やまだみのる

特待生として必死に学んでいた頃のことです。

「ひいらぎ」主宰の紫峡先生は決して論理を優先されませんでした。 むしろ議論が先行する作句態度を厳しく戒められた記憶があります。 これは、このサイトでも繰り返し書いているように、 俳句は理屈ではなく感じて作るということを体験によって習得させるというのが、 先生の指導方針だったからです。

先生は句会のときなどに、作品の選評を通して断片的に指導されるということが多かった。 つまり、実例を示しながら理論を説かれるのである。 聖書のなかでもイエス・キリストが弟子たちに教えられるとき、よく例話を通して真理を語れた ようす書かれているが、まさにそれと同じでした。

先生は3冊の句集をだしておられるが、俳句に関する手引書とか俳論などの著書は一冊もない。 たぶん必要ないとお考えになっていると思う。 本当によい作品を作るのは理屈や理論ではなく感性であることを何度も説かれたからである。 ぼくは、先生に教えていただいた俳句の真理を、自分だけのものとしておくのはもったいないと思うので、 俳句を始めようとされる方にできるだけ伝えたいと願っています。

先生から学んだことを体系的にまとめたいと思って、 必死に思い出したことをこのホームページに書いているわけですが、 どうも逆効果の面もあるようでときどき悩むこともあります。 記事を読んで、ヒントがつかめたと感謝してくださる方も多くうれしいのですが、 どうか誤解しないでほしいのです。

このサイトに書かれている俳論の類をいくら熱心に読まれても俳句が上手になることは 絶対にありません。 上達の近道はとにかく作って作って作りまくることです。 没句にこだわってもいけません。時間の無駄だからです。とにかく黙々と多作すること。 これが一番大切なのです。 何度も壁にぶつかりながら忍耐して継続していると、理屈ではなく感覚として俳句が身についてくるのです。 これが本物の俳句です。

もし壁にぶつかって抜け出すきっかけが見つからないようなとき、 そんなときにこのホームページに書いてあることを流し読みしていると、 ふと脱出のきっかけを発見することがあると思います。 このサイトでぼくが書いていることは、その目的のためなのです。

(2001年7月11日の日記より)