管理人みのるの奉仕目的や の運営理念について纏めました。
私たちは、結社ではなくカルチャーでもありません。言うならば『超結社』でしょうか。
超結社って、結局は結社を下敷きとした組織なんでしょ?
と言われそうですね。確かにそうでもあり、そうでもないのです。
高浜虚子が「ホトトギス」という俳句結社を立ち上げて、大正から昭和の時代に俳壇に君臨したのは誰もが知るところです。以後、いっぱしの作家として本格的に俳句に関わっていくには、結社に所属して活動することが必須という選択肢になりました。
結社は、健全運営のために会員数を増やすことと流出を防ぐことが重要ですので、結社外で活動することを禁じたり主宰の許可を得てからというようなところも多いです。
で頑張っても俳壇に認められるということはありませんが、個人の活動に制限を加えるということも一切ありません。入退会は自由ですし、当然ながら会費も無料です。
結社にありがちな競争や排他感を無くし、楽しく学べる場にしたい。
という目的で奉仕していますが、カルチャー運営とは一線を画して、
『伝統俳句を正しく継承し、互いに切磋琢磨して学ぶ』
という意味では結社と変わりません。「超結社とは?」という普遍的な定義はありません。私なりに目指している道については、日記に書いていますので、お読みください。
は、本格的に伝統俳句を学びたいという方をその入口まで案内することも目的の一つにしています。
何年もカルチャーに通ってるけど一向に上達しないのよ…
よく聞くお話ですね。
カルチャーでは厳しく指導すると生徒が減ってしまって商売になりませんから、やる気がなくならないように妥協して指導します。でも本物を目指す学び方は違うのです。
参加無料なのは慈善事業のつもりではなく、情実を加えない真摯な指導を目指しているからです。
添削を受けられる作品は原則として客観写生の句に限ります。理屈俳句や主観句は添削できないからです。
主観句を詠むことが駄目という意味ではなく、初学のうちは独りよがりな作品になりがちだからです。理屈や主観を封印し、客観写生の訓練を重ねることで初めて余情のある主観句が詠めるようになるのです。
頭で考えただけの作品には読者に感動を与えるだけの力がありません。忍耐して感じることから訓練をしてください。そうすればごく自然に俳句が授かるようになります。
俳句は考えて作るものではなく感動と言うプロセスを経て授かるもの。
小路紫峡先生から教えていただいたみのるの俳句理念です。
風に揺れる草に強さを教えられ、蝉の抜け殻を見ては生命の尊厳を知る。自然は言葉を持ちませんが摂理のままに生きることで私たちに大切なメッセージを語りかけているのです。
うろうろ歩き廻って句を拾うのではなく、ひと処にとどまって、忍耐強く自然と対話することで感動が生まれ俳句が授かるのです。
心を虚しくして自然と対峙していると、自然のほうから語りかけてきます。大自然だけではなく、小動物や野の草花の営みにも不思議な摂理を覚え、自分自身もまた生かされているのだという生命の尊厳を実感するはずです。
理屈や常識というフィルターを取り除いて、幼子のように素直に自然との対話をしていると必ずさまざまな感動が生まれるはずです。その感動を十七字のことばに写しとる。そしてその感動が俳句を通して他の人の心にも響いてどんどん愛が広がっていく、そんな作品づくりをめざすことがゴスペル俳句の進むべき道だと私は信じています。
授かった感動を大切にして五・七・五の言葉に写す。最もふさわしい言葉を見つけて一句が生まれたとき、あらためて実感としてその情景が蘇ります。真実なことばはそれを詠む人の心をも揺り動かすので、共にその喜びを頒かちあえるのです。
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