やまだみのる

クリスマスが近づくと、阿波野青畝先生のことを思い出します。

先生が亡くなられたのは1993年12月22日、葬儀は12月24日西宮市の夙川カトリック教会、 粉雪の舞う寒い夜でした。 青畝先生に師事した弟子は数千人、その誰もが、自分が一番先生に愛された・・と錯覚するくらい、 先生はすべての人に真心を注いで導いてくださった。 その夜は、みなでそのことを語り明かして先生の死を悼みました。

師を悼み今宵聖樹を灯ともさず  みのる

俳句は、読者に愛を感じさせなければいけない。というのが先生の信念でした。

 私は読者に愛を感じさせなければいけないと思っています。
 どんなことを詠んでも、不愉快な感じを与えるのはよくない。
 苦しさの見える句であっても、そこに救いの得られるような気持を与えなければいかんと思う。
 だから、写生と言っても、ただ温かさだけのものではなくて、
 ああ、こんなたのしみがあるなあ、と読んだ人に思ってもらえればいいですね。

俳句の新しさ・・ということについてのお言葉

 俳句の新しさといっても、別にどうということもありませんが、
 詩性のゆたかな俳句を自在に開拓するということですね。
 人々が、気づかないところにもこんな落しものがある、
 日常のどこかにも落ちているものがある。
 それを見つけてものにしようと望んでいます。

ゴスペル俳句は、青畝先生のこの「俳句のこころ」を、追求していく俳句サイトでありたいと願ってやみません。

(2002年12月7日の日記より)