愛の目で見る

やまだみのる

作句の壺シリーズ

談話室によせられた、「Sさん」からの感想を読んでいて、阿波野青畝先生から教わった話を思い出しました。

先生は 『 俳句は存問 』 という意味のことをよく説かれました。存問というのは広辞苑を調べると、

" 安否を問うこと。慰問すること。(「存」は見舞う意)"

と載っている。 つまり、存問の心をもって自然に対しなさいと言うことです。 そして、作者のやさしさや愛が伝わってくるように詠みなさいと教えて下さった。 歪んだ感性で対象を見ても決して人の心に響く俳句は生まれません。わたしたちの生活は楽しいことや嬉しいことばかりではなく、当然、苦しいこと、悲しいこと、悔しいことなどもあります。これらを句に詠むことがいけないということではありません。

そうした感情を句に詠む時でも、絶望感や挫折感で終わるのではなく、愛が、希望が、救いが感じられるように詠みなさいと青畝先生はおっしゃいました。 具体的な例として、みのるが添削した、「Sさん」の句を転載させていただきます。

原句> 鈍の蝿誤字のあたりをうろうろと

添削句> 蝿をかし誤字のあたりをうろうろす

この添削に対して、「Sさん」から次のようなコメントがとどきました。

> 原句「鈍の蝿」には、蝿を揶揄した気分があります。
> 添削句「蝿をかし」には、好ましいとまでは言わなくても、生き物に対する情があります。
> このあたりも「存問」というのだろうと、解釈納得しました。

このようなコメントを頂くことは、添削冥利に尽きます。

(2001年6月4日)

 
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