毎日句会の週間秀句と選評(最新2ヶ月分を表示、他は過去一覧から)
毎日句会の週間秀句と選評(最新2ヶ月分を表示、他は過去一覧から)
発熱があるときは勿論だが、そうでないときでも湯冷めすると風邪の症状が悪化するので基本的に入浴ははばかられる。揚句の場合は長引いてしまい数日間お風呂に入れなかったのであろう。
ようやく風邪が抜けて久しぶりの入浴解禁、大丈夫だとは思うがぶり返しを恐れてお風呂の湯温を少し熱め設定して沸かしたのである。風邪の例句は、症状最中のものや抜けきらずに物憂い気分を詠んだものが多い中、「風邪癒えて」の句は新鮮だと思う。
過日の枚方宿吟行で詠まれた作品だが「なぜこれが秀句なの?」と思われる人もいるかと思う。京街道ではなくて何街道でも意味が通るし、菊でなくてもいいので季語が動くのでは…と。
「門ごと」「京街道」の措辞によって軒を連ねた古町の風情の残る歴史街道であることがわかるのである。また京は菊の名所も多く個人の庭でもよく親しまれ、特にこの地域でしか見られない嵯峨菊なども有名である故、季語の菊が動かないのである。
チェロは、ベースからメロディまで奏でることができる音域の広さが魅力であるとともに、その落ち着いた温かい音色は、『人間の声に一番近い楽器』とも言われている。
心地よいその音色が演奏会が果てたあとも身体全体に染み込んで余韻として残っているというような気分を連想する。その余韻ごとコートに身を包みこんで会場をあとにしたというのである。コンサートと言わずにそれを連想に委ねた所がこの句の手柄である。
俳句では落葉樹の冬の容姿を表現する季語として枯木と裸木という似た季語がある。枯木は枯れた小枝や葉が落ちた木、裸木は全ての葉が落ちてしまった幹と枝だけの木だと説明がある。
明確な定義はないが前者は大樹の全容を連想させ、後者はすっかり丸裸になってしまったなぁ…という感嘆の趣がある。作者は、枯木となった大樹の天辺に風雨に耐えてなお数枚の虫喰葉が残っているのに気づいて命の尊厳を感じたのではないかと思う。
就寝前のお風呂上がりの女性が湯冷めしないようにリモコンの温度を高めに設定して部屋の暖房を効かせ、伸ばした四肢にお肌のケアのための化粧水を沁み込ませている姿が浮かぶ。
パジャマを着てしまってからでは四肢の付け根の部分まではケアできないのでバスタオルをまとっただけの姿かもしれず、男性目線で鑑賞するとやや艶っぽい句に仕上がっているかと思う。暖房という季語を詠んだ句として新しさを感じる。
クリスマスカードは日本の年賀状のように欧米社会ではとても重要で、メールやSNSのメッセージでのやりとりが主流になった時代でもクリスマスカードの文化が色濃く残っている。
揚句のそれは欧米の友人から届いたのであろう。エアメールではなく船便であったというのが驚きで、通常クリスマスの1週間ほど前に届くように送るのが習慣なので、アドベントになるまえの早くから思いを馳せてくれた送り主の優しさに感動しているのである。
柿は収穫後も追熟するが、揚句のそれは晩秋まで木についたままで残り今にもとろけそうに感じの数個の熟柿であろう。脚立とか梯子に乗って枝からもぐ人と下でそれを籠に受け取る人とを連想する。
放り投げて渡したり力強く掴むと破裂してしまいそうなので、大事に慎重に手渡ししているのであるがその様子が鶏小屋に潜って玉子を収穫する人と外でそれを手渡しで受け取る人の所作に似ていると感じた。体験や実感がなければ詠めない句である。
同日の作品にもう一句『老い夫の自立訓練りんご剥く』がある。会社勤めの現役時代は仕事一途で頑張り家族を支えていたご主人、家庭では上げ膳据え膳のお殿様であったのだろう。
奥様任せであった家事も老後の生活となると、自立できないと困ることもあるだろうからと話し合い、練習はじめに林檎剥きをしてもらったのである。慣れない包丁使いのために薄皮には剥けず彫刻のような形になってしまったという滑稽の句である。
ゆず湯という冬至の季語を知らない人には選べない作品である。冬至は上昇運に転じる大事な日のため、ゆず湯で禊(みそぎ)をして身を清める、邪気を祓うという意味があります。
柚子が自家収穫できる田舎の生活を連想する。家族は次々と柚子湯を済ませたが、後片付けに追われていた作者は仕舞湯となったのである。湯舟に浸るとお疲れ様とばかりに柚子が肩に触れる。柚子を指で小突きならが一日の疲れを癒やしているのである。
