みのる:作者の吟行スタイルはぺちゃくちゃおしゃべりしながらではなくて、独り離れて静かに時間をかけて詠むというものでした。決して偶然にこの一会の情景に出会った…というのではなく、傾いていく落暉と紅葉山との対話の様子をじっと眺めていてその瞬間を捉えたのです。ある程度経験を重ねてきたら、歩きながらの表面的な写生に終わらず「地に足つけてとどまり、心が動くまで待つ」というスタイルに変えたいですね。

澄子:季を得て充分美しく紅く染まった紅葉に 今まさに入り日が照り重なり 夕暮れに居合わせ刻々と変化してゆく美しさに心奪われている作者を想いました。まるで夕日を自らに取り込んで更に発光するかのような紅葉のひと刻魅せる最高潮の美しさを下五「炎上す」と烈しくかつ非凡に表現。紅という色の持つ元々の激しさ 特別人の心を打つ美しさ 移ろう儚さ 変化する赤のグラデーション……様々なことを思いました。

康子:下五の「炎上す」に引き込まれます。山を覆う紅葉が夕日の高さによりまさに今、燃える赤となっている。浴びてではなく「帯びて」により、受け身ではなくまさに山が自ら炎を吹いているという印象を受け、生命力を感じます。対象物からのメッセージを掴めているからこその表現なのだと思いました。

かえる:自身がすでに真っ赤な紅葉山が、夕日に包まれてなお暗く濃い赤を纏う。まだこの時期の太陽はそれほど弱々しくはないので、辺りを薄暗くしながらも放つ光は赤く眩しい。まるで山全体が炎上しているように見えたのでしょう。夕日を浴びるのではなく、帯びると表されていることで、山と夕日が一体化して、より迫力が高まっているように感じました。

むべ:下五の「炎上す」により、紅葉している山の赤に、夕日のオレンジ色が重なる光景を想像しました。落日していく角度により、青系の色は散乱し失われ、赤系の色はさまざまなグラデーションで山を染め上げている状況です。木々の紅葉と夕日のコラボレーション、ごく短い時間に見られる光景だったのではないでしょうか。こういう一瞬を授かりたいものです。