みのる:数百年受け継がれてきた由緒ある墓所なんでしょう。大寺の裏山にあるような雰囲気を感じます。管理者が代変わりするたび、おそらく半世紀単位で無縁墓となったものを整理して塚のように集めてあるのです。仏教的な生滅流転の無常観がただよう句です。

澄子:情景がくっきり浮かんできます。木下闇の景ですから冷気(霊気)を感じますが うらはらに様々な大小の石塊は寧ろ人のようでもあり 互いに寄り添っているかのような切なさや愛しさを感じました。母の郷が鄙びた田舎なので 私にとっては親しみのある景なのかもしれません。ひとくちに無縁墓といっても連綿と続いた名家がふと途絶えてしまったり その地を離れそのままになってしまった墓石等もあるのだろうと思いました。

むべ:木陰にひっそりとある墓石群。風雨にさらされ、欠けや割れのため刻印の読めぬものも中にはあるかもしれません。そしてさらに、夏ならではの鬱蒼とした木々に隠されてしまい、もはや、誰のお墓かは知り得ない状態です。無縁墓という言葉を使ったのは、亡くなって長年たつと、人は忘れ去られてしまうのだろうか…と寂しさや悲しみを感じたからでしょうか。死者のたましいが安らかであるよう、作者は祈るような気持ちだったのかなと思いました。

康子:共同墓地のようなところなのでしょうか。大きな木の足元に何基かの墓が立っており、その様子から無縁墓とわかったのでしょう。いつしか無縁墓になってしまったものが集められている場所なのでしょうか。「片寄せられし」の措辞と「下闇」の季語により、お墓が暗く物悲しい様子だということが伝わります。周りは蝉が鳴きジリジリとした暑さの中、木下闇の暗く涼しくひっそりとしている様子が良く現れていると思いました。

かえる:お寺ではなく、山の中にひそと佇むみなし墓地が浮かびました。すでに住む人のほとんどいない集落なのでしょう。お墓は夏でも薄暗い山奥にひっそりとありますが、手入れされている様子もなく、無縁墓であることが見てとれます。ここに先祖の墓があることを都会の子孫たちは誰も知らないのかもしれません。下闇と言う言葉が、夏の明るさと対比するように暗さや寂しさを強く印象づけます。

えいいち:墓地の片隅に無縁墓となってしまった墓石が並べられていてそこは季語から鬱蒼とした暗い陰気な木の陰の場所が想像されます。「片寄せられし」の措辞から目立たぬようにと木の陰に追いやられてしまっているかのようです。作者はその光景に憐れみ手を合わせているのだと思います。