やまだみのる

目次

わたしの師事したお二人の先生の作品を鑑賞しました。--- やまだみのる

阿波野青畝先生の作品

磔像の全身春の光あり  阿波野青畝

(たくぞうのぜんしんはるのひかりあり)

春光が季語なので屋外にあるキリストの像である。 わたしたちの罪の身代わりとなって十字架で死なれたイエスは、三日目に甦られていまも生きておられる。 イースターという季語もあるが、春日を反射して輝くキリストの姿はまさしく復活の春を連想するのに相応しい。 「春の光」がこの句の生命であり、夏の光や冬の光では全く意味をなさないことに注目して欲しい。 季語が動かないことが秀句の絶対条件である。

 

銀河より聴かむエホバのささやきを  阿波野青畝

(ぎんがよりきかんえほばのささやきを)

銀河といえば七夕という常識的な発想は陳腐であるが、天の父なる神の存在を連想したところがこの句の手柄である。 銀河を仰ぎつつ祈れば神さまの応答が聴けるかも知れない。敬虔なクリスチャンの連想ではあるがユーモアの心もある。

 

主は来ませリ主は来ませリ燭凍てず  阿波野青畝

(しゅはきませりしゅはきませりしょくいてず)

いまはペンライトを使うが昔は手に手に蝋燭のランプを持ってキャロリングに出かけたらしい。 "諸人こぞりてぇ〜" 白息を吐きながらも大きな声で賛美歌を歌えば寒さも忘れるのである。

 

ベツレヘムの星と思へば悴まず  阿波野青畝

(べつれへむのほしとおもえばかじかまず)

三人の博士たちは星に導びかれてご降誕の御子にお出会いした。 今宵聖夜の空に輝く彼の星がそうなのかも知れない。 寒さに悴むのも忘れて2000年まえの時代にタイムスリップしているのである。

小路紫峡先生の作品

染め卵ちらと画才のみられけり  小路紫峡

(そめたまごちらとがさいのみられけり)

教会学校ではイースターの日に子供たちが卵に絵を描いて楽しむ。 ドラエモンを書いたりピカチュウをかいたり賑やかである。 よくみると落書きかはたまたピカソかと思わせる絵もある。 「校長先生!何をかいてるの?」と覗かれる。平和なひとときである。

 

秋灯下聖書に心戻りけり  小路紫峡

(しゅうとうかせいしょにこころもどりけり)

仕事にプライベートにと日々忙しく生活している人の姿が浮かぶ。 世俗な雑事に追われ出すと祈ることすら怠りがちになる。 ふとそんな自分に気が付いて聖書を取り出した。 読みかえしつつ平安を取り戻すのである。

 

婢の皿を洗へば聖夜果つ  小路紫峡

(はしためのさらをあらえばせいやはつ)

本当の意味も知らずにお寺でさえもクリスマスパーティに浮かれる時代になった。キリストを信じていても、貧しい環境の人たちには聖夜ですらゆっくり休むこともできない。世の中どうしてこう不公平なんだろうと思うことも多い。けれども、 ”汝の恵み汝に足れり”  とのみことばを思うと神さまに文句は言えない。

 

イエス手を翳すがごとき枯木かな  小路紫峡

(いえすてをかざすがごときかれきかな)

イエスさまの生涯をよく理解できている人にはこれはすごい句である。 ぼくは冬の林間を散策するとき、いつもこの句が頭をよぎる。 寒い冬は私たちの心も塞ぎがちになるが、大樹も又すべての枝葉を落として寡黙となる。 しかしふと立ち止まってその影を仰ぐとあたかもイエスさまが手を翳して、 ”子よ安かれ”と祈って下さっているお姿に見えたのである。 日々の祈りなくしてこのような句は生まれない。

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