康子:薬喰が三冬の季語。調べたところ、体力をつけるために寒中に滋養になる肉類を食べること、薬と称して鹿や猪などを食べた、とのこと。「山を守る苦労話」とは猟に対する苦労のほか獣肉食を嫌う時代に猟を続ける苦労もあったのでしょう。温かいお鍋を囲みながら、猟を長年続けてきたというプライドや苦労話を聞き、その人の分厚い手や体を見て尊敬の念を抱いているイメージが浮かびました。
澄子:「薬喰」が三冬の季語。仏教の教えは肉食を忌むので寒中養生の薬と称し鹿肉を食べた。近頃では他の鳥獣にも用いられる とありました。秋の鹿肉は特に美味とも言われています。恵みの山の幸を巡って獣との攻防……獣の領域の開拓とその被害……人も獣も厳しい冬をとにかく生き抜いていかねば!命の鬩ぎ合いがあり 山狭の人々にとって「山を守る」ことは並大抵ではないと感じます。もし万が一私が紅葉鍋とか饗される事がありましたら 慎んで感謝の気持ちでいただきたい思いました。
あひる:薬喰が三冬の季語。林業の地域では山の世話を専門にしている人が居るのだと思います。勾配のある足場の悪い山中で、日当たりを考えて枝を落としたり、下刈りをしたり、獣の害も多く大変な仕事です。苦労話は尽きないのではないでしょうか。鹿や猪を仕留めて食すことは、そんな厳しい仕事をして疲れた身体への滋養ともなるのだと思います。作者も苦労話を聞きながら、じっくりと味わっていることでしょう。
えいいち:薬喰が三冬の季語。上五、中七と下五の関係から私は猟師である宿の主と作者が食事をしながら会話している光景を想像しました。薬喰という季語を調べてみましたが現在ではなかなか感じられない風情ではないかと思うのですが、仕留めた獲物を何のためらいもなく食しながら山を守る話をする猟師さんの姿に作者はふっと「薬喰」という季語が浮かんできたのではないでしょうか。冬の山荘で猪鍋を囲みながらの情景が浮かびました。
かえる:薬喰が三冬の季語です。苦労話の話し手は猟師でしょうか。猟師の仕留めた獲物で拵えた鍋を炉に吊し、それを皆で突きながら耳を傾けています。食べることで体が芯から温まるのを感じています。知り合いが仕留めた猪肉をお裾分けしていただいたことがあるのですが、みっちりとした命の塊のような肉でした。以前に拝見した美しい女性ハンターは、猟を野蛮だと抗議されることもあるが、では誰が自分たちの家や畑を守ってくれるのだと。守るために猟をして、仕留めた命は余すことなくいただく。それの何が悪いのだと清々しい瞳で言い切っておられ、その神々しいような姿は今でも強く心に残っています。山や里を守る覚悟はなんと凄まじいものかと思います。
せいじ:薬喰が三冬の季語。「ポツンと一軒家」というテレビ番組があるが、そのような山の中の一軒家を訪れて、紅葉鍋とか牡丹鍋をご馳走になったというようなことを想像した。山の中の生活は苦労もあるが、自由でゆったりとした時間を楽しんでいるというような話を聞いたのではないだろうか。獣肉の鍋に心も体も暖かくなる。
むべ:「薬喰」が三冬の季語。山奥の宿で鹿肉料理を食べながら、宿の人との会話を楽しんでいる作者を思い浮かべました。薬喰とは鹿肉を滋養のために食すことだそうです。今日の日本では牛肉・豚肉がごく普通に食卓にのぼりますし、鹿肉はジビエの中でもあまり生臭みもなくて食べやすいほうだと思います。獣の肉を食べることそのものに抵抗があった日本文化で、冬季の鹿肉は特別だよ、体に良いのでむしろ食べるべきだよ、というメッセージを「薬喰」の語感から感じますね。逆に言うと、現代日本ではすでに獣肉の食生活が普通なので、本当の意味でこの季語を生かした句を詠むのは難しいと思います。ところで、「山を守る苦労話」はどんな内容であったでしょう。神奈川県西部では野生の鹿による田畑の野菜、植林の苗木などの食害が深刻だそうです。野生動物とヒトとが接近している山で、どのように共生し、またどのように分かち合うかは永遠の命題なのかもしれません。