みのる:亡くなられたお母様と小鳥来る(中秋)との関係をどう読み解くかで鑑賞が変わります。命日が秋であったとも考えられますが秋彼岸で帰省された句という感じが強いですね。生前はお庭にやってくる小鳥たちを作者も一緒に見た体験がありそれを思い出しながらお母様を偲んでいるのでしょう。お彼岸の期間はあの世とこの世がもっとも近づくとされお墓参りや仏壇にお供えをして故人を偲ぶというのが通例で、ご先祖様をご自宅にお迎えして供養するというお盆とは少し違いますね。
えいいち:句を読んでいると何の作為も無い作者のつぶやきのように思えました。ぽつりと一人で亡き母の部屋の窓辺へ立ち「母もこの窓辺から小鳥たちが来るのを見ていたのだろう、そして今も何処かで見ているのだろうだろうなあ・・」と作者の心の呟きが聞こえ母への思慕の念を感じます。この窓辺の景色はお母様のものだという感じがするのです。
康子:一読して、亡くなったお母様が小鳥になって様子を見に来た、と思いました。お母様のお部屋に風を通そうと窓を開けたところお庭に存問のごとく小鳥たちが来ていた。「窓辺へ」によりその小鳥たちに寄り添っているお気持ちを感じます。小鳥たちに話しかけながらお母様のことを思い出しているのでしょうね。流れるような措辞で素直で平明な表現によりさらにお母様への温かいお気持ちを感じました。
澄子:いつもながら明解平明、御句全体が秋の明るい日射しに溢れています。御実家に戻られ風を入れ換えようと窓を開けていたら小鳥が舞い降りて来た……私なら自分の帰郷を歓迎してくれたのかと思うし、もっと感情移入して 亡き人の魂が小鳥に乗って戻って来たように感じるかもしれません。窓辺に小鳥の好きな果樹や草の実があるだけであろうと……。「小鳥来る」という季語により明るく軽やかなレクイエムになっていると思いました。
かえる:お母様が旅立たれたのは秋だったのかもしれないと思いました。作者は故人のことを思いながら、遺品の整理をしているのか、懐かしい写真をご覧になっているのか。そんな窓辺に小鳥が帰って来て優しい歌声を聴かせてくれたのでしょう。季節はお母様とお別れをした秋。巡る季節とともにまるで姿を変えたお母様が会いに来たように感じたのかもしれませんね。
むべ:亡くなったお母様のお部屋で詠まれた御句。作者にとっては久しぶりに帰省したご実家だったのでは。また、毎日連綿と家事のある主婦の自室は、おそらく2階ではなく1階だったのではと想像します。(最近の戸建ては2階にキッチンやリビングルームがあったりしますが…)小鳥たちも庭の木々が近い窓辺に来やすく、地鳴きをしながら、可愛らしい姿を見せてくれたのです。お母様の遺品の整理の手を止め、作者は小鳥たちを見ています。お母様がしてくれたあれこれ、ともに過ごした時間を思い出しながら…天来の慰めに満ちた時間だったことでしょう。私事ですが、最近父の書斎で似た体験をしました。姿は見えない鶯の高鳴きでしたが、思わず窓を開けました。