月間秀句/202302

2023年2月27日

靴音の近づいてくる犬ふぐり

うつぎ

やまだみのる選

早春の日差しに誘われていち早くこぞり出た犬ふぐりたちは、互いにスクラムを組んで復活の春を謳歌しているようだ。そこへ賑やかにお喋りしながら人間たちの靴音が近づいてきた。たといそれが子供であったとしても微小な彼らにとっては巨人の靴音、一大事なのだ。

平和なひとときが一変嫌な予感が走る。「やっとみんな一緒に咲き出たのに踏まれてしまうのかしら…」不安そうな犬ふぐりたちの悲鳴が聞こえてきそう。俳句は一人称で詠め…のお手本のような句ですね。

夫待つや隣席に置く春ショール

ひのと

やまだみのる選

何かの講演会である可能性も考えられるが、春の恒例イベントとして開催される音楽発表会を連想してみた。お子さんたちも出演されるというので夫婦揃って出席する予定なのだが、ご主人は職場から直接来られるので現地の会場で落ち合うことになったのである。

ひとりで先に会場についた作者は、程よい場所を見つけて座り夫の席も確保するために纏っていたショールをとりそっと隣席に置いたというのである。こんな些細な所作が俳句になるのか…と驚かされる。

長閑なりいびきの犬に添寝して

かえる

やまだみのる選

部屋飼いの犬は、飼い主がかまってくれなくて退屈になった時はたいてい居眠りをしている。そしてペットたちは季節や時間帯に応じて一番快適で居心地の良い場所を本能的に感じて知っているのである。

ふと気づくと愛犬「小鉄」は温かい春日の差込むリビングの掃き出し窓近くに寝そべって高いびきをかいている。目を覚まさないようにそっと添い寝して相好を崩したその寝顔を見ながら癒やしを得ているのである。初心者ながら徹底した写生の努力が実りつつあり嬉しい。

2023年2月20日

余寒なほ挙がらぬ腕を持て余す

もとこ

やまだみのる選

肩こりではなく四十肩・五十肩のことであろう。炎症の一種で加齢によるものが多いようです。運動療法と温熱療法があるそうですが、どちらにしても劇的に治ることはなく快復には時間がかかります。

春になれば少しは楽になるのでは…と痛みに耐えつつようやく立春を迎えた。しばらくは温かい日に恵まれ、「よし!これから…」と期待が膨らんだのもつかの間、またまた寒い日々に逆戻り。痛くてあがらない腕を切ってしまいたい…と思うほどうんざりした気分なのである。

雛の歌唄つてくれる電話口

きよえ

やまだみのる選

ようやく春寒の時期も過ぎた三月、嫁ぎさきの娘さんから離れ住む両親の健康を案じて存問の電話がかかってきたのである。

突然電話口から可愛いお孫さんの声がひびいてきた。「おばあちゃん元気?今日ね、お母さんと一緒にお雛様を飾ったんだよ!」と。そしてお母さんに促されてか可愛い声でひな祭りの歌を唄ってくれたのである。病苦に介護にと長い冬ごもりの生活に耐えてきた作者にとって、なににも代えがたい至福のプレゼントであったことだろう。

軽トラに隣の雪も積みにけり

ひのと

やまだみのる選

恒常的な降積雪に見舞われる豪雪地帯では、屋根や道路等の除雪は必須ですが、除雪作業中に屋根から転落する、屋根からの落雪に埋まるなどの危険とも隣り合わせ、私達には計り知れない苦労だと思う。

若い働き手のいない老人ぐらしとなれば殊に深刻で積雪のつづくこの時期はある意味命がけの生活、「少し余裕があるから一緒に捨ててきてあげるよ!」と、軽トラックの主が助け舟を出したのである。この地方ならではの温かい互助の思いやりを感じさせる句である。

2023年2月13日

薄氷を踏まずにをれぬ登校子

はく子

やまだみのる選

誰もが幼い頃に体験のあることなので、思わず「わかるわかる」と口に出そうですね。舗装のゆき届いた都会ではもう見られない景ですが、みのるの小学生の頃は農道とか畦を道草しながら登校していました。

薄氷で道が塞がれて通れないからしかたなく踏んだのではない。道ゆきの公園などで薄氷が張っているのを目ざとく見つけ、わざわざ回り道をして次々と踏み割って遊びながら登校していく腕白、腕白女子たちの姿を幼い頃の自分の面影に重ねて懐かしく写生したのである。

完璧に筋とりきつてみかん食ぶ

せいじ

やまだみのる選

一読思わず同感した。おおよそ女性はみかん好きが多く家内も一日に二、三個というのは常である。「食べる?」といつも聞いてくるので「剥いてくれたら…」と生返事すると大抵無視される。

「筋ごと食べるのが美味しいのよ、身体にもいいし…」と言われても素直に賛同できず、私も丁寧にきれいに剥いてから食べる。何事にも誠実できちんとしないと気が済まないという作者の性格が反映されているようにも思えるが、私もそうかと問われると返事に窮する。

ふらここに隣りし友が恋敵

ひのと

やまだみのる選

大人の恋ではなくて幼子の淡い初恋ではないかと思う。句意としては、恋敵同士が隣あってぶらんこを漕いでいる…という写生でおしまいなのであるが、物語はそこから始まるのである。

ブランコの傍には主役のマドンナも一緒にいて遊んでいる。恋敵の独りが大きくブランコを漕いで力強さを見せつけていると感じたもう独りの方は、急いで自分もブランコに走りのり対抗の姿勢をアッピールしたのでは…と、みのるの初恋の思い出を重ねてみた。

2023年2月6日

面とりて泣く児に詫びる追儺鬼

なつき

やまだみのる選

句意は明快、泣く子にひざまずいて「ごめんごめん」とやさしく声をかけるのだが、一度火のついた泣き声は高まるばかりで、そう簡単には笑顔に戻らない。装束をまとって情けなさそうに侘び続ける追儺鬼の表情を連想すると滑稽がこみ上げてくる。

作者との俳縁は20年超、お嬢さんが嫁がれてから、がらっと作風が変わった。吾子俳句、孫俳句が多くなったが、むしろそれによって個性が開花したようにも思う。これからも奮闘を期待したい。

しづり雪茶店の客の総立ちす

あひる

やまだみのる選

しづり雪は、樹木などに積もった雪が陽の光を浴びて滑り落ちること。ようやく春めいてきたので雪解の郷を吟行したのだが、身体が冷えてきたので暖をとろうと麓の茶店へエスケープした。散策組の誰もが同じらしく、客席は混み先客万来の感じであった。

突然、雪崩かと錯覚するほどの大きな音が咫尺に響いたので、客席の誰もが驚いて同時に立ち上がったのである。茶店の裏山の木々が連鎖反応のように一斉に武者震いをして雪を落としたのであろう。

風邪の手の影絵遊びに付き合ひぬ

ひのと

やまだみのる選

氷枕をし、添い寝をしていたら少し熱が下がったのかごそごそ動き始めた。まだ微熱があるので起きたがる子を制し、枕元の灯りに手をかざし天井に映る影絵で気を紛らわせたのである。

対象が吾子であることは全く説明せず、「付き合ひぬ」でそれを暗示させ、「風邪の子」ではなく「風邪の手」としてその所作を具現化させているあたりが実に非凡である。作者は「品女句集を通読せよ」という私の助言を信じて勉強されたという。みのるも見習いたい。