みのる:自分の弱さを認めるとき強さが手に入ると言われます。一年を顧みて耐え難い苦しさや悲しさもあったけれどその時々に俳句ライフが慰めになり励ましてくれた…という感慨ですね。自然を愛しその営みに感謝するという謙虚さ、敬虔さが養われないとそんな関係になるのは難しいでしょうね。
澄子:虚子の(去年今年貫く棒の如きもの)へのオマージュが根底にあるように想いました「癒され励まされ」に今年もまた無事俳句を継続出来た喜び感謝、来年への抱負希望…… そんな素直な作者の気持ちが吐露されてる御句のように思いました。印象に残る一句です。
えいいち:到底今の私には真似の出来ない句です。自分自身に俳句に癒されているか、励まされているか、と問うてみますと自信が無く恥ずかしくなってしまいます。句にして言える作者はすごいです。
康子:たった一瞬で年は変わってしまうが、新たな年も変わらず俳句を詠み続け、辛い時も悲しい時も、もちろん楽しい時も俳句と共に歩んでいきたい…というお気持ちを感じます。ご自分で詠まれた句、また感銘を受けた句、全てに於いて俳句への感謝のお気持ちが伝わります。私ごとですが、まだ始めたばかりの俳句ですが生涯続けていきたいという気持ちで一か八かで(笑)去年今年の季語で詠んだことがあります。それを代弁してくれているような御句でした。
むべ:旧い年から新しい年へ移ろうとする大晦日の夜、この一年も俳句に癒されたり励まされたりしたなぁという感慨と、また新たに迎える一年もきっと俳句に助けられるのだろうなぁ…という希望を、作者はきっとしみじみと感じていたのですね。楽しい、面白いだけではなく、ときとして悲しみを癒やし、辛いところを通るのに励ましてくれる。作者にとっての俳句とはそのようなものだったと推察いたします。自分にとってもかくありたいものです。
かえる:格調高い作品の多い作者の意外な一面を垣間見たような、ちょっとユーモラスで愛嬌のある御句です。いろいろなことがあった一年だけれど、俳句のおかげで乗り切れた。そしてまた次の年も新しい句を存分に授かることができますように。そんな思いに浸りながら、年を越されたのでしょう。遠くから除夜の鐘の音が聞こえてきそうです。しんみりとお蕎麦など啜りながら耳を傾けておられるかもしれません。