月間秀句/202505

2025年5月28日

独り居に存問と聴く初音かな

うつぎ

やまだみのる選

鶯は夏に山地で繁殖し冬になると餌を求めて山を下り人里で暮らす。去年産まれた子が春隣のころにチャッチャッと地鳴きをするのを笹鳴きといい、その年の最初にホケキョウと届いた声を初音と呼ぶ。

春告鳥とも呼ばれ初音を聞くと春の到来を覚える。独り居の生活はどうしても単調で季節の移ろいにも鈍感になりがちですが、ふと聞えた初音の声が自分への存問のように思えて励ましを得たのです。初音を覚えて感動できるのは俳人の特権かもしれない。

風通ふ日の斑の道に三尺寝

澄子

やまだみのる選

三尺寝は、夏の暑さや日中の活動疲れから昼寝をする様子を言い、具体的には、職人が狭い場所で昼寝をする所作をいうのであるが、木陰と言わずに日の斑の道と言ったところが具体的で非凡です。

ときに涼風が通ってきてまだらな葉洩れ日が涼しげに揺れているようすも見えてくる。狭いながらも快適な場所なのでしょう。また日影が三尺ほど動く間の短い時間、つまり寸暇の昼寝のことだとも言われており、じつに俳諧味のある季語だと思う。

金婚の夫に感謝のビール注ぐ

あひる

やまだみのる選

プライベートなことに触れて失礼ながら、正直で真面目な性格のご主人とほんわかとしてやや天然気味の作者とのおしどりぶりは、ともに吟行を愉しむ私達メンバーにとって一種の清涼剤でもある。

半世紀という道のりには、順風満帆なときばかりではなく、互いに祈りあって乗り越えてこられた試練もあったに違いない。全てのこと相働きて益となる…という聖書の言葉があるが、顧みてまさにその実感だと思う。ご主人からは感謝の薔薇が贈られただろうか。

2025年5月21日

山襞の深きより霧立ち昇る

澄子

やまだみのる選

山の尾根と谷が入りくんで、ひだのように見える所を山襞という。深きより…という表現がこの句の鑑賞のポイントであり、作者と対象との位置関係を連想するためのヒントが隠されていると思う。

高々とそびえ立つ連山の景をうち仰いで写生したのでは、深きより…という実感は得られない。作者は対象とほぼ同じ高さで対峙しているか、或いはやや見下ろして俯瞰できるそんなアングルではないかと思われます。幻想的で美しい写生句だと思う。

スプーン舐め食べ頃を待つシャーベット

康子

やまだみのる選

シャーベットは乳固形分3.0%未満の氷菓のことで乳脂肪分の多いジェラートとは別物。フルーツジュースや果物のピューレを凍らせたものが多く、家庭用の冷蔵庫でも簡単に作ることができる。

冷凍室から出して須臾のそれは固くスプーンで割いて食べるということは難しい。丸ごと口中に放り込んで転がしつつ食べるという人もいるが、揚句の主人公は少し柔らかくなるまで待っているのでしょう。スプーン舐め…に待ち遠しい気分がうまく表現できている。

柏餅できたてはまず仏壇へ

ほたる

やまだみのる選

収穫で得た初物や季節に応じた縁起物をまず仏壇に備えたとする句は類想も多く、やもすると季語が動きやすい。揚句も同様で何ゆえに柏餅なのかを連想して鑑賞することが肝要となる。

故人がたまたま柏餅好きであったから…とするなら凡句になる。そうではなく、幼くして天国に召された男子を悼み、霊の安寧を祈って供えたのだと連想するとストーリーが生まれると思う。作者の意図とは異なるかもしれないが私は斯く連想できたゆえに秀句とした。

2025年5月14日

風鈴の鳴りはじめたる路地親し

澄子

やまだみのる選

通勤や買い物とか毎日の散歩の行き帰りなどで通っているわが町の路地が揚句の舞台。窓越しや或いは垣根越しに洩れ聞えてくる家々の生活音もまた、四季折々に親しいのです。

ふと気がつくと、どこからともなく風鈴の音が涼しげに響いてくる。長い冬が明け、ようやく春になったと思うま間もなくはや猛暑日のニュースが流れるという昨今の異常気象だが、洩れ聞えてくる風鈴の音に夏がすぐそこにまで近づいているのだと実感したのです。

指折りて友の名告ぐる一年生

なつき

やまだみのる選

揚句の雰囲気から連想するに主人公はピカピカの小学1年生かと思う。そして恐らく作者は、主人公のおばあちゃん…という役柄ではないだろうかと連想できるのです。

「お友達はできたの?」と訊ねると、指折り数えながら一人また一人と仲良くなったお友達の名前を得意げに教えてくれる。人見知りだから大丈夫かしら…と案じていたけれど、逞しく成長した幼い孫の誇らしげな表情に安堵と喜びを実感しているのです。

神奈備の杜を養ふ噴井かな

むべ

やまだみのる選

原句は「百年の杜」であったが、長い年月を経て逞しく成長した杜であることを言葉で説明するのではなく具体的に連想にできるように写生してほしいので「神奈備の杜」と添削させていただいた。

そして神奈備の樹々を育むための命の源として掘られたこの井戸が、涸れることなく今もなお滾々と水を湛えている。暦年を経て喬木の杜となったそれらを仰ぎ見ていると万物を養ってくださる創造主の存在と命の尊厳を思わされるのです。

2025年5月6日

発芽率百パーセント草を引く

うつぎ

やまだみのる選

庭を綺麗に保つ最大の敵は雑草です。除草剤を使えば多少なりとも楽ではあるが山野草などを育てている庭では、大切に育てているものまで枯らしてしまうので安易な対応は避けねばならない。

徹底的に根こそぎ引き抜いたとしても、また他所から種が飛んできて発芽するので雑草との戦いはエンドレスなのです。高齢になると草引きは重労働で、そのしたたかな生命力に降参しつつも、彼らの逞しさに自身を励ますような気分がある。

天空の風におしやべり樟若葉

ぽんこ

やまだみのる選

樟は常緑広葉樹だが、春に古い葉を落とし新しい葉に置き換えるという特有の生態がある。これは樟の葉の寿命が約1年で新葉が展開する時期に古い葉が落葉するためで俳句では春落葉の季語がある。

揚句の樟は、校木やご神木などのたぐいで暦年を生きた大樹なのだろう。根方付近では気づかなかったが天辺を打ち仰ぐと瑞々しい新葉が思い思いに風に揺らいでいる。その様子は、あたかも天空の風と楽しそうにおしゃべりしているようだと感動したのです。

母直伝伽羅蕗やつと我が味に

もとこ

やまだみのる選

伽羅蕗は蕗の茎を醤油、砂糖などで伽羅色(濃い茶色)に煮詰めた料理で保存食として古くから親しまれてきた。各家々に代々受け継がれてきた味があるといわれ、俳句では初夏の季語となる。

母親から教わったその味つけも嫁いだ先のお姑さんのそれとはまた違っていたりするのではないかと思う。作者自身が姑の立場になった今、試行錯誤を重ねてきたそれもようやく納得できる自分の味に落ちついたかな…と実感しながら昔を回想しているのです。