やまだみのる

俳句を始めたばかりのうちは、誰でも句の良し悪しがわかりません。

それを理論的な知識に頼んで覚えようとすると、必ず壁にぶち当たって挫折します。 添削稿を送っても送っても、いつも全没・・ということは始めはあたりまえなのです。 そこで、くじけないでなお頑張って句を作っていくうちに、少しずつ引っかかるようになってきます。 こうした学習を繰り返し反復して訓練していきます。 そうすることで、やがて理屈ではなくて感覚的に句の良し悪しがわかってくるのです。 このようにして身につけた感覚は、直観力として養われ、個性として開花してゆきます。 これがGHの推奨している、正しい俳句レッスン法なのです。

よい句を作ろうと焦って、難しい言葉を選んだり頭でひねったりしてはいけません。 幼子のころのようなこころに戻って、感じたことを素直に、平明な言葉で、且つ具体的に表現する訓練をします。 机上で歳時記をぱらぱら繰りながら句を作ってはいけません。 必ず、吟行か散歩に出かけて、見て、感じて、作ります。 どうか、騙されたと思ってこれを実行してください。

みのるが忙しいだろうからということで添削を遠慮される必要はありません。 毎日句会のみのる選は、1000句近い作品を見ますから、とても時間とエネルギーが必要です。 けれども、皆さんから送られてくる添削稿は、わずか10句です。これに目を通して選別し、 添削を加えたとしても、数分あれば十分です。 ですから、メールによる添削は、ぼくにとって朝飯前のワークなのです。 それよりも、送られてきた作品の内容のほうが気になります。 句の巧拙のことではなくて、ほんとうに真剣に取り組んで詠まれた作品か否かが問題なのです。 仮に、添削が有料で、1句について200円必要だったらどうでしょうか。 多分、真剣に作って何度も推敲し、選りすぐった作品を送られるでしょうね。

"どうせ無料なのだから、適当に10句作って添削してもらえばいいや・・"

という気構えの投稿は、ぼくには直ぐ判ります。 また、吟行で詠まれたか、歳時記を見ながら頭で考えた作品かの区別もわかります。 真剣に取り組まれた作品には、当然こちらも真剣にならざるを得ません。 要するに取り組まれる方の熱意に比例して応答する・・ということですね。 初心者でも、みるみるうちに上達される方があります。一方、何年経っても一進一退の方もあります。 そういう方はたいてい、「自分には素質がないのだ・・」と、いわれます。 でも、それは大きな間違い。本当は熱意と努力が足りないだけなのです。

(2003年12月07日の日記より)