やまだみのる
やまだみのる
俳句では主観とか客観とか言うのがよく論じられる。
高浜虚子先生は弟子たちを指導するのに客観写生を提唱された。でも、本来感動は心であり、心の昂ぶりを伝えるのに主観が無ければ語れない。そこで異論や疑義が生じる。
みのるが教えていただいた阿波野青畝先生は、主観の作者で知られますが、その作風の根底は客観写生です。ある著書のなかで、記者のインタビューに応えておられる一文がとても興味深いのでご紹介します。
私の若いときは俳句で主観とか客観とかいうのがはやったんですわ。だけど主観とか客観とか分けて言うのは間違いだと思うね。 私はよく手を出してね、
この手が主観であり客観なのだと言います。しかも客観は手の甲、主観は手のひら、この手を握りしめれば、手のひらは内側に隠れて主観は見えなくなる。というように説明しています。
主観と客観は便宜上分けていっているのであって、別々のものではないんです。それを別々にしたら死んでしまいますよ。
主観、客観は理論の場合にそういうのであって、実際に句を作るときは、主観を忘れて客観を良く働かせることが一番大事です。ともすると主観があらわに出て邪魔をします。
ちょっと難しいですが、とても含蓄のあるお話ですね。
(2000年06月03日)