やまだみのる

帰省して、敬愛する大先輩の波出石品女さんにお会いしてきた。

品女さんのご自宅は、家内の実家から徒歩で10分足らずの距離にある。 今回は、4月に亡くなられたご主人の初盆に当たるので帰省のおりにお訪ねしたのである。 葬儀の後にお会いしたときの品女さんは、悲しみに打ちひしがれてほんとうに痛々しかった。 ご主人の看取りのためにご自分の健康など省みず、周囲が心配するほど献身的につくされたという。

蒲団着て前後不覚に眠りたし  品女

いまでも少し薬を呑まないと眠れないという品女さんには、まだまだ以前のようなふっくらとした頬は戻っていなかったけれど、 「少しずつ元気になってきました・・」と、微笑まれるお顔には、悲しみの翳が徐々に和らいできているように見えました。 いろんなお話をお聞きしましたが、しみじみと回想して下さった一言に強く感銘を受けました。

看取りの日々は本当につらく、主人の亡くなったことは耐え難いほど悲しいことでしたけれど、 俳句を作ることで支えられ、励まされ、耐えることができました。

この悲しみがすっかり癒されるには、まだまだ時間がかかると思うけれど、 わたしには俳句があるから、宝物である俳句の人間関係があるから、 きっと乗り越えていけると信じます。

孤独で不安な介護生活の中で、また最愛のご主人を亡くされたあとの深い悲しみの淵で、 品女さんはその思いを俳句に綴ることで自らを慰め励まし、勇気と希望を見いだして乗り越えてこられた。

長い人生には、誰もが背負わなければなければならない十字架がある。 嬉しいこともたくさんあるけれど、避けることのできない苦しい戦いも山ほどある。 そうした日々の生活の中で、休むことなく俳句と向き合って行くことは容易ではなく、暇だから、何となく寂しいから・・というような自己満足的な気持ちでだけでは決して継続できない。 逆境のどん底にあっても、俳句を作り続けるという強い意志と努力が必要なのだと思う。

品女さんのお話をお聞きしながら、ほんとうに真剣に俳句と向き合った生活をしてこそ、 はじめて人生の支えとなるような俳句との絆が育まれていくのだと思った。 ぼく自身、俳句漬の結社生活に耐えられなくなって悩み、 一時は俳句を捨ててしまった過去がある。 しばらく俳句と離れてみてストレスから解放されたように思えたときもあったけれど、 やがて満たされない思いが募りだしてきた。結局、俳句が自分自身の生活の要になっていたことに気づきました。 そして祈りの中で、ホームページ「ゴスペル俳句の世界」の公開に導かれたのです。

ホームページのことを品女さんにお話ししたら、とても喜んで下さって嬉しかった。 振り返ればずいぶん回り道したようにも思うけれど、インターネット俳句という思いがけない世界へと導いて下さり、 全てを益に変えて祝福して下さった神さまに心から感謝します。 随分プライベートなことまで書いてしまって、品女さんごめんなさい。

(2002年8月24日の日記より)


 

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