ナナハンは排気量750ccの大型バイクの俗称で、小型中型のそれに比べて安定感や加速力が魅力でマニアが多い。運転するには大型自動二輪車免許に併せて剛健な体力も求められる。
訪問介護のヘルパーさんが寒風をものともせずにナナハンのエンジン音を響かせながら颯爽と到着したのである。予想だにしなかったイメージの乖離にちょっと驚いたけれど風防付きのヘルメットを脱ぐととても人懐こい笑顔が現れて安堵したのである。
数え日が近づくと大掃除や年越し用の買い物、飾りつけ、料理や器物、衣類の支度、帰省客の準備などなど毎年のことながら、とりわけ主婦にとっては何かと気ぜわしい毎日が続く。
やるべきことをメモに書いて一つずつ消化していくのだが、ふと思いだしてはまた新しい課題が増えたりする。効率よく済ませたいと手順を考えながら進めるのだけれど思い通りには捗らず、焦って失敗しては誤算が生じてため息が洩れるのである。
ひところは電車の中など人前でも編み棒を動かす人がいたが最近はあまり見られない。自分のものを編むというよりも親しい人のためのセーターやマフラー、帽子などを編むことが多いようだ。
揚句のシーンは温かい暖房の部屋で安楽椅子かソファーに寛ぎながら編み物をしているのであろう。かつては恋人のためであったりご主人やお子さんのために勤しんだ頃を懐かしく思い出しつつ、手にもった編み棒は考えることなく自動的に動いているのである。
四季のある美しい日本の国で進化した桜は、春を告げる花の代表格ですが10月下旬から12月にかけて咲く品種も多く「冬桜」という通称で呼ばれる。
数人で吟行しているとき、魁として咲き始めたひと枝を見つけた喜びに思わず声をあげたのであろう。その声を聞いた仲間たちが次々とその枝のもとに集まってきて感動を分かち合ったのである。主季語は冬桜であるが「あたたか」という気分も伝わってくる。
障子は採光を和らげたり部屋の温湿度調節などを目的とした日本建築独特のものであるが俳句では冬の季語とされている。春障子という季語もあるが冬のそれとは全く趣が異なる。
「臥す」が使われているので療養中か老いて臥しがちな母親像であろう。小春の日差しが障子越しに温かいので気分転換に庭景色でもと少し障子を開けると存問するかのようにさっと枕辺に冬日が射し届いたのである。母思いの作者の優しさも伝わってくる。
病院食は厨房で従事される人たちの勤務や体制などで制約されるので朝食はやや遅め、昼食夕食はやや早めに準備され、それを看護師さんがそれぞれのベッドのところまで配膳してくれる。
定刻は過ぎているのに今日はやけに遅いので「なぜだろう?」と廊下の気配を窺うと、忙しげに行き交うナースたちの姿が見える。「そうか、年末であるがゆえの忙しさで人手が足りないんだ」と合点したのである。極月と病院食という取合せが面白い。
発熱があるときは勿論だが、そうでないときでも湯冷めすると風邪の症状が悪化するので基本的に入浴ははばかられる。揚句の場合は長引いてしまい数日間お風呂に入れなかったのであろう。
ようやく風邪が抜けて久しぶりの入浴解禁、大丈夫だとは思うがぶり返しを恐れてお風呂の湯温を少し熱め設定して沸かしたのである。風邪の例句は、症状最中のものや抜けきらずに物憂い気分を詠んだものが多い中、「風邪癒えて」の句は新鮮だと思う。
過日の枚方宿吟行で詠まれた作品だが「なぜこれが秀句なの?」と思われる人もいるかと思う。京街道ではなくて何街道でも意味が通るし、菊でなくてもいいので季語が動くのでは…と。
「門ごと」「京街道」の措辞によって軒を連ねた古町の風情の残る歴史街道であることがわかるのである。また京は菊の名所も多く個人の庭でもよく親しまれ、特にこの地域でしか見られない嵯峨菊なども有名である故、季語の菊が動かないのである。
チェロは、ベースからメロディまで奏でることができる音域の広さが魅力であるとともに、その落ち着いた温かい音色は、『人間の声に一番近い楽器』とも言われている。
心地よいその音色が演奏会が果てたあとも身体全体に染み込んで余韻として残っているというような気分を連想する。その余韻ごとコートに身を包みこんで会場をあとにしたというのである。コンサートと言わずにそれを連想に委ねた所がこの句の手柄である。
俳句では落葉樹の冬の容姿を表現する季語として枯木と裸木という似た季語がある。枯木は枯れた小枝や葉が落ちた木、裸木は全ての葉が落ちてしまった幹と枝だけの木だと説明がある。
明確な定義はないが前者は大樹の全容を連想させ、後者はすっかり丸裸になってしまったなぁ…という感嘆の趣がある。作者は、枯木となった大樹の天辺に風雨に耐えてなお数枚の虫喰葉が残っているのに気づいて命の尊厳を感じたのではないかと思う。
就寝前のお風呂上がりの女性が湯冷めしないようにリモコンの温度を高めに設定して部屋の暖房を効かせ、伸ばした四肢にお肌のケアのための化粧水を沁み込ませている姿が浮かぶ。
パジャマを着てしまってからでは四肢の付け根の部分まではケアできないのでバスタオルをまとっただけの姿かもしれず、男性目線で鑑賞するとやや艶っぽい句に仕上がっているかと思う。暖房という季語を詠んだ句として新しさを感じる。
クリスマスカードは日本の年賀状のように欧米社会ではとても重要で、メールやSNSのメッセージでのやりとりが主流になった時代でもクリスマスカードの文化が色濃く残っている。
揚句のそれは欧米の友人から届いたのであろう。エアメールではなく船便であったというのが驚きで、通常クリスマスの1週間ほど前に届くように送るのが習慣なので、アドベントになるまえの早くから思いを馳せてくれた送り主の優しさに感動しているのである。
柿は収穫後も追熟するが、揚句のそれは晩秋まで木についたままで残り今にもとろけそうに感じの数個の熟柿であろう。脚立とか梯子に乗って枝からもぐ人と下でそれを籠に受け取る人とを連想する。
放り投げて渡したり力強く掴むと破裂してしまいそうなので、大事に慎重に手渡ししているのであるがその様子が鶏小屋に潜って玉子を収穫する人と外でそれを手渡しで受け取る人の所作に似ていると感じた。体験や実感がなければ詠めない句である。
同日の作品にもう一句『老い夫の自立訓練りんご剥く』がある。会社勤めの現役時代は仕事一途で頑張り家族を支えていたご主人、家庭では上げ膳据え膳のお殿様であったのだろう。
奥様任せであった家事も老後の生活となると、自立できないと困ることもあるだろうからと話し合い、練習はじめに林檎剥きをしてもらったのである。慣れない包丁使いのために薄皮には剥けず彫刻のような形になってしまったという滑稽の句である。