澄子:「福の笹」が新年十日戎の子季語。御句から勝手な想像ですが なんだかいろんなものが犇めいている感じが…… 作者が働き盛り日本経済に勢いがあった古きよき昭和の時代をイメージしました。家屋の狭さを(うさぎ小屋)といわれようともどこ吹く風 多くの人が夢が持てた時代……そんなノスタルジーを感じました。「団地サイズ」の福笹が跳ぶように売れるなんて!いいじゃありませんか!

康子:「福の笹」が新年の季語「十日戎」の子季語。今宮戎神社の十日戎のことを調べてみました。福笹は入口で無料で頂くことができ、その福笹に米俵や小判や鯛など の縁起物を福娘の方々につけてもらいます。縁起物は だいたい1つ1500円。見栄を張って大きな笹を頂いてしまうとたくさんの縁起物を付けることになります。そこで団地サイズの身の丈に合った福笹をもらう方が多いのでしょう。また無理をしないのは景気も悪くないのかもしれません。参道を歩く人の、福笹に付いた縁起物の賑やかな音が想像でき、新年の華やかな雰囲気が伝わる句だと思いました。「団地サイズ」の措辞により、何事も無理をせず身の丈に合うちょうど良い塩梅が大切なんだということを考えさせられました。

えいいち:福の笹が十日戎の子季語の新年。新年の季語は私の知らない事柄ばかりでしたが、十日戎というのは私の地元の酉の市によく似た風習のようですね。酉の市を想いながら鑑賞させていただきました。私は毎年11月の酉の日になると地元の大鳳神社に商売繁盛の熊手を買いに行きますが、まだ子供が小さかった頃初めて妻と神社に行き掌ほどの熊手を買いこれから家族のために仕事を頑張ろう!と誓った若かりし頃を思い出しました。あれから欠かさずの前年の熊手のを納めては新しいものを求め、少しずつ大きくなってゆきました。今年も来月にはお参りに行きますが、そろそろまた掌サイズに戻す頃のような気がしています。

かえる:福の笹が新年の季語である十日戎の子季語です。昔の家屋は大きな福笹を飾る神棚もあり、縁起物は大きければ大きい方ほど良い風潮もありました。今や、神棚のあるお家は少ないですし、夢も大それたものでなく、身の丈にあったコンパクトなものに変わってきているように思います。福笹も団地サイズで、おしゃれなインテリアの邪魔にならないシンプルなものが好まれるのでしょうね。小さくなろうとも、時代や価値観が変わろうとも福笹は福笹。売る人にも買い求める人にも、福をもたらしてくださるのだと思います。

せいじ:福の笹が新年の季語。団地が日本で増え始めたのは昭和30年代ごろ、多くは2Kまたは2DKの間取りで、畳も少し小さめのいわゆる団地サイズだったように思う。西宮神社で現在頒布されている福笹には、大(3.000円)と小(1.000円)の二つがあるようだが、当時はどうだったのだろうか。神社が団地サイズと名付けるはずもないから、「団地サイズ」は作者の咄嗟の思い付きあろう。団地に住む人が増えた時代を反映して、いろいろな商品に「団地サイズ」があったことを思い出す。

むべ:「福の笹」が新年「十日戎」の子季語。十日戎が季語の3句が続き、学びも深まってきました。福笹の笹は孟宗竹であること、何も付いていない笹は無料で授かることができ、取り付けるオーナメント(吉兆・小宝)を購入する仕組みになっており、家庭ごとにカスタマイズできること、福笹にはいろいろなサイズが取り揃えられていること……団地サイズとは、場所を取らないコンパクトさだったり、もしかしたら神棚がなくても飾れる取付金具が付いていたりするのでしょうか。作者は参道沿いの露店を覗きながら、団地住まいの方々が多くお参りに来ていて、使い勝手のよい団地サイズがよく売れていることを見て取ったのでしょう。年初に希望をもって参拝する人々の期待感や、明るくにぎやかでおめでたい雰囲気を感じます。