拓かれし街…は、山裾などを開発して生まれたニュータウン(新興団地)であろう。宅地開発事業の成否は、切り出された土砂処分を如何に無駄なく計画して低コストに抑えるかということである。
できるだけ現状の起伏を活かし、メイン道路などは掘割で計画したりして土砂移動を減らすなどの工夫をするので必然的に法面が生まれる。揚句ではそのなぞへを埋めるほどに躑躅が植えられちょうどいま満開だという。仔細は述べずに長閑な大景を連想させている。
ゴビの砂漠化は、過剰な放牧、開墾、森林伐採などの人為的な要因と、気候変動による乾燥が複合的に作用して進行しているそうで、人口増加と貧困が砂漠化を加速させているとも指摘されている。
砂漠化防止の緑化活動も続けられており、日本人ボランティアが内モンゴルで約2万ヘクタールの砂漠緑化に成功した例も伝えられている。そのような事情に関心のある作者は、黄砂被害は疎ましく思いながらも遥かなる地に思いを馳せて応援しているのである。
田んぼにレンゲソウが植えられているのは、水稲の肥料として利用するためで、窒素を多く含むレンゲを田植え前に土に混ぜ込むことで土壌の肥沃度を高める効果があり昔はどこでもよく見られた。
化学肥料の普及、稲の栽培時期の早まり、家畜の飼育減少などが原因で昨今はほとんど見かけなくなった。久しぶりに帰省した故郷の里山では今なお昔ながらの懐かしいレンゲ浄土が広がっていたのを見て安堵と癒やしの気分を得たのである。
若布養殖は秋に種付し春に収穫される。俳句では収穫期を旬として春の季語として扱われる。粗朶とは種苗を付けるための細いロープや紐のことで、海中に張られた幹縄に巻き付けて養殖される。
定期船は本土と島との交通手段としてのそれではないかと思うので、漁業をなりわいとする島の人たちの生活も連想できる。穏やかな春の海に広がる粗朶が定期船が通過するたびにその水脈によって大きく波打つという長閑な風景が目に浮かぶのである。
大いなる枝垂れ桜の傘の下に佇んでいると延命パワーに抱擁されているようだ…というのが句意であるが、「寿命延ぶ」「籠もる」の措辞にしみじみとした主観が包み隠されていることに気づきたい。
「長生きは得でっせ!」と言われた阿波野青畝師のことばを思い出す。歳を重ね老いを実感するとついつい愚痴っぽい句を詠みがちであるが、生かされているのはまだまだ使命があるということ、それを上からの恵みだと感謝し、その喜びを詠み続けたいと願う。
予期せぬ病との戦いを克服し癒やされて久しぶりに庭の草引きができるまでに回復できたという喜びの句であるが、想像以上に延びた草丈に辛く長かった自らの闘病生活を想い重ねたのである。
雑草は厳しい環境の中でもたくましく成長することから「雑草魂」なる言葉がある。介護してくれた家族に感謝しつつ、この草のようにどんな不遇にも決して諦めず不屈の努力を続ける生き方をせねばとの決意を秘めて草引きをしているのであろう。
俳句でイヌフグリといえばオオイヌノフグリをさし、早春の道の辺や草原に生える。空色の可憐な小さい花が群れて咲き、踏まれてもたくましくはびこる。名前は実の形から来ているそうだ。
明るい青空のもと広い草原に散らばっている姿がもっとも似合う。仰向きに咲くので空から星が降ってきて散らばっているようだ…という句はよくあるが、青空とお喋りしているようだと感じたのが非凡で愉しい。作者もまた心を通わせて花とお喋りしているのである。
幼い頃は実家近くに住み、盆正月に里帰りするたびによく交流したいとこ同士である。それぞれ成人し結婚し仕事の関係などもあって今は各地に散らばって生活しているのであるが、法事やお祝いごとなどがあるときに両親の実家にあつまって久闊を叙すのである。
子育てに追われていた年代も過ぎて互いに生活や時間にも余裕が出来てきたので定期的にあって食事やお喋りをしましょう…ということで昨今は「いとこ会」なる言葉もよくわかる時代となった。
拡大鏡を使って針穴に糸を通した…という類の類想は多いが、揚句は手暗がりな場所で針仕事をしていて見えにくかったので高所から差し込む窓明りにかざして糸を通したというのである。
ただ、なぜ春なのかを連想しないと季語が動く。折から冬物から春物への衣更えとなる端境期ではないだろうか。収めるものを繕い、新しく着るものにも少し手を入れるなどの作業かと思う。春光を扱った身辺句として新鮮であり春の喜びも感じさせられるのである。
立春から春分の日頃までの時期は、気候も暖かくなり草木が芽吹き始めることから「木の芽どき」と呼ばれるが、温暖化による異常気象がつづく昨今24節季の微妙な感覚を捉えづらくなっている。
ようやく冬ごもりから開放された喜びが伝わってくる作品である。お庭の芽吹きを愛でるだけではない。この庭からは笑い始めた借景の山並みも見えていそうだし、春風に乗って磯の香りも通ってくるのではないかと思う。そういう気分の木の芽どきなのである。
2月下旬から4月上旬にかけて行われる白魚漁。四ツ手網を広げて行う漁の姿は、萩の春の風物詩となっている。潮の流れにのって白魚が川を遡ってくるのを待ち、群れが網の上を通過する頃合いを見計らって一気に網を引き上げるというもの。
引き上げられた網の上で水しぶきを飛ばしながら躍り跳ねている。シロウオと言われるけれども実際は透明で折からの明るい春の日差しを反射して雲母を撒いているように眩しく見えているのである。