やまだみのる

初心のうちは、上手な人の句の雰囲気や言葉の使い方を真似しなさい。

ということを教えられたことがあります。そっくりそのまま真似したら、それは類句というより、 盗作になってしまいますから注意が必要です。 そうして、やがて俳句というものが少し解ってきたら、今度は物まねではなく、自分の個性が滲み出るように 訓練します。その訓練は、一に吟行、二にも吟行ということになります。 ひたすら、句を作って指導者の導きに委ねていると、その指導者が個性を見つけて延ばしてくれる。 俳句の学びと、指導との関係はそういうことだと思います。自分の個性を自分で見つけるというのは、 じつは難しいのです。

ところで、句歴一年、二年という人の中に、初学を抜け出せないでいつまでも、ものまね俳句に甘んじているタイプの人がいます。 吟行する時間がなくて、感性も鈍く思うように句がまとまらない。 でも、句会や結社誌にはよい成績を残したい。この悪循環に陥るとどうしてもこの悪癖を克服できなくなります。

吟行の繰り返しによって、徹底的に客観写生の訓練をしなければ、決して個性は輝きません。 どうぞ忍耐強く吟行に励んでください。わたしたちは意識して呼吸しているでしょうか。 頭で考えて息を吸ったり、吐いたりしているでしょうか。俳句を詠むこともそれと同じなのです。 感動はこころの呼吸なのです。類句や類想、ものまね俳句を作り貯めても何の価値もありません。 自分にしか作れない、個性的な俳句こそ財産なのです。

東京在住の会員達が、積極的に誘い合って吟行句会に励んでくださるようになりました。 とても嬉しいです。全国各地にそうした動きが生まれ、今月は東京、来月は広島へ・・・ と、毎月ぼくも移動して参加できるようになったらと夢見ています。正夢になることを祈りつつ・・・(^_^)v

(2003年4月5日の日記より)