友禅の着物は、結婚式や結納、式典といった場で着用されることが多く美しい花を題材に染められる。たくさん広げて展示されたそれを連想させるのに「友禅の百花」の措辞が上手いと思う。
友禅自体に季節感はないので季語として冬座敷を斡旋した。「夏座敷」が開放感あふれる明るいイメージなのに対し「冬座敷」は寒々とした心象風景として描かれることが多いが華やかな友禅と取り合わせたことで暖かさを生み出せたことがこの句の手柄であろう。
地域の自治会で決められた公園清掃などのシーンが連想される。ご近所総出でわいわいぺちゃくちゃと楽しくおしゃべりしながら落葉を掃き集めては透明なビニール袋に詰めていくのである。
色葉とあるので枯葉や汚れた朽葉だけではなくて様々な公園樹の紅葉、黄葉したものも混じっていて色とりどり、それが袋に透けて曼荼羅模様に見えるのである。とても絵になりそうもない題材を見つけて一句に仕立て情緒を生み出すところに俳句の醍醐味がある。
今は古墳の多くが樹木に覆われているが、造成された当初は土盛りの上に石を敷きつめた状態で草木は生えておらず、禁足の地なるがゆえに暦年を経て自然に森が形成されたと言う説がある。
夏には鬱蒼と茂る古墳の森が本体を隠していて全く見えないのであるが、冬の今は疎となった森の樹幹隠れに古墳の丘の輪郭が見えているのであろう。樹齢を重ねて大樹となった森の木々はあたかも砦をなすように古墳の主の寧かれと守っているのである。
咳は、肺や気管などの呼吸器を守るために自然に出るものだが、寒さや風邪引が原因で咳こむことが多いので冬季の季語となっている。暖房で部屋の空気が乾燥していても咳がでやすくなる。
咳くことをはばかるような状況で我慢しようとするほど止まらなくなるから厄介である。揚句の作者も美容院で座についたとたんにそういう状況になり困惑しているときにそっとのど飴を差し出してくれた美容師の優しさに感動したのである。
太陽の塔は、1970年に開催された『日本万国博覧会』のために芸術家の岡本太郎が制作した建造物で、頂部には金色に輝き未来を象徴する「黄金の顔」、現在を象徴する正面の「太陽の顔」、過去を象徴する背面の「黒い太陽」という3つの顔をもっている。
斯く詠まれてみると確かに黄金の顔の目は碧眼である。それに気づいた作者の着眼点がこの句の手柄で、澄んだ秋空を季語に配したことでより焦点が強調されうち仰いでいる作者の姿も見えてくる。
一読手入れの行き届いた美しい苔庭の風景が連想される。照葉の季語が斡旋されているので、小春の日差しが庭紅葉を真っ赤に燃やしその洩れ日が苔庭にも射し届いているのでしょう。
びっしりと苔に覆われて暦年を物語っている庭石に目を移すと赤ちゃんの掌のような実生の紅葉が日に照らされて輝き「我ここにあり」と自己主張しているようだ。紅葉は初夏の頃にプロペラ型の種がつくがそれが岩苔にとりついて養われ実生となったのである。
夏は特にうるさいと思われる蠅も秋冷の頃ともなれば流石に元気を失い弱々しい。その存在感もうすれ、じっと止まっているのを見ると何やらもの悲しさしさを覚えるのである。
秋の蝿故に打つまでもなく手で払うと失せていなくなるのであるが、どこからともなく人恋しげにまた現れるのであろう。秋の蝿という季感を上手に捉えた佳句である。日溜りに縋って身じろがない冬の蝿とともに季節によってその本質が異なることを学びたい。
反抗期は2~4歳ごろの幼児期と、13歳前後から15歳までの思春期に起こるとされている。揚句の場合は、幼児期のそれが連想される。第一反抗期とも呼ばれイヤイヤ期として知られている。
原句は "べそかいて" だったが蹴り上げる動作の方に焦点を絞ることで句に力点が生まれるので添削させていただいた。悔しさをぶちまけている幼子の所作がまた微笑ましい。自己主張の芽生えの様子を遠い昔の自己体験と重ねて温かい眼差しで見守っているのである。
仏像の御手にのっている「宝珠」に似ていることから仏手柑と呼ばれるようになったとかで、主に観賞用として栽培されることが多くお正月飾りやお茶席の生け花などにも使われている。
そうした古風な伝統を受け継いでいる老舗の町家の風情を連想させてくれる作品である。事情があって京に仮住まいをされている作者であるが昨今の作品には古都の情緒を詠まれたものが多く視点や感覚の変化に目覚ましいものがある。さらなる奮闘を祈りたい。
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