やまだみのる

"みのるさんはクリスチャンだから・・・"

といわれることがよくある。 ぼくの外面だけをご覧になって、ほめて下さっているわけです。 素直に喜べばいいんでしょうが、たいていの場合、逆に暗い気分になることの方が多いです。 我侭で裏表のある人間であることを、自分自身が一番よく知っているからです。

自分の思うように事が運ばないといらいらしたり、自分自身の我が儘は棚に上げて、 身勝手な他人の行動を、忍耐できなかったり許せなかったりします。 結局、小心なんでしょうね。言わなくても良いことを言ってしまったり、書かなくても良いことを書いてしまったり、 衝動的に行動を起こしてはあとから後悔し、暗い気分になって自己嫌悪に陥るというパターンです。 自分の信仰はいったい何なのだ・・という自身に対する憤りもあります。

このパターンにはまると、自分で祈ってもなかなか解決できず、 結局はみなさんに、「祈って下さい・・」というお願いのコメントになってしまうのです。 でも、「祈ってるからね・・」と言っていただけると、少しずつ気分が落ち着いていくので不思議ですね。 祈られている・・ということはサタンに対抗するうえで、ほんとうに強い味方です。

こんなことを書くと、また叱られるかも知れませんが、クリスチャンだから人格が優れている・・という錯覚をされている方もあるようです。 ぼくの経験上は決してそんなことはないと思います。クリスチャンでなくても尊敬できる立派な人格の方はたくさんおられますし、 クリスチャンという仮面をかぶった偽善者(じつはぼくもそうかも知れない・・)もいます。 もっとも、「立派で優れた人格」の定義は人によって異なると思うので軽率な議論は慎むべきですが・・・。

自分で自分を変えることはできないと思います。聖書的に言えば、信仰によって神様が変えてくださると言うことでしょうが、 現実的には、人格は人と人との交わりによって育まれるものだとぼくは思います。日常の人間関係ではいつも平和を保つことはむずかしく、 誤解やトラブルは避けられません。でも、互いが理解し合い、それぞれの人格を尊重する思いやりの気持ちが大切なんだろうと思います。 理屈では解っていても、実践することは難しいですね。

ホームページの運営を始めるようになってからは、掲示板の書き込みのほかに沢山のメールが届きます。 開いてみて激励のメールだとほんとうにほっとしますが、半数近くはクレームであったり、嫌がらせであったり、 ときには挑発的なのもあります。 愉しそうで、活気のあるGHのホームページに嫉妬して攻撃されるケースもあれば、 ぼく自身の記事の内容に不備があって誤解を与えてしまうこともあるようです。

トラブルや誤解の生じるごとに、自分の未熟さを痛感しますが、幸いなことにGHにはやさしい、おっかさんたち・・ あ、いや・・お姉さまたち・・m(__)m、また、百戦錬磨の元勇士?がたくさんいらっしゃって、 助けていただいていることをとても心強く思います。 手前味噌ですが、GHを公開してから2年の間、みなさんの励ましを頂きながらぼく自身も多少は成長できたように思います。 感謝!

(2002年6月1日の日記より)