みのる:豆飯、豌豆飯という季語です。客観のなかに作者の小主観が盛り込まれた素敵な句ですね。収穫のために本格的に植えたのではなく頂いた余り苗とか種を庭の一隅に蒔いたのでしょう。笊一杯ほどに収穫できても鞘を向けばひと握りほど、それでも自家製無農薬の豆ご飯は特別に美味しかったでしょうね。たとえ僅かなものであってもそれを恵みとして幸せとして感謝して受け止めることができれば、その人の人生もまた豊かに祝されるのだ…という福音のような作品だと感じました。まさにゴスペル俳句です。

澄子:この過不足ない17音から家庭菜園を楽しんでいらっしゃることが判ります。中七「一握の幸」が格調高くかつ具体的です。足るを知るということを心得た作者のお人柄も偲ばれるようです。豆はえんどう豆だと思います。明るい初夏の句。  

康子:枝豆でしょうか、えんどう豆でしょうか、作者が庭で天塩にかけて育てた豆なんでしょう。「得し」と「一握り」の措辞により「こんな少しの恵みにもあれだけの手間ひまかかる。米や野菜を作る農家の方々や自然の恵みへ感謝したい。有難く頂こう」という気持ちが想像できます。何気ない日常の温かい気持ちが俳句の句材になるのか、と勉強になりました。

かえる:家庭菜園のもたらす幸福を絵に描いたような句だと思いました。そりゃあ農家の作物に比べたら見劣りはしますが、種、もしくは苗から育てて収穫に至った作物の愛おしさは格別です。さらに豆ですから、鳥も虫も虎視眈々と狙っていたはず。天敵から守り切って得た豆ご飯は格別です。白飯と青豆の彩り、豆の青臭さ。これから迎える盛夏にむけて、家族の英気をおおいに養ったことでしょう。

えいいち:豆ごはんですが子供の頃母がよく作ってくれたので懐かしいです。でも季語が分かりません・・・季語らしきは豆かなあと思い調べますと豆に関する季語は四季ごとにありましたが、豆ごはんに使う豆はエンドウ豆なので豌豆の季語の初夏を季節として鑑賞してみました。季節が分かると不思議に作者の手から穫れたての豆の鞘の青臭さが香ってくるように感じられてきます。中七の「一握の幸」の措辞に自然の恵みへの感謝とそれを食す喜びを感じました。

むべ:家庭菜園で収穫したてのえんどう豆を、白米に混ぜて炊いた豆ごはんが主役の一句。中七「一握の幸」にささやかで小さな、けれどこの手の中に自然の恵みとしてたしかに存在している幸せ…そんなしみじみとした実感を感じます。野菜を育てられる広さの庭や作者の体力があること、一緒に自然の恵みを分かち合える家族の存在…すべてのことに感謝の念が湧いてくるような気がします。すこし青臭い、美しい緑色の玉が輝く炊き立ての豆ごはんが眼前に現れます。