みのる:作者は私と同年代、終戦前の偏った教育で頑固一徹の父親によく反発しました。むべ解にもあるように、墓洗う…の季語にはお父さんの背中を流すという雰囲気も醸すので作者の心情を的確に反映していると思います。

澄子:父と娘の間にどんな相剋葛藤があったのか……激しく切ない御句。当時を振り返り まだ癒えぬ心の痛みがあるものの無心に「墓洗う」ということを通し御父様に詫びるだけでなく 御父様を受け入れなかった御自身の事も許そうとしているように思われました。この世に居ない人へは まして親なら何かしら悔いのようなものが残ると思いました。

えいいち:私は、墓参りで手を合わせたり墓石を洗ったりしている時に誰しもが父母や先祖に詫び慕うものだと思うので、この句は季語の説明をしている句のように思いました。しかしこの句からは説明的ではあるものの作者の心根が偽りなくストレートに伝わってきて誰しもが皆素直に読みとり鑑賞することができるのだと思います。上五になんなの説明も無いのが読み手それぞれの固有の記憶を呼び起こすのではないでしょうか。

康子:迎え盆は連れて帰るので送り盆でしょうか。綺麗にして帰るね、と言いながらお墓を丁寧に洗っているのでしょう。墓石を柔らかいタワシで磨き、草むしりもしているのかもしれません。いつも見守ってくれている事への感謝とお詫び…読んでいてその想いがひしひしと伝わります。「墓洗ふ」の季語の力を感じ、お父様への想いが素直に伝わってくる句でした。お父様はもうきっと気にしていらっしゃらないのではないか、とついつい感情移入してしまいます。

むべ:なんと切ない、心に沁みる御句でしょう。「争ひし」「詫び」「洗ふ」と動詞が三つ使われていますが、うるさい印象はまったくなく、むしろ調和して一つのメッセージ、「お父さんあの時はごめんね」という作者の心の声が、御句からストレートに伝わってきます。墓参の子季語には他に「掃苔」「墓掃除」などもありますが、ここはやはり「墓洗ふ」でないとだめでしょう。作者がたわしなど使いながら作業している姿がありありと浮かぶことで、お父さんへの思慕や後悔も具体的に伝わるからです。私には主観的に過ぎるようには感じませんでした。