最新2ヶ月分を表示、他は過去一覧から…

2025年7月8日

獣医へと炎熱の道急ぎけり

むべ

やまだみのる選

これはただの報告の句ではない。猛暑の日々が続く中、愛犬の体調異変に気づいた。しばらく様子を見たが快復の兆しはなく尋常ではないと判断して急遽、いきつけの動物病院へ急いだのである。

作者が世話をしている老犬ではないかと思うが、特に高齢犬にとっては夏の猛暑は健康リスクが高いと言われる。定期診断で通う獣医までの道のりを遠いと意識したことはなかったが、火急の事情である今、随分と長く感じたことではないだろうか。

紫陽花の苑ウエルカム花手水

康子

やまだみのる選

紫陽花は、蕾の状態から徐々に色づきはじめて満開となり、旬を過ぎたあともまた色や形を変えて長期間にわたってさまざまな表情を楽しませてくれるところから七変化という別名がある。

種類にもよるが、通常は、旬を過ぎたら早めに花を剪って管理するほうが翌年のための元気な花芽を育成できると言われている。そうして早めに剪られた色とりどりの花を玄関ゲート脇に設置された手水鉢や大瓶などに浮かべて来園客を迎えているのである。

余念なき野草観察夏帽子

澄子

やまだみのる選

夏帽子の季語から、夏休みの子どもたちが自由研究のために山野草の観察をしているという風景が浮かぶ。林間学校での課外学習であるとか、家族旅行での山野の避暑散歩であるとかの状況かと思う。

余念なき…の措辞が大人など他者の姿を省略し、膝を折り手をついて額ずくかのように対象と対している子どもたちの健気な姿をクローズアップしている。野球帽であったり鍔広帽子であったりの白い夏帽子は、山野の緑との対比や涼しさを感じさせている。

2025年6月24日

明易や潮騒に覚む旅枕

やよい

やまだみのる選

三夏の季語、明易(あけやす)は、夏の夜の明けが早いことをいう。旅枕と詠まれていることから旅行先であることがわかる。さらに潮騒によって海が近い宿であることも容易に想像できる。

旅宿では、気分の昂ぶりや寝具に馴染なくて眠れなかったという人も多い。浅い眠りの中で潮騒の響きが耳にとどいて目覚めると、窓はすでに白らじんでいたのです。朝湯を頂いてから海辺の散歩に出て一句授かりたいわね…というような旅の朝の余韻も伝わってくる。

屯して万華鏡めく鯉涼し

澄子

やまだみのる選

よく澄んだ美しい庭池にたくさんの錦鯉が放たれていて、思い思いに泳いでいる。万華鏡めく…と比喩しているので、赤や緋の色は言わずもがな。省略したほうが句がスッキリする。

人影を見つけた鯉が群れをなしてどっと近づいてくるというのではない。ゆったりと離合を繰り返しながら絵模様を描いて泳いでいるという様子なので、「屯して」の措辞がふさわしい。鏡をなす池と涼しげに向きを変える鯉との静と動の対比も面白い。

2025年6月17日

日矢さして水平線に大き虹

なつき

やまだみのる選

見渡す眼前には大海原が展けているのだが、その沖は厚い梅雨雲に覆われていて暗く、空と海の区別もつかないほど曖昧模糊としている…という状況からこの句のストーリーが始まります。

やがて雨雲が通り過ぎてより状況は一変、雲の切れ目から天使の梯子が射して美しい水平線が現れます。さらにそれを踏んまえ立つかのように大きな虹の橋が掛かったのです。日矢さして…の上五によって連想が広がり、素敵な瞬間写生句となりました。

紫陽花哀れ夜来の雨に打ち伏しぬ

董雨

やまだみのる選

萌葱色であった紫陽花の蕾も大きな毬に成長しつつ、日毎に美しく色を染めていく。その毬の集合体である株もまた小山のようになり、複数がうち重なっているさまはさながら青海波を思わせる。

紫陽花が梅雨の長雨と戦わねばならないのは宿命であるが、満開となった美しい盛りのそれを容赦なく打ちつづける雨は実に憎々しく、耐えきれずにうち伏したその姿は哀れというほかはない。上五の字余りは意図的であり作者の心情を強調しているのです。

砂糖壺空となりたり梅仕事

澄子

やまだみのる選

梅雨前の時期に収穫される青梅は、酸味が強くカリカリとした食感が特徴で、家庭の主婦たちはそれぞれの流儀で梅酒や梅シロップなどに加工する。揚句の梅仕事というのはこれを指している。

加工に必須なのは砂糖で、氷砂糖、グラニュー糖、黒糖、てんさい糖、はちみつなどが使われる。ふと気づくと一杯だった砂糖壺が底をつきかけている…という句意ですが、毎年この時期の恒例作業に甲斐甲斐しく励んでいる主婦の姿が見えてくるのです。

2025年6月9日

寝たきりの蓬髪を梳く薄暑かな

やよい

やまだみのる選

蓬髪(ほうはつ)というのは、のび茂った蓬のようにのびて乱れた髪をいい、身なりを粗末にして、なりふり構わない…ようすを指す四字熟語として「弊衣蓬髪(へいいほうはつ)」がある。

作者自身ではなく、介護の句であることは言うまでもない。汗ばむ季節になったから髪を梳いてあげた…というだけの単純な句意ではなく、一日も早く平安な日がくるようにと祈り心をもって介護の日々と戦っておられる作者の隠された心象を汲み取りたいのです。

蟷螂の一寸ほどが見得を切る

澄子

やまだみのる選

春に卵から孵化した蟷螂の幼虫は、6〜7回脱皮を繰り返しながら成長し7月に成虫となる。初夏の頃には、まだ羽の生えていない小さな子蟷螂をよく見かける。

よく観察しようと顔を近づけると、小さい体ながらも警戒心をもって見得を切るかのように身構えたのを見て驚いたのです。肉食の蟷螂は幼虫の頃からでも蟻などの少昆虫を捕らえて食べるので、本能的に成虫と同じような闘争の身構えをするのでしょう。

2025年6月2日

青空の彼方へ声や杜鵑

よし女

やまだみのる選

ホトトギスは、木の天辺など目立つ場所にとまって囀るのではなく飛びながらなくことが多い。しかもその姿を目視できることは稀で、たいていは鳴き声だけが頭上を過ぎっていくのです。

またその声は「テッペンカケカタ」「特許許可局」などと聞きなしされ、囀りというよりは叫びに似ているのが特徴です。どちらかというと曇天時によく聞こえるように思うが、夜間にも鳴くことがあり、揚句の場合は薄暮の残照の青空ではないかと連想する。

食国の膳は玉ねぎづくしかな

せいじ

やまだみのる選

食国(おすくに) とは、古代日本において天皇の御食料を貢献した国を指す言葉で、淡路島、若狭、志摩の三地域をいう。玉ねぎづくし…の措辞によって淡路島の旅であることが容易に想像できる。

現在では年間を通して流通しているが、新玉ねぎは晩春から初夏にかけて出回ることから三夏の季語として使われる。玉ねぎは、主役、脇役を問わず重宝される万能の食材であるが、ご当地ならではのもてなし料理を堪能しつつ舌鼓を打っているのです。

ひと粒の涙をとどめ昼寝の子

康子

やまだみのる選

悪戯を叱られてべそをかきながら泣き寝入りした幼児であることも考えられるが、大泣きしたあとの涙をとどめたままで眠ってしまった赤ちゃんの寝顔ではないかと連想してみた。

赤ちゃんは泣くのが仕事…大人の注意を引いたり、欲求を伝えたり、感情を表現してコミュニケーションをとろうとしている。欲求が満たされると再び眠りに落ちる。眠ることもまた赤ちゃんの仕事で、天使のようなその寝顔は大人たちに癒やしを与えてくれるのです。

過去一覧

2025 [ 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 ]
2024 [ 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 ]
2023 [ 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 ]
2022 [ 12 ]

感想はお気軽に

感想やお問合せはお気軽にどうぞ。

Feedback Twitter