みのる:建学時には若木であった楠も暦年を重ねて立派に成長し、学徒たちもまたシンボルツリーとして親しんでいます。卒業生が巣立ちまた新入生が加わるのと同じように、常緑樹の楠もまた初夏に薄紅色の若葉が萌え出て古葉を落とします(夏落葉、常盤木落葉)。大楠の幹に顔を臥せて悲し涙に耐えた生徒もいるでしょう。拳を打ち叩いて悔しさをぶつけた生徒もいるかも知れない。もろもろの百年をこの大楠は知っているのです。

澄子:百年前の創立当時の小さな学舎を知るシンボルツリーである楠。楠は寿命の長い樹ですし 楠若葉(初夏の季語)に年毎に未来を重ねてゆくを明るさをイメージしました。勝手な想像ですが、自分が通った校舎の面影は何処にもないけれど この百歳の大楠だけはより立派になって今も此処にあるのね……そんな作者の感慨が伝わってきました。

かえる:楠は初夏に落葉と若葉が共存するのですね。新旧交代の象徴のようです。卒業生や進級する在校生ではなく、新入生に焦点を当てておられるので楠若葉なのではないかと思いました。楠の若葉は赤みを帯びる言うので、歴史のある女子校をイメージします。母親、もしかしたら祖母も同じ学舎で学んだのかもしれません。伝統校の歴史は承知しつつ、若い感性で瑞々しく学生生活を謳歌しようとする新入生そのものが若葉なのではないかと思いました。

むべ:学校が創立された頃から植わっていた楠は、きっと大きな木なのだろうなと思いました。(楠の樹齢は千年単位と知り驚きました!)青葉でなく若葉をあっせんした理由は、私も小学校に植わっているからかな?と推測しました。青葉ですと、中高生のイメージがあります。小学生たちの入学、進級、卒業を長年見守ってきた大きな楠に、今年もまたみずみずしく、若く柔らかい葉が出始めた…毎年ありがとうという感謝の気持ちも感じます。

えいいち:学校と言えば若葉は初々しい小学生、青葉は少し大きくなった中学生、というのが私のイメージです。なのでこの句の学校は小学校なのだろうと思いました。そして作者の母校なのではないでしょうか。上五中七は淡々とした他人事のような表現なのですが、下五から小学校がイメージされて入学したての幼い頃を思い出すとともに今も変わらぬ若葉をつけてこの楠は100年も子どもたちを見守ってくれていたのだなあと感慨に耽っている作者の姿を想像しました。

康子:「若葉」の季語により、これからの未来・新たな芽生えをイメージさせます。例えば「百年の歴史の幕を閉じる学校に立つ楠、学校は無くなってもこれからも皆を見守り続ける木」だったり「長きにわたりたくさんの卒業生を見送り続け、この春また新たにピカピカの一年生が入学。その子達の成長を見守り続ける木」だったり。「知る」の措辞により「楠」を神が宿るかのように敬い、また大切に守って来た方々への感謝も感じます。