みのる:湯立神楽は、里神楽(仲冬)の子季語として分類されているが風花もまた晩冬の季語。季語が二つあるというパターンです。これが許されるのは、二つの季語が同季であることと二つの季語によって句の焦点が二分しないこと。揚句は、湯立の巫女へ風花す…と詠むことで二つの焦点が合体していることに注目したい。晴れた空から舞い降りてくる雪は天なる神の降臨のように感じたのでしょう。

えいいち:私も見たことがありませんのでネットで見てみました。地方によっていろいろなやり方があるようですが作者の見たのは屋外で巫女が舞うようです。神事ですから参拝者も静かに見ている厳かな雰囲気です。そしそこにすうっと冷風が吹き風花が舞い降りてきた、という光景でしょう。しかし偶然とはいえ神事の最中に風花が降りてくるとは神がかった感じを受けます。風花はそんなに珍しくないと思うのですが不思議と風花の中で巫女の舞う様子は神秘的だなあと思いました。脱線しますが歳時記で風花を調べていたら「風花はすべてのものを図案化す」と言う虚子の例句がありました。一瞬なるほどと思いましたが、斡旋してピタリくる光景を感じ、見出すのは、やはり作者の力なのだと思います。

澄子:湯立ての神事を初めて知りYouTubeで確認。湯立て神事そのものは大変迫力かあり大釜で湧かした熱湯に付けた笹を勢いよく空中に弧を描くように振り その冷やされた蒸気の軌跡は時に龍のようにも見えていました。神楽はその神事の前に奉納されるようです。四人の巫女の緋袴が華やかに目に映りました。風花ですから青い空からどこからともなく雪がちらちらと降下……予兆を孕んだ神秘的な情景に心を奪われてしまったのではないでしょうか……。

康子:私も湯立神楽を知らなかったので調べてみました。神かがりの状態にある巫女が襷掛けをし、大釜の湯を清め笹の葉で勢いよく散らして邪気を払うもの、とあります。YouTubeで見ると白い煙が舞い上がり迫力がありました。この状況に風花があれば、神が舞い降りてきたかのように神々しい景色となることでしょう。巫女の袴の赤と、風花・湯気の白、また雅楽の音や笹の葉の音、たった十七文字で動画のような世界を感じます。寒い冬ならではの景色ですね。「巫女へ」の「へ」により愛を感じました。

かえる:湯立神楽の動画を拝見しました。もくもくと湯気を立てる大釜に、巫女が躊躇いもなく笹枝を浸し、そのまま勢いよく振りあげると同時に湯の雫が散り、同時に湯気があたりに生き物のように広がります。ここに風花が舞ったら‥。湯気の白、雪の白、巫女の装束の白、白の競演のようですね。冬晴れの神社で寒さも忘れて神事に見惚れている作者の姿が浮かぶようです。

むべ:「湯立」がわからず調べました。神社で行われる、大きな釜に湯を沸かし、笹や幣串をその湯に浸して巫女さんが自身や周囲に振りかける「湯立神事」のことだそうです。無病息災や五穀豊穣を願うものとありました。その神事のさ中巫女さんが舞っているところへ、青空から雪がちらちら風に舞い降りてきた…まるでステージに降る紙吹雪のように…というのが句意かと思います。吟行は一期一会と教わりましたが、作者もまさにそれを実感したのではないでしょうか。自然現象をもつかさどる大いなる存在に、作者は静かな感動を覚えているようです。