義理チョコだという現実はわかっていても互いにそれには触れないのである。

カリオンのゆうやけこやけ日脚伸ぶ

はく子

やまだみのる選

このチャペルは町の中心部にあって町の人たちの日々の生活に於いて親しまれているのではないかと思う。そしてカリオンは今ちょうど夕ミサの刻を告げているのである。

夕方5時になると公園のスピーカーからこのメロディーが鳴り「よい子は家へ帰りましょう」とアナウンスされる。カリオンはまたその地域においてそんな役目も果たしているのだろう。夕厨でカリオンの音に気づいた作者はふと日脚が伸びたことを実感したのである。