伽羅蕗は、ふきの茎をあく抜きし、しょうゆ・砂糖などで伽羅色(濃い茶色)になるまで煮しめた料理のことで昔はどこの家庭でも保存食として定番の料理であった。
簡単なレシピながら調味料の種類やその匙加減で微妙に味付けが変わる。それぞれの家庭の味がおばあちゃんから嫁へ、お母さんから娘へと引き継がれるのである。調味料というのは引き算ができないので少量づつ加えては味を利きながら慎重に料理をしているのである。
大きな花虻が羽音を立てながら近づいてくると蜂かと思って驚きますがなれてくると容易に見分けられます。蜂は自分の身や巣を守るために攻撃してくるのに対し、花虻は花蜜を吸うのが目的なので慌てて刺激しなければ恐れることはあありません。
お天気の良い日は花たちも喜んでフェロモンを放散するので花虻も元気に飛び回ります。苑をめぐる道の行く手行く手にホバリングしては、美しく咲き香る花々へと案内してくれるのである。
これは単なる報告の句ではない。保育園を卒園した吾子が小学校入学に備えて両親とともに励んだ希望溢れるストリーが背景に潜んでいることを見逃さないでほしいのである。
幼稚園、保育園では元気に仲良く遊ぶことが主な習慣であったが小学校からは「学ぶ」ことが重視される。学びのつまづきは仲間からの遅れが最大の要因。そのために最初が肝心と懸命にひらがなの読みを両親と一緒に事前勉強したのである。
桜の花が一面に満開になるさまを雲に見立てて「花の雲」という季語がある。基本的にこの季語を使うときは、近景ではなく対象からやや距離のある遠景を捉えて詠むのが基本である。
揚句の場合、花の雲の上に曲がりくねったレールが見えているのであるがその低い部分は満開の桜に隠れて見えないのである。勢い良く走っていたカートが最高部から低部へと移動するさまを花の雲へ消えたと詠んでジェットコースターのスピード感を連想させている。
北海道の旅の魅力は、なんといっても眼前に展開する広大な大地の景である。ゆるやかな起伏野に草原あり麦畑あり等々、カラフルで立体的な景はまさに一幅の絵画を見ているようである。
旅の帰路は飛行機、機窓からのパノラマを期待していたが残念ながら霞んでいてよく見えない。春になって気温が上がると空気中に多くの水蒸気が含まれるようになるので上空からは霞状態となるのであろう。霞越しに見る大地の景もまた幻想的であったことだろう。
淀川河川敷の背割堤では毎年「背割堤さくらまつり」が開催され、さくらの見頃になる凡そ二週間ほどの間は混雑や事故を予防するために有料ゾーンが区画され入場ゲートが仮設される。
背割堤は宇治川と木津川を隔てる堤防で、淀川河川公園背割堤地区として国営公園となっている。一見ただの報告の句だと思われるかもしれないが、普段は静かな散歩コースである河川敷が花時になると斯くも賑わうのだという対比を連想させるところが非凡である。
人生には悲喜こもごもなシーンがあり、良きも悪しきもいろいろと体験させられる。順風満帆に慣れると感謝することも忘れがちだが、一転予期しないような不遇が続くとついつい恨み言をこぼす。
子育ての重責も果たし、ようやく平穏な余生を満喫できるようになると今度は老化との戦いが始まる。加えてコロナ禍や戦争のニュースなど次々と新たな不安が絶えないのであるが、全てがエイプリルフールであればよいのにと…。万愚節の句として新しい捉え方である。
札幌は春先風が強いと言われていてその風を馬糞風と言う。むかし移動手段が馬そりの頃に雪解けと共に乾いた馬の糞が露出し風に乗って飛ぶのが凄かったことから生れた季語。昨今では死語となっているが俳句の世界では北国の風物詩として詠み継がれている。
せっかく北海道までやってきたのに春嵐とは…と普通の旅人ならば不遇を嘆くところだが、これもまた私を歓迎するための北の大地からの挨拶なのだと受け止めてやり過ごせるのが俳人の特権である。
水中では背びれは畳んで泳ぐそうですが水面スレスレに泳ぐときはなぜか立っていることが多いように思います。餌つけされている池や川の鯉は人影に敏感で水面スレスレを泳ぐことが多いです。
水面には池塘の桜が散り敷いて落花畳をなしている。ふと見ると何かがその水面を二タ分けに切るように移動していくのに気づいた。落花畳の下の鯉は姿が見えなかったけれどを花屑をつけて移動していくので鯉の背びれなのだとうべなったのである。
青春切符というのは、JRの青春18きっぷのこと。春、夏、冬に期間を定めて普通車が乗り放題になるという格安サービス。本来は若い世代を対象としたことで「青春」というネーミングになった。
高齢になると身体のあちこちが不調になってついつい出不精になるので気分的にも鬱が募りがちである。旅行でもすれば気分が晴れるかもと青春きっぷを購入したのである。のんびりと鈍行列車での旅を楽しんでいると青春時代へタイムスリップしたような気分になる